眠れぬ夜のひとりごと。

タイトル通り、眠れない夜の暇潰しにやってます。半分寝てて誤字多いです。

幼稚園三年保育、年少組修了!

今日は、次女の年少組登園最後の日。

夜に私が書いた担任の先生への感謝の手紙を持って、生憎の雨の中、バスに乗り込んで行った。

 

今日も今日とて朝はしんどかったし、

次女も眠くてぐずってた(笑)

 

今、心にあるのは、淋しさ

 

長女は四年保育で入園したので、その一年目の最後の日も、すごく淋しかった。当時は修了式を保護者も見に行けて、卒園式レベルに泣いたのを覚えている。今はあの日の気持ちと同じかな。

 

入園させるのも淋しかったな。

ていうか私、

幼稚園嫌いだったし。

 

長女年長のときにブチギレて、次女は他の幼稚園にする!と本気で考えてた。長女が卒園する頃には気持ちも落ち着いて、お下がりとか使えるし勝手もわかってるしもう同じとこでいいやってなったんだけどね。

 

早生まれで三年保育そのものも淋しかった。もう一年くらい次女とのんびり過ごしたいのに、どうして二年保育がないのかと思っていた。

 

実現してたら特に何をするわけでもなくダラダラしてめんどくさかったに決まっている(笑)

 

年少くらいの頃って、いちばん可愛い。

コロナ禍で色々変更もあったけど、

運動会のダンス、可愛かったなぁ。

もうかぶることのない、

クラスカラーのピンクの帽子。

それを見ても、今は淋しい。

 

長女も次女も、幼稚園初年度に大好きな先生に受け持ってもらえたのは、本当によかったと思う。

 

乗り切った自分に、お疲れ様

 

次女は生まれて初めての週5集団生活にすんなりと馴染んで、幼稚園も先生もとても好きで、毎日楽しんで通っていた。特にトラブルもなく年少組を終えた。

 

私は本当にしんどかった。

 

長女のときは、朝のバスが来る時間が夫の出勤時間よりも早く、いつの間にか「朝はパパと出かける」が当たり前になっていた。長女は生まれ月が早く、持ち物の準備さえしておけば、自分で制服や体操服を着ていたし、満三歳児クラスの時点でおむつもはずれていた

 

次女入園後は、毎年変わるバスの時間が長女のときよりかなり遅くなり、夫が仕事に行く時間よりもだいぶ後になった。必然的に、毎朝送り出しは私がしなければならず、これが日常生活そのものに影響を及ぼすほどキツかった

 

アラームアプリを入れて何とか起きて、着替えをさせて、フラフラで家の前に来るバス停まで行った。不眠症とだけ書いてきたが、「概日リズム睡眠障害」の私にとっては朝がいちばん眠い。記憶が飛んでいるなんてしょっちゅうだった。

 

「そんなこと誰でもやってる」と思われるだろう。でも、ありえない話だけど、やっと眠りに落ちた真夜中に毎日やれと言われたらキツくない?体内時計が大きくズレている私にとっては、そんな感じだった。

 

お疲れ様。でも、

あと2年頑張れ私…

 

コロナ禍の入園

 

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考えたら、このブログにも書いたけど、「一斉休園でこのまま長女の卒園式が中止になるかも…」って泣いたのが、もう2年も前。

 

次女はコロナ禍に入園。

 

幼稚園行事も、普段の幼稚園での生活も、コロナの影響を受けた。長女のときには当たり前にできて、何ならめんどくさかったことも、中止とか変更とかばかりだった。

 

衣装を着て、何か変な化粧をして踊る、何十年も毎年同じ演目が使われてきた学芸会。なくなったら淋しかった。

 

演目古臭すぎるやろ…と思ってたけど、長女のときはどの学年がどのおゆうぎをするかわかっていたので、我が子もこの演目に出る学年になったのかぁとか、気がつけばダサいとか思わず、愛着がわいていた。

 

例年は夏の暑い時期にある演奏会。

このブログでボロけなしにしたなぁ(笑)

どうにかこうにか開催したものの、

時期悪くオミクロン株大流行と重なり…

合奏がなく例年なら歌を歌う年少組は、

マスクつけて無言でカスタネット演奏

 

「にじ」を歌うはずだったし、

練習も始めてたのに、歌えなかった。

聞きたかったなぁ…

次女達の『きっとあしたは いいてんき』

 

でも、幼稚園はしっかり感染対策をして、行事をしてくれた。コロナ感染防止のために欠席してもいいとして、できることをしてくれた。

 

そりゃ、行事で撮ってきた写真やビデオの見た目だけだと、後で「何か妹のときの行事、しょぼくない?」となるかもしれない。でも、しょぼいなどと言えようか。先生方だって、慣れている例年通りのほうがよほど簡単にできたはずだ。

 

誰も体験したことのないパンデミックの中、感染の対策をして、あれはどうか、これならできるんじゃないかと、手探りで今までとは違う形でやるのは、本当に大変だったと思う。

 

そして、自主休園

 

オミクロン株大流行を受けて、幼稚園からは再度新型コロナウィルス感染防止に関するお知らせがあった。このとき「自主休園をする場合は出席停止と同じとし、欠席扱いとしない」と書かれてあった。

 

うちの幼稚園も、臨時休園が何度かあった。もう誰がどこで感染してもおかしくないし、私の周りでもコロナ感染者が出始めた。幼稚園もできる限りの対策をしたが、「ついに来てしまった」のだ。誰のせいでもない。

 

父親は仕事で外に出て電車にも乗るし、姉は小学校に通っている我が家。自主休園は無意味かもしれなかった。ただ、夫の職場も長女の学校も小規模で、自宅での勤務や休校にはならなかった。

 

最も人数の多い中で過ごしているのが次女で、臨時休園や感染者、濃厚接触者が出たのは幼稚園だけだったので、いちばん小さな3歳の次女は家で過ごさせることにした。幸い、父親や姉が(今の時点では)感染することもなく、

 

ただの幼稚園ママお休みパラダイス期間

 

となった。

 

本当に疲れていたし、いい休息期間でもあった。もちろん結果的にそうなっただけだけど。入園直後に次女が感染したRSウィルスで痛い目を見ていた私は、「発熱した」というだけで簡単に受診できない状況の中、次女を登園させ続けることはできなかった。

 

先生と連絡を取り合って、期間を決めて休園し、休園を延長するかどうかをまた夫婦で相談して、三学期は自主休園の期間のほうが長かったと思う。1月末に臨時休園になる前と、お誕生日会と演奏会(当日と練習期間の数日)、幼稚園最終週だけしか通ってないかな。

 

今日持ち帰ってきた連絡帳(出席ノート)を見ると、自主休園は病欠などとは区別されていて、ほぼ行っていない三学期にも、月皆勤になったときに貼られる先生お手製シールが貼られていた。

 

バスに乗り込む後ろ姿

 

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長女が初めてバスに乗った日。

心配して、夫婦揃って見送りに行った。

あっさり乗って行ったけど

その後ろ姿を何気なく写真に撮った。

そして、卒園式前日、最後に乗った日。

別人のように大きくなった長女。

制服のサイズは直しはしたけど同じ、

背負ってるリュックも同じ。

でも四年の歳月を感じる二枚の写真。

あの写真、撮っておいてよかった。

 

次女のときも同じように撮ってあった。

そして姉と同じく、あっさり乗った(笑)

4月の写真と見比べると、

少しは大きくなったかな。

でも、まだまだ小さくて可愛い。

 

私は保育園だったので、幼稚園バスに乗ったことがない。毎日バスに揺られて、娘達はどんなひと時を過ごしているのかな、といつも想像していた。帰りは、大抵寝てる(笑)今の幼稚園のバスには乗ったことがある、プレ幼稚園の親子分離前のミニ遠足のとき。子供用の座席に、どうにか横向きになって座れた。バスの幅スレスレの狭い道を通る「バスのおじちゃん」の運転技術がすごかった。

 

次は、年中組初日のバスに乗る姿を、

また写真に撮ろうと思う。

 

先生への感謝

 

次女の初めての担任の先生は、長女入園前から幼稚園に勤めているベテランの先生。長女の担任になったことはなかったけど、行事やバスで言葉をかわすことはあって、私にとってはよく知っている先生だった。

 

入園式のクラス発表。

例年は教室の入り口の上に名簿と担任の名前が貼り出されるのだが、人が殺到するのを避けて、今年度はプリントも配られた。

 

何となく、新卒の先生だろうなーと思っていた。長女のときは年少組は2クラスで、どちらの組も新卒の先生+ベテランの先生だった。新卒の先生が年少組を受け持つことが多く、次女もそうだろうなと思っていた。

 

プリントを見ると、年少組3クラスのうち、

  • A組  新卒の先生+次女のプレの先生
  • B組  新卒の先生+次女のプレの先生
  • C組  今の担任の先生一人

 

プレ幼稚園の先生にも相当懐いていたので、次女は「どうして自分のクラスにはプレのときの先生がいないの?」となるかなぁ?と少し思った。

 

1ミリもならなかった。

 

プレの先生、2クラスとも補助に入るってすごい大変そう…とも思った。ちなみに、長女年少のときは、この先生が長女のクラスの担任だった。長女のときはこんな感じ↓

 

  • 1組  新卒のA先生+ベテランのC先生
  • 2組  新卒のB先生+ベテランのD先生

 

担任になった先生に、私は自分のことを包み隠さず話した。先生はとても協力的で、いつも私の体調を気にかけてくれた。

 

行事の日や写真撮影などで服装指定がある日は守るが、朝はもう頭フラフラ状態なので、制服登園の日に体操服を着せて行ってもいいかとか、ルール違反ではないけどそれぐらいやれよと思われそうなことも、「大丈夫ですよ〜!」とわかってくれた。

 

次女は今日の今日までおむつが取れなかった。何でもお姉ちゃんの真似をするのに、トイレこそ真似してくれよと思ったが、おむつ?びっしょ濡れですけど何か?くらい本人は全く気にしないし、布パンツを履かせて気持ち悪さを体験させてみても全然気になりませんけど何か?という感じの次女。

 

最近はトイレにも行けるようになったし、1日に使うおむつの枚数もだいぶ減った。毎日小さなビニール袋に名前を書いて、おむつにも名前を書いて、リュックに入れて幼稚園に行った。

 

帰りはその袋におむつを入れたものをリュックにくくりつけて桃太郎さんがお腰につけてるきび団子状態で帰ってきた。いつしか「おみやげ」と呼んでいた。

 

毎日、次女をトイレに連れて行き、おむつを替え続けてくれた先生。袋とおむつに名前を書くのすらめんどい私は百回生まれ変わってきてもつとまらないお仕事です、感謝しかありません。そしてうちの娘がすみません…

 

「いえいえ、大丈夫ですよ〜!次女ちゃん、おトイレだいぶ行けるようになってきましたよ!」

 

いつもそう答えてくれた。

 

想像しただけで大変だ。朝に全員をつれてトイレに行く。4月なんておむつの子のほうが多かっただろうし、お母さんお父さんと離れてただそこにいるだけで泣いていた子もいただろうし、トイレに連れて行っておむつを替えて、パンツが汚れてしまった子がいたら洗って履き替えさせて…

 

我が子のケツの世話でも

余裕でめんどいというのに

 

先生はすごすぎる。

全国、全世界の幼稚園、保育園の先生、

あなた方は素晴らしい、美しい!

母として、感謝と尊敬を伝えたい。

 

一人、また一人と「お姉ちゃんパンツ」に変わっていくお友達を見ても何とも思わない次女は、最終日までおむつを持って行った…

 

ちなみに姉は、満三歳児クラス(年少の一学年下)の1学期には担任の先生から『お友達が布パンツを履いているのを見て、長女ちゃんも履きたいようです。ほぼトイレでできていますし、布パンツを持たせてあげてください』と言われ、おみやげなど持って帰ってきたこともない。

 

行事の指導もとても上手な先生で、コロナ禍で大変な中でも、手作りの工夫が素晴らしく、クラスだよりに書かれている文章を読むと、行事に向けての子供達に対する言葉かけも素晴らしかった。

 

そんな先生のことが、次女も大好き!

 

しんどい日もあっただろうけれど、いつも笑顔でいる先生。ひとりひとりの子をよく見てくれている先生。幼稚園から帰った次女から先生のお名前を聞かなかったことはないくらい。うちの実家の父親まで、先生の名前を覚えた

 

感謝の手紙だけでは伝えきれない。

でも、先生、本当にありがとうございました!

 

今日、次女が持ち帰ってきた担任の先生手づくりアルバムを見ると、年少クラスをとても楽しんでいたんだなぁということと、先生はひとりひとりの園児のことを本当によく見てくれているんだなぁと思って、早速プレ幼稚園のときのアルバムと一緒に置いておくことにした。もちろん、長女が在園した4年分のアルバムも置いてある。

 

4月からはどんな生活になるのかわからないけれど、またいい先生に出会ってほしいし、幼稚園児が楽しく遊べるようにコロナも落ち着いてほしいと願う。

 

本当に穏やかで、担任の先生ともしっかりお話できて、朝こそしんどかったが、いい一年を過ごさせてもらったと思う。

 

次女、頑張ったね!