私は、二人の子供を帝王切開で出産した。
『帝王切開だって立派なお産なのにラクに産んだ扱いをされる!自然分娩より劣っているかのような言い方をされる!』
こんな話をよく見かける。
勿論、私も少しは言われたことがあるが、
正直あまり気にならない。
相手に貶すつもりがない言葉に『お腹を切るのは怖い』というものがあるが、正直に書くと、
私は自然分娩のほうが怖い。
なぜ『何々なんて怖い、私には無理!』
という言葉が出るかを考えると、
自分が経験していないから。
これに尽きると思う。
私は、自然分娩そのものどころか、
まず陣痛を知らない。
(ちなみに、つわりも知らない)
帝王切開にはざっくり言って二種類あるのをご存知だろうか?
自然分娩の進行中に何らかのトラブル(胎児の心拍低下や回旋異常、母体の血圧が急上昇など様々)により、急遽帝王切開に切り替えるのを
緊急帝王切開
という。ちなみに私の母親はこの緊急帝王切開で私を出産している。36時間の陣痛に耐えていたが、母が出産した個人病院の院長は
ゴルフに行っていて不在
だったそうだ。私が生まれたの…水曜日の朝なんだけど…ゴルフが前の日だったとしても、火曜日なんだけど…(笑)そして、母の母子手帳を見ると、私は42週6日で生まれている。待ち過ぎじゃない…?42週目で生まれて体重は3690gだった。
そして、もうひとつは、事前に帝王切開での出産が決まっているケース。逆子であったり、多胎であったり、母親の骨盤の大きさと胎児の頭の大きさが合わない場合、何らかの理由で自然分娩が困難な場合、帝王切開をするほうが母子ともに安全だと判断された場合に選択される。それから、前回が帝王切開での出産の場合も多くの場合はその次の出産でも帝王切開となる。
これを、
予定帝王切開
という。
私は後者、予定帝王切開で二人を出産した。
一人目の帝王切開が決まったのは、予定日の数日前だった。これは結構珍しいケースだそうだ。直前だったからか、『この日にします』と医師に決められた。39週6日、つまり出産予定日前日に手術することになった。なぜ予定帝王切開になったのかは、ここでは触れると長いので割愛するが、医師が『帝王切開でいきましょう』と提案するようなことがあった、とだけ書いておく。諸外国では普通だそうだが、日本では多分、
『帝王切開をしてください』
と何の問題もない健康な妊婦が希望しても、なかなか通らないと聞いている。私はちょっとレアなケースかな。
帝王切開と決まったとき、怖いという気持ちは全くなかった。帝王切開経験者の先輩ママに術後や入院時のお役立ちグッズをLINEで聞いたり、前向きに考えていた。が、一人だけビビらせてくる人がいた。
まさかの実母。
『こうなぁ〜メスか何かで肉をグッグッグッと切られるの分かるしなー後は痛いし、ママなんかアンタ産んですぐもうとんでもない熱出て、下手したらもう一回切らなあかんとか言われてほんまエライ目に遭うたわ〜』
よくもまあ、これから初めての帝王切開に、それもほんの数日後に臨む実の娘を相手にこれだけのことを言えるなぁと笑ってしまうほどだった。別に毒親とかじゃないんだけど、変なところで正直者なのだ。30年以上付き合ってみてわかるので、まあ軽く流したけどね。
あれよあれよと言う間に出産前夜を迎えた。絶食前に食べたのは、今でも覚えてるが近所の大阪王将だった。帰って布団に入ってからは、私の超絶マイナス思考が炸裂して、『帝王切開 麻酔 切れる』とか検索したりしてた(笑)私はいつもこういうことをする。本当に不安とか気になるというのもあるけど、
最悪の最悪を想定する
という癖があるのだ。それをやってるときはビビるし恐怖もおぼえるが、大抵終わってみたら『想像より遥かにマシだった』となることが多いので、メリットも少々ある(笑)
いよいよ迎えた出産当日。
上の子のときは午後からの手術だったので、当日に夫・母と車で病院へ。何とも不思議な気持ちだった。『ああ、私今から子供産みに行くんだなー』みたいな。私は術前の準備があったので、手術室の隣でずっといたが夫と母は普通に昼食を食べに行ったりしてて、
暇だった。
私の出産で痛かったこと第二位が、
導尿の管を入れるとき
痛い痛い痛い!と声を上げた。そんなこんなで、さあ、手術室に入る時間。開腹手術なので、当然麻酔をかけてもらう。ここで、とんでもない事態が発生した。
デブ過ぎて麻酔が入らない
『膝を抱えてエビのような姿勢で』麻酔を打ってもらうというのはよく聞く話だと思うが、それでは何度やっても麻酔が入らず、何回も何回も…もう数えてないけど、いや数えきれないほど刺し直し。
脳裏によぎったのは、『麻酔ができないので手術中止』とか『県立病院へ救急搬送』みたいなことだった。結局、妊娠により巨デブさMAXの私が、小柄な助産師さんに思いっきり体重をかけて抱きつくようにして麻酔を打つと、入った。このときの助産師さんに、
『すみません、重くてすみません…』
と謝り続けていたが、重くないはずがないのに、重くないですよ!これで麻酔入りますからね〜みたいに明るく励ましてくれた。
そして、感覚がないことを確かめられ、やっと手術開始。執刀医の先生に『痛かったら言ってね』と言われたが、開腹手術中に痛いって何???とビビっていた。
ところが、母にビビらされた
肉を切られる感覚
グッグッグゥ〜👍
など皆無だった。麻酔、効いてた!
