眠れぬ夜のひとりごと。

タイトル通り、眠れない夜の暇潰しにやってます。半分寝てて誤字多いです。

マタニティライフの話 二人目編

マタニティーライフ、下の子編。

 

まだ二年も経っていないので、記憶に新しく、上の子のときにはなかった経験も多いので、こちらのほうが長くなってしまった(笑)

 

私は、四学年差のきょうだいを希望していた。4歳になっていれば、着替えや排泄、食事もある程度自分でできるだろうし、おむつも取れている。言葉のコミュニケーションもできるし、私にはちょうどいいかな、と2017年度生まれの赤ちゃんを迎えたいなと思っていた。

 

不妊治療からのスタート

 

早く授かれればいいなと、早速病院へ。ホルモン値か何かの検査をすると、見事にあれこれ引っかかり、ショックを受けた。第二子妊娠までの道のりは、約8ヶ月に及んだ。

 

では、下の子の話は妊娠前からのスタートとしたい。記憶も新しいしね(笑)

 

まず訪ねたのは、先生の説明が穏やかでわかりやすく、自宅からも電車で15分ほどのところにある小さな産婦人科。上の子のときは何度かここで4Dエコーをしてもらったり、周りの人にも勧めて好評だったクリニック。

 

ここでわかったのは、まず高プロラクチン血症。プロラクチンの値が高く、服薬を勧められた。プロラクチンの値が高いと、排卵が抑制されてしまい、妊娠しにくくなると説明を受けた。もっとしっかりした説明だったけど、忘れてしまった。

 

そこで私は、家からほど近い商業施設の中にあるメディカルビルに入っている不妊治療専門クリニックに転院した。でも、先生とも医療方針ともあまり合わず。ネットで良さそうな不妊治療医院を見つけたので、初診予約待ちをして、そこへ通い始めた。

 

排卵誘発剤クロミッドを服用したり、何度も卵胞の大きさ計測に通ったり、筋肉注射をしたり、卵管造影検査をしたり、卵管が狭いから手術を勧められたり、プロラクチンが高くなり脳神経外科を紹介されたり、甲状腺の値がよくないから専門医を訪ねるように言われたり…色々あった。

 

さてさてやっとここから。

 

念願の妊娠判明

 

16年12月に受けた卵管造影後、翌1月に妊娠するも流産。流産でショックな上に、卵管造影後妊娠しやすくなるという期間も過ぎていく…でも、私の体質だけはうまくできていて、あんなにプロラクチンか何かの影響で生理周期が長いのに、産後や流産後の月経再開は早かった。

 

そのため、その翌月から治療再開。

 

クロミッドを飲んでも私が14日目に排卵しかけなわけなんてないのに、『まだですねー◯日後に見せに来てください』にちょっとイラついていた頃。三度目のエコーで排卵しかけの卵胞があるとのこと。排卵させる筋肉注射を打ち、『エコーの保険は月3回までなので、次回は自費になります。排卵確認にきてください』と言われた。

 

行かなかった。

 

自費が痛いからだけではなく、エコー検査をして『排卵していますね』となったとしても、妊娠成立しているかはわからない。それなら二週間待って、生理が来たら妊娠不成立、遅れたり検査薬で薄くても陽性が出たら妊娠。このふたつにひとつなのだから、行かなかった。

 

すると、妊娠!!

 

このとき、チェックワンとかドゥーテストは高いので、私は米国Amazonで妊娠検査薬(紙製とデジタル製)を個人輸入していた。生理予定日前から使えるということで使ってみたら、うっすらと陽性判定の線が。格安で数十本単位で持っていたので、毎日毎日検査をすると、妊娠判定線が濃くなっていった。そこで、高いから紙製で陽性が出てから使おうと思っていたチェックワンデジタル(今は国内でも買えます)を使用。

 

これは妊娠してなければ、

not pregnant

妊娠反応があれば

pregnant

 

とデジタル表示されるもの。

出ました!出ました!

 

『pregnant』

 

6週目にクリニックへ行き、

前回の妊娠では一度も見ることのできなかった胎児心拍が確認され、不妊治療専門クリニックを卒業し、紹介状を持って、上の子を出産した病院へ戻ることに。このときは念願も念願だったので、ただただ安堵し、嬉しかった。

 

排卵確認に行かなくていいやーどうせ妊娠してなかったら生理が来るんだし』

 

で本当に妊娠していたのだ。不妊治療専門クリニックからは『卒業祝い』としてひよこ柄のガーゼ手ぬぐいを頂いたが、今も未開封(笑)

 

エンジェルサウンズ無駄買い

 

前回の妊娠が流産だったため、やっぱり初期は不安だった。不妊治療をしていたので妊娠判明が早く、不安な時期が長かった…ので、お腹に当てると胎児の心音が聞こえるという『エンジェルサウンズ』という機械を買ってみた。が、

 

デブ過ぎて全く聞こえず。

 

もう、笑えるのか笑えないのかわからない…。全然聞こえないので逆に不安になり、4千円くらいで買ったのにすごい無駄な買い物になった。今も、押入れに眠っている(笑)

 

大らかすぎる妊婦生活

 

そして、安定期。

 

一人目妊娠中は自由がきき、アロマトリートメントに行ったりもしていたが、今度は幼稚園年少の上の子を抱えての生活。そして鬼遠い甲状腺専門医院への通院も継続。そして何より

 

初産より年をとっている

 

ということもあり、疲れやすくなっていて健診をネット予約で延期にしてもらったり、家で寝ていたこともあった。

 

(※妊婦健診は全て行きました)

 

分娩予約をしたのは、上の子を産んだのと同じ病院。リニューアルされてガラッと変わっていた。リニューアル前も好きだったけどね。

 

上の子のときは何ヶ月になってもあれだけ不安で心配で待ち遠しかった健診だったが、二人目はのんびりしていたら『えっ?もう健診!?』と、四週間の早さに驚くくらいだった。

 

そしてこのときも、

 

つわりは一切なし。

 

友人は『ほぼトイレに住んでた』『つわりが重すぎて入院した』『ゼリーしか食べられずそれも戻して5キロ痩せた』みたいな壮絶体験談を話してくれたが、私は丸っきりの何もなし。

 

やってきました例のアレ

 

やっぱり来ました、坐骨神経痛

痛みでガチ泣きしたよ…

まともに歩けないレベルでした。

 

 

二人目のときは犬印の『ながーく使えるマタニティベルト』を購入。どれだけながーく使えるかというと、今も腰が痛い時などに使っています。坐骨神経痛は10日くらい続いたかな。たった10日?て思われるかもしれないけど、歩こうとして足を地につける度にビキーンと痛み、寝返りをしても痛いのはかなり辛かった。

 

適当すぎる母子手帳

 

上の子のときは、誰に読まれるわけでもないのに、ですます調でビッシリと書き込んであった母子手帳。下の子のときは箇条書きか、妊娠4ヶ月の欄には、

 

特に何もなく元気に過ごした

 

と一行だけ書いてあった(笑)

 

ファミリアのあかちゃんブックは下の子にも用意したが、未だに完成していない。自治体のも産院のも、母親学級は行かず。長女のときは全て参加してハンコがおされてあるが、次女のは白紙。まあ、二人目ってこんなものかな。

 

住吉大社で安産祈願

 

一人目のときは中山寺へ行ったが、二人目は家から近い住吉大社で安産祈願をした。上の子の七五三、私の前厄・本厄の厄払い、子授け祈願を住吉大社でお願いしたので、それもあって住吉に。

 

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腹帯は岩田帯か腹巻タイプから選べた。私はM〜Lというサイズに少々不安を感じつつも普段使いやすい腹巻タイプにした。巨体の私でも臨月まで使えた。

 

 

完全に存在を忘れてたけど、こんな支えベルトみたいなのもついてたのね。それは全然使わなかった(笑)ちなみにこの腹帯、今でも普通に腹巻き代わりに使っている。臨月でも使えた腹帯がズレもせず使える私…

 

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これは私が撮ってあった写真だが、右側中央にある白い安産お守りは社務所で買えるお守りとは違い、安産祈願の祈祷を受けた人だけが貰えるものなので、上の木のお守りと、子授け祈願のときに貰った『種貸人形』だけを、お宮参りのときに返し、白のお守りは記念に置いてある。三角の紙の中には、石を入れておく。これも返したかな。忘れた。

 

腹帯は使わなくてもいいかなーと思っていたけど、この住吉大社で貰ったものと、洗い替えにもう一枚買った。

 

 

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こんな感じで箱に入っていた。この腹帯はホールド感をとても気に入って使っていた。というか、これも今も使っている。腰痛が酷いときに、犬印マタニティベルトと併用している。一人目のときはわけもわからず適当なやつ買ったけど、ワコール腹帯かなり良くて、たまに人に勧めてる(笑)

 

誰にも気づかれない妊娠後期

 

妊娠後期に入るとさすがにお腹が出てきて妊婦らしくなってくるものだが、元から巨体な私…身近な人からすら、妊娠していることに気づかれなかった。臨月まで何度も会っていた実家の隣の奥さんは『えっ?今臨月?』と驚いていたし、出産10日前くらいに四国から会いに来てくれた従兄とその息子は、私が夫と電話でベビーベッド組立ての話をしているのを聞き、

 

『誰のベビーベッド?』

 

とポカンとしていた。私があと10日で出産すると答えるとビックリしていた。他にも産後次女を抱いている私を見た近所の人などに『えっ?いつのまに?えっ?』と何人も言われ、『臨月にも会ってましたよー』と答えては驚かれた(笑)一人目のときは5ヶ月くらいから誰がどう見ても妊婦だったし、私のデカさ自体は一人目も二人目もそう変わらなかったのに、謎だった。

 

胎児ドックで熟睡

 

私が出産した病院では、28週とか30週くらいに希望者には『胎児ドック』があった。自費なんだけど、狭めのプラネタリウムみたいなお部屋で、胎児の様子をしっかり見てくれる。暗めの部屋の天井に赤ちゃんが映し出され、内臓とかもしっかり見てくれる。

 

が、あまりの心地よさに爆睡。

 

上の子のときは転院したのが30週くらいだったので胎児ドックは受けられなかったけど、これもいい思い出になった。寝てたけど。

 

思わぬトラブル…不安な年越し

 

妊娠後期、もうあと1ヶ月少々で出産というときに、なんと血糖値が高いということで再検査になった。年末スレスレの時期に、産婦人科ではなく家の近くの内科でソーダ飲む検査をしてもらうことに。

 

もう仕事納めぎりぎりに検査をしたので、結果がわからないまま、2017年を終えた。これがまあものすごい不安で、いろんなブログを読み漁っては、総合病院に転院した話を見て半泣きになった。そして年明けて2018年、

 

バリバリ妊娠糖尿病判明。

 

さすがに転院とかになるかもしれず、夫に病院についてきてもらった。もう憂鬱で憂鬱で、しかも胎児にも影響があるかもしれない病気。でも、転院にはならなかった。栄養指導を受けただけ。

 

お下がりを出す楽しみ

 

90%女の子ということがわかり、長女が使っていた衣類などを出すのも楽しかった。ただ、生まれた季節が全く違うので、何もかもお下がりで賄えるわけではなく、それなりに買い物も楽しんだ。望んで待ちに待った赤ちゃん、前記事に書いたようにもう産む日も決まってたし、臨月は短かったけど、のんびり楽しく過ごした。

 

 

そんなわけで、二度の妊娠生活は、色々あったといえばあったけれど、穏やかでとても幸せな日々だった。帝王切開を振り返ったら、何だか妊娠中のことも振り返りたくなったので、記憶の新しいうちに自己満的に書いてみました。