眠れぬ夜のひとりごと。

タイトル通り、眠れない夜の暇潰しにやってます。半分寝てて誤字多いです。

幼稚園卒園式の話。

4年保育で幼稚園に通った長女。

先日、卒園の日を迎えた。

卒園前のことや、

卒園式の日のことを記録しておきたいと思う。

 

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卒園式、中止の危機。

 

新型コロナウィルス…正直に言って、ここまでのことになるとは思っていなかった。まず、2月末のお別れ遠足の中止が発表された。中止は可哀想だということで『年長組園児のみ近隣の大きめの公園へ行き、年中以下は幼稚園の園庭で弁当を食べるだけ』に変更になった。

 

しかし『29日以降、一斉休校・休園』という発表があり、え?どうなるの?一斉に休むのは公立だけ?と思いながらも、28日はどこも通常通りだったし、特に幼稚園から変更や中止の連絡もないまま、28日のミニお別れ遠足の日を迎えた。

 

通園バス送迎はあったので、いつも通り夫と一緒に出かけていく娘を家で見送って、『あー今日は帰りバスなしか…自転車つらいしタクシーで行こう』とか考えていた。でもその日Twitterを見ていたら、『え?今日が最後の幼稚園になるってこと?!』みたいなツイートで溢れてて、ええっ?!そんな…と初めてことの重大さに気づいた。

 

待ってよ、そんな…4年間の最後がこんな突然?最後の日にバスに乗って行く後ろ姿とか撮ろうと思ってたのに、え?もう幼稚園なし?

 

いやいやそんなことより卒園式はどうなるの?3月17日…え?中止?!その日は落ち着かないまま、タクシーで幼稚園まで迎えに行き、最後になるかもしれないからと友達と写真を撮ったり、顔見知りのお母さん達と『どうなるの?どうなるの?』と言い合ううちに泣けてきて、気がついたら園長先生に、

 

『先生お願いします、どんなに延期になっても、どんなに小さい規模でも、屋外でも、何の文句も言いません。どんなことでも協力します。どうか卒園式をしてやってください』

 

と泣いて懇願していた。自分勝手過ぎるけど、そのときは本当にそう思った。何月になろうが、もう来年の人と合同になろうが、やっぱり区切り、節目、門出の卒園式だけは。普段あんなに行事を面倒くさがって、我が子の出番が終わったら秒で帰るの号泣に、園長先生も驚くやら何やらで、『お母さん泣いたらダメよ、卒園式はね、します!例年通りにはできないかもしれないけど、します!私は絶対にしたい!』

 

その言葉しかよりどころがないまま、一斉休園に。私立幼稚園なので、最初は公立より早い再開予定が立てられていたものの、二度の延長。16日再開・卒園式の日程変更のお知らせは来たけど、それもダメなんだろうとしか思えず、本当に卒園式ができるのか、16日に登園再開となってからも『この数日の間で近隣に感染者が出たら…』とか、不安炸裂で過ごし、とうとう卒園式前日まで、クリーニング以外何もせず(できず)に過ごし、いよいよ時計が卒園式当日になったことを知らせてきても、なかなか腰を上げられなかった。

 

ここから、やっと卒園式の話。

 

出かけるまでドタバタ、徹夜

 

最初に手をつけたのは、これまでお世話になった先生方への手紙。4年間で5人の担任の先生がいて、全員にお礼の手紙。一人あたり便箋3枚分くらい書いた。手書きなので結構な時間がかかったけど、とりあえずこれをクリア。

 

その次にビデオカメラのバッテリーと予備バッテリーの充電、ベルボン自立一脚を出して忘れない場所に置き、下の娘は私の実家に泊まらせていたので、使うものや持ち物をテーブルにほいほいほいと置いて準備開始。

 

それから、娘の幼稚園では行事等の写真をインターネット販売しているので、そのサイトにログインして昨年度の卒園式のページをガン見。昨年度は特に女の子がすごいキメキメヘアスタイルやヘアアクセサリーの子が何人もいて、うわぁ…何も用意してないわ…つけるだけのアクセサリー買うなり、美容室の早朝予約とかしとけばよかったかな…と一瞬後悔したが、どうでもよくなってデビュー時の倉木麻衣みたいな髪型でいいやと決定。ハーフアップのツイン版みたいなやつ。ちなみに今年は、そんな派手派手な髪飾りをつけた子はいなかった。

 

そこで気づいたのが、卒園式につきものなのはなんと言ってもだろう。でも、泣いて化粧ボロ崩れみたいなお母さんは誰一人おらず、えっ?てなった。でも、私は雰囲気だけでもう泣く自信しかなかったので、泣いても崩れない化粧をしようと決めた。

 

泣いてもオッケー卒園式メイク

 

化粧するのなんていつぶり?と思ったが、とりあえず化粧ポーチを出してきて、いつも特に泣きもしないのに黒っぽくなるマスカラをまずどうにかしなければ…と深夜に外出。繁華街が近いので、24時間営業のドンキで透明マスカラを購入。ついでに朝食のパンがないことも思い出して買って帰った。

 

インテグレート マツイクガールズラッシュ (ピュアキープ) 7g

インテグレート マツイクガールズラッシュ (ピュアキープ) 7g

  • 発売日: 2017/11/25
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

 

買ったのはインテグレートの透明マスカラ。一応マスカラ下地だか美容液だかそういうものだけど、透明マスカラとしても使えると記載があって、テスターを使ってみたら白くならなかったので、これに決定。

 

アイメイクは薄めで上瞼のみ、下瞼には何もつけず、アイシャドウのハイライトカラーとメインカラーだけをつけて、締め色と言われる濃い色は使わず。リキッドアイライナーも上瞼の半分くらいだけに引いた。

 

ベースメイクは下地→シミ隠しコンシーラー→ファンデーションは使わずdプログラムのパウダーだけ。これがまあ、つけたては『やらかした…』と思うほど粉っぽくてのっぺりしていたが、すぐに馴染むので特に気にせず。化粧直し用にパウダー、透明マスカラ、口紅は持って行ったが、化粧直しをしなかったので使わなかった。

 

このメイクで行った結果、ボロ泣きしたが、涙による崩れで目元真っ黒とかファンデーションがヨレてボロボロということにはならなかった。

 

コンタクトレンズに大苦戦

 

昨年の運転免許更新の記事にも書いたように、私は『どうやって裸眼で生きているのか』というほど視力が悪く、車も運転しないのに、ついに視力検査に通ることを諦めて『眼鏡等』の制限が免許証についた。そのときに片目分だけ買ったコンタクトレンズをつけて行くことにしたのだが、学芸会以来1ヶ月ぶりのコンタクトレンズ自分で自分を殴りたいほどの手先の不器用さのため、大苦戦…!何とか両眼にワンデーのソフトコンタクトをねじ込んで鏡を見ると、肌のシミがくっきり見えたので、よし入った!と悲しすぎる確認方法(笑)

 

泣く時用ハンカチと使い方

 

私は『泣くとき用のハンカチ』を持っている。近所のスーパーの2階で500円くらいで買った、ガーゼ製フォーマルハンカチ。薄ピンク、白、黒を持っていて、今回は薄ピンクを持参。

 

卒園式なんて泣くに決まっているので、泣く時用ハンカチは必須!と準備してあった。端っこにレースがついた、見た目は本当にフォーマル用のハンカチ。

 

 

↑私のはジルじゃないし値段も激安だったけど、こんな感じ。

 

涙が出たら、ハンカチを折って角をつくり、頬に流れる前に目尻にその角部分を当てて涙を吸い込ませる。決してこすったり、おさえまくったりしてはならない。号泣しても大丈夫。ハンカチを半分に折って、左右の頂点部分で両目の涙を吸収させる(笑)これで化粧も崩れないし、とても便利。普段はタオルハンカチ派だけど、タオルハンカチは角が作りにくく、ガーゼほどすっと水分を吸い取らないので、泣く用とは別にバッグには入れておいた。

 

後方からビデオ手撮りは無理

 

 

回し者レベルに紹介しているこのベルボンのスタンド一脚。卒園式でも大活躍だった。今年は卒園児席も保護者席も隣との間隔を大きく取っていたので、例年はある後方の自由席扱いのパイプ椅子は置けず、ほとんどの人が講堂のいちばん後ろから立ってビデオ撮影をしていた。

 

そんなときでも、三脚よりも場所を取らず、でも自立して、ビデオ撮影向けのこのスタンド一脚があれば、手ブレとは無縁。講堂の後方から舞台までズームして卒園証書をもらうところを撮ったり、卒園児が全員前に出て歌を歌うときなどはズームに加えて我が子のアップ、引いて全体を映しつつパーン棒を緩めて左右に振ってもしっかり撮影できていた。後ろからハンディ撮影をしているお父さん方のビデオ画面がたまたま目に入ったのだがブレブレで、そりゃこの距離だしなぁ…と思った。

 

娘の仲良しのお友達や親同士が知り合いの子の証書授与のときは、その子たちのも撮っておいて送ったが、皆口を揃えて、

 

『これどうやって撮ったの?!』

 

と驚いていた。ご主人が撮ったビデオがブレまくりで顔が映っていない…と落ち込んでいたママ友にも娘さんの卒園証書授与シーンをさっそく編集で切り取って送ると、ものすごく感謝された。

 

安定感は三脚に劣るものの、私はもうずっとこれを使っていて、パーン棒を締めて固定で撮りながら手を離しても普通に自立して撮れていた。それに、幼稚園の行事では、三脚を使えるシーンのほうが稀だと思う。これなら座って撮影するときもパイプ椅子の前にスッと置けるし、操作も簡単。幼稚園の演奏会や学芸会、入園や卒園、運動会でも使いやすいスタンド一脚。持っていて損はないと思う。

 

卒園式、開式

 

そろそろ始めますよーみたいな、何だかゆるい感じで始まった(笑)来賓などもなし。国歌斉唱、園歌斉唱、卒園証書授与…と流れるように進んでいった。

 

年少・年中は3クラスに分かれていることもあるが、年長は毎年2クラス固定。証書授与の順番は、A組男子→A組女子→B組男子→B組女子。娘はB組女子なので、

 

ここからめちゃめちゃ長いやん…

すでにもう脚痛いし…

あんまり他の子の証書授与とか興味ないし…

 

と思っていたが、A組男子の名簿順1番の子のところでもうホロっときてしまった。名前を聞いたことがあるだけの、顔も知らない子だったけど。でも即持ち直し、友人の息子さんが4番目くらいに呼ばれるので、録画スタンバイ。他にも、A組のほうがLINEを知っているお母さんがいるので、何人か分を録画した。

 

ちなみに、卒園証書授与のあいだ、ずーっと流れていたのが早春賦で、帰ってからもドンキ状態で頭の中に流れ続けていた。

 

B組の子供達のときは男子の1番から全員分録画。あとで娘が見たときに、自分がいたクラスの子を思い出したり懐かしんだりできるかな、と思って。いよいよB組女子。娘は名簿順だと早めなので、緊張しつつも無事撮影完了!ただ、クラス全員分撮影したので長すぎて、携帯に移せずパソコンの映像編集で切り取って…とかなかなか大変だった。

 

縮小はここかな?

 

卒園証書授与のあと、園長挨拶。いつもより短かったけど、とてもいい内容だった。どこか、『早く切り上げなければ』と焦っているようにも見えた。

 

そのあと卒園児が舞台に並んで歌を歌ったり、『卒園のことば』を述べたりしていた。『卒園のことば』は全員が声を揃えて、字で書くと3行程度の内容だったが、本来は思い出をあれこれ語っていく結構長いものだったらしい。臨時休園で練習時間がなかったため、すぐに覚えられるくらいにしたのだと思う。

 

卒園児の歌は、園長がこだわって3日で覚えさせたらしいけど、男女でパートを分けているところがあることに気づくまで、あれ?やっぱり覚えきれなかったのかな?とか思う感じだった。途中でやっと、ああ、歌詞が『僕は何々〜』のところは男子、『私は何々〜』から始まるときは女子と分かれてるのね把握したってなって、歌ではそんなに感動しなかった。

 

学芸会の演劇の後に各クラスが歌った歌のほうが卒園式っぽいし、まだ園児達も覚えていただろうし、3日しか時間がないのに結構長めでパート分けまである新曲にしなくても、学芸会のときの歌にしてもよかったんじゃ…?と少し思った。

 

あと、来賓も呼んでいなかったので祝辞などはなく、祝電も『都合により割愛、掲示してあります』で読まれなかった。祝電全部読むとかより楽だった。家が近いとかで選ばれたであろう在園児らからの送辞もちらっとあって、卒園児保護者代表の謝辞(詰まりつつ、泣きながら読んでいるそのお母さんを見てめちゃくちゃ貰い泣き、泣くとき用ハンカチ大活躍)で閉式。

 

教室で過ごす最後のとき&表彰

 

卒園式が終わると、A組・B組それぞれの教室に戻り、最後の『お帰りの時間』。親もいるので、見た目は参観日みたいな感じ。私はもたもたしていたので、教室後方の『参観日ポジション』は取れなかったが、教室の前方ドアあたりからビデオを撮れたので、まあ、それも悪くはなかったかな。後方から撮っていれば、表彰を受けたときとかに真正面から撮れるけど、それ以外は後ろ姿になるし。

 

担任の先生の涙ながらのB組生、B組生保護者への話があって、次に『1年間無欠席』と『スイミングのメダル条件達成者』の表彰があった。ズル休みの常連+プールに行っても何となく水に入ってるだけみたいなこの私の娘が、この両方に該当していた。

 

皆勤賞はないので、名前を呼ばれた園児が前に出て、拍手を贈るという形だった。卒園式のあとにスイミングのメダル表彰があるのは知っていたが、幼稚園皆勤の子を前に出すとは知らなかったので一脚にビデオをセットしたままにしといてよかった。

 

私の娘は、年中組の始業式から卒園式まで、幼稚園のある日(学級閉鎖2日+3月の一斉休園以外)は2年間全て出席。出席停止、忌引もなかったので、欠席記録には0がズラッと並んでいる。同じく皆勤で表彰されたのは娘を含めて4名。そのうちの3人が同じバスコースの子だった。男女二人ずつ、前に出ていったとき…

 

娘と仲のいい男の子が号泣。

それを見た娘も…

堪えていたものがあったのか、

その子以上の大号泣!

 

先生も泣いていた。そのシーンをとらえた画像は、先生が袴をはいていなかったら、何か悪いことでもして怒られた?と思うような(笑)娘の号泣が止まらないうちに、次はスイミングのメダル獲得者の表彰。

 

スイミングのメダル獲得条件は、

 

  • 年中・年長の2年間水泳を無欠席
  • 22級以上に合格していること

 

この両方を満たしていなければならない。そして、幼稚園側も、『メダル目指して頑張ろう!!』と結構煽る、学級だよりのプリントにも書いてある(笑)スイミングはスクールの委託事業を利用していて、年中組になると月に1〜2回、幼稚園からそのスイミングスクールに通う。

 

前後するが、まずこの『22級以上に合格』が、幼稚園から行くスイミング授業と進級テストだけでは、ギリギリか無理くらいの絶妙なライン。

 

元々習いごととしてそのスクールに通っている子以外は、全員25級からスタート。進級テストは大体学期に一度なので、年に3回。以前の水泳短期講習の記事にも書いたが、スイミングの授業回数も進級試験の回数も少ない

 

娘は、年中は級がひとつしか上がらず、24級。

 

  • テスト1回目 24級に不合格
  • スト2回目 24級に合格
  • テスト3回目 23級に不合格
  • テスト4回目 23級に合格(年長)

 

つまり、年3回しかないテストで、合格までに2回かかっているということになる。ということは、年長1回目の進級テストで23級になった娘は、2学期の進級テストに落ちるとして、最終の3学期のテストで上がれるかどうか…ということになる。昇級しているということはテストの難易度も上がるため、合格までに2回では済まないかもしれない。

 

年長の1回目の進級テストで23級を取ってきたので、私はそのスクールの夏季短期講習に申し込んだ。短期講習は春、夏、冬と長期休暇のときにやっていて、幼稚園から案内プリントを持ち帰ってきていたが、ずっとスルーしていた。色々調べたら、え?話が違うよね?とかあれこれあったが、短期講習最終日のテストに合格すれば昇級できるということがわかり、真夏の泣くほど暑い中、お友達親子も一緒にバスに乗って朝早くから3日間スクールへ通った。

 

その3日間で、22級合格!

いつもテスト2回で昇級していたので2期間分申し込んであったが、モチベがもう1ミリもなかったのでキャンセルした。あとは休まなければ、メダルを貰えるというところまできた。

 

そして年長2回目の…

  • テスト5回目 21級に合格

 

え?!あのクソ暑い中、短期講習行った意味…?と一瞬思ったが、幼稚園でのスイミング授業よりも少人数で三日間すぐに自分の順番が回ってくる特訓みたいなあの講習には意味があったのだと思った。

 

そして、3月までスイミングは毎月あるので、体調を崩さないかビクビクで、インフルエンザ予防接種、マスク・手洗い・うがい・手指消毒スプレーで何とか冬も元気に乗り切って、休まず3月まできたが…

 

  • テスト最終回 一斉休園のため、なし

 

私はビビりなので、年長のテスト1回目で23級に通って、最終回22級合格を願う…とかは性格的に無理なので、先に22級を取っておいたことは正解だった。23級に合格してから夏休みの短期講習を挟んでいるので結果的には21級まで取れたが、もし私が夏の教室に行かず何もしていなかったら…テスト最終回にかけていたら…

 

メダルは貰うことができていなかった。

(普通に試験に落ちる場合もあるけど)

 

一斉休園中にスイミングの日があり、年長組は両クラスともにその日が最後のスイミング、そして進級テストの日だった。しかし、幼稚園が一斉休園となり、その後スイミングスクールも一時閉鎖になったため、最終回のテストは全員が受けられなかったのだ。

 

幼稚園側も色々話し合ったそうだが、3月までにメダル獲得条件を満たした子がいるため、『2年間無欠席だが最後のテストがなくなったため23級のまま』の子をどうするか、頭を悩ませたらしい。結果、やはりテストがあった場合でも全員が合格したとは限らないことなどを考え、22級以上に合格している子と同じメダルを与えることはできないという結論に至り、『2年間無欠席で23級、テスト最終回が受けられなかった子』には、担任の先生手づくりの紙製メダルが贈られた。

 

B組のスイミング金メダル獲得者は7名。紙製メダルを貰った子はもっといたので、金メダルを目指していた子は気の毒だな…と思った。

 

娘は泣き顔のまま、親子で必死になって勝ち取ったメダルを先生にかけてもらった。同じバスで、同じく年間の皆勤で、夏休みに一緒のスクールの同じクラスに入って揃って22級に合格したお友達も、見事メダル達成となった。

 

 

年少のときは欠席日数40日くらいだった娘。

 

スイミングのメダル獲得条件を聞いたときは厳しいなそれ、へぇ〜と完全に他人事だったが、年中は級こそひとつしか上がらなかったが皆勤で終え、年長1回目のテストで23級に合格して夏の短期講習で22級に到達したときには、他人事どころか『絶対何が何でもメダルを取る!』と親子で必死になった。それも、幼稚園生活の思い出だな、と今は思う。

 

そして、家に帰ってそのメダルを飾り、卒業記念品の中身を見ていると、必死で取った水泳のメダルよりサイズも見た目の豪華さも倍ぐらいのそろばんメダルが入っていた。並べて吊っておくと、スイミングメダルが銅メダルに見えてウケた

 

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(うちの照明の関係もある。実際は同じ色)

 

え?そろばんにメダルあったの?

普通〜に手提げに入ってたけど…?

 

全然知らなかったし、そろばんの日があるのは知ってたけど『休まずにテストに合格してそろばんメダルを目指そう!』なんてのを見たことは一度もなかったし、あとで聞いたら一応3月にテストは予定されていたそうだが、これも一斉休園で中止になり、そろばんの先生からの祝電を見たら『テストはできなかったけど一年間がんばったみんなは合格です!』というメッセージが書いてあった。

 

水泳をあれだけ煽ったのはやっぱり…大人の事情があったんだろうなと正直思っている。幼稚園のスイミングがきっかけで、短期講習に行った人やスクールに入会した人も何人もいるしね。

 

で、これが幼稚園生活最後のお帰りの歌とご挨拶をして、行動に戻ってクラスごとの卒園写真を撮って、あとは園庭でそれぞれ先生や友達と写真を撮ったりして、帰宅。

 

卒園式ができたことに、感謝

 

とにかく、『卒園式が中止かもしれない』という不安を抱えながら過ごした一斉休園の期間は、精神的に本当に辛かった。そして、実際に中止を決めた園や自治体もあると聞く。どうかその卒園生達に、いつになってもいい、卒園式をしてあげてほしい…私がその立場だったらそう思うからというだけの感情だけれど、卒園は区切り、門出、別れ、新たな出発なのだから。

 

娘の幼稚園は、今年の3月は保育日数なしという扱いになっている。一斉休園明けの数日は、保護者に登園するかを任せる『自由登園』としたからだ。卒園式の園長挨拶の中でも、『この状況で卒園式をしてほしくないと思う親御さんもいることと思う、申し訳ありません』みたいなことを言っていた。

 

私は、確かに感染のリスクがないとは言えない中ではあったが、自治体が『一斉休園中でも卒業式などは配慮の上、行ってもよい』としていたし、一斉休園などの発表がそもそも公立向けの発表だったのだから、私立幼稚園は従う必要のないものだった。

 

それでも、ギリギリまで感染リスクを減らすために公立と同じ休園措置をとり、最後の四日間だけを自由登園として、卒園式をしてくれた幼稚園、その決定をしたであろう園長には本当に感謝している。

 

卒園式なんて、時期がきたら当たり前にできると思っていた。『できるのかできないのか』なんて考えたこともなかった。卒園式はあるのが当たり前だと。

 

新型肺炎のニュースが出始めてからも、正直ここまでのことになるとは思わず、一斉休園が決まってから『えっ!』とか驚いていた。そうではないのだな、行事がきちんとできるって、こんなにありがたいことなんだと痛感した。

 

この新型肺炎大流行だけでなく、考えてみれば東日本大震災も卒業の時期だった。実際に当時の多くの卒園生たちが、卒園式ができなかったとSNSで見た。そう、災害、病気の流行…いつ何が起こるかわからない。

 

親子でのお別れイベントも、謝恩会も、3月の子供達の登園そのものも中止になった中、無事卒園式ができたことに、私は心から感謝している。

 

幼稚園とはお別れ…ではなく。

 

4年間長女が通った幼稚園ともお別れ、のはずだが、卒園式の時点で、次女の園庭開放を申し込んであったので、毎月1回、土曜日に長女も一緒に行くことが決まっていた。卒園するけど、先生たちとまたすぐに会えるね!と長女とも言っていた。そして、卒園式が終わってから、プレ幼稚園が気になり始め……

 

次回はそのことを書こうと思います。

長女へ。

卒園おめでとう。

2年間皆勤、必死で頑張った水泳のメダル、

本当にすごいと思う。ママには無理!

年長の学芸会では憧れだった演目を踊ったね。

あの姿も、一生忘れない。

卒園証書を受け取って将来の夢を言った姿。

ビデオにはママの泣き声が入ってるよ(笑)

幼稚園、しんどいときも、色々あったよね。

それでも休みたいとは一度も言わなかった。

誰よりも適当なお弁当にも文句も言わず、

どんなときも幼稚園へ行く!

その意志の強さ、我が子ながら尊敬するよ。

本当に頑張ったね、おめでとう!