優しい看護師さんが声をかけてくれていて、拍子抜けするほどあっという間に子供が生まれた。メスが入ってからほんの数分だったと思う。生まれたのは、
4000g超えの巨大児
2500g以下で生まれた子を『低出生体重児』というのに対し、4000g以上で生まれた子のことは本当に『巨大児』という。我が子の無事の誕生を喜び、今度は開いたお腹の縫合がある。ちなみに、医師から私の子を受け取った助産師さんは『重たい!』と思ったと後で話してくれた(笑)
そして…
ここからが長かった。
産声を聞き、お腹が開いているので抱くことはできないが、生まれたての我が子と対面し、子供は体重や身長の計測、夫がいつの間にかやることになっていた臍帯カットのため、手術室から出ていった。
産声を聞くまでは気を張っていたが、出産を終えると一気に疲れた。血圧が下がり、医師の処置の度に身体が上下に動くような感覚があり、とにかく縫合が終わるまでは不快だった。早く終われ〜と念じていた。
やっと終わり、手術台からベッドに(フロントの女性まで駆り出されてスタッフ総出で)のせかえられ、母や夫、心配して来てくれていた伯母(故人)と対面。子供は母や伯母に抱かれ、私は寝たきり。
早い段階で痛み止めを入れてもらい、さあ、術後の一晩だけを過ごすリカバリールームに戻ろうかというときになったら、
夫と母が帰宅していた。
いやいやいや、何で帰る?!
面会時間、まだあるよね?
『帰りの車で虹見たでー』
などというLINEが母から届いてた(笑)
そしてここからが長い一夜。
担当が夜間帯に変わり、ベテラン助産師さんが何度も私の様子を見に来てくれた。いい人だった。ご自身も三人のお子さんを帝王切開で生んでいるという頼もしさ。
『絶飲食辛いですねーうがいしましょ』
と何度もうがいをさせてくれた。
それを翌日別の看護師さんに言うと、
術後2〜3時間で水分摂取OK
と言われ、えぇえぇえ?!となったし、看護師さんも『え?全然飲んでないんですか?!』と驚いていた(笑)人間って『こういうものなんだ』と思い込んでいると意外と我慢できる。同じようなエピソードに、術前に履かされる加圧ソックスの両足小指だけが外に出ていたのも、それを見た看護師さんが
これ気持ち悪くないですか?
…え?小指だけ何かの理由で出してるんだと思ってたんだけど…違うの??となったり。夜勤担当の助産師さんは、優しいけどあまり痛み止めをバンバン使ってくれず、真夜中にひとり、
『痛い……』
と呟いた記憶がある。
翌日の昼間には入院する部屋に戻り、車椅子に乗せてもらったのだが、一瞬とはいえ座るときに悶絶級の痛みが走った。これが私の初産の痛み第3位かな。ただし、一瞬。
その後は『元気な産婦さん』と皆に言われ、初日から夜以外は母子同室で過ごしていた。でっかく生まれて顔パンパン、
魔人ブゥくりそつの子供
の写真を撮ったり、豪華で美味しい食事を堪能していたが、産後2日目か3日目から…
激しい頭痛が…
これが、出産で体験した痛みダントツ1位。
頭痛が起こる理由は、麻酔針であいた穴から髄液が脳に回り、頭に回ってしまう『髄液漏れ』が原因だった。もう寝て寝て寝まくった。横になっていないと耐えられないほどの酷い頭痛。ちなみにこの頭痛には、ロキソニンなどの鎮痛剤は、
一切効かない。
何度も点滴を打ってもらい、退院の頃にはすっかりよくなっていたが、本当に痛かった。気軽に新生児室で子供を預かってくれる産院だったので、立って下を向いてのオムツ替えもままななかった私は、預かってもらうより他なかった。
と、こんな感じで、私は1児の母親となった。
帝王切開の傷跡は、帝王切開用術後帯みたいなのを準備していたからか、腰が曲がっていたのはほんの数日で、帰る頃には痛みほぼ無しくらいにまで回復していた。
そして、四年半後。
二人目の出産。
このときは初期から予定帝王切開が決まっていたので気楽だった。出産予定日は35週のときに待合室にいたら看護師さんに『何日か何日どちらがいいですか?』と聞かれて自分で決めた。
実際の手術日となったほうは金曜日なのでその後すぐ土日がくるから夫も来やすいかなということと、執刀医が健診でずっとお世話になった先生だからということで我が子の誕生日を決めたのだった。
バースプランには『子供の誕生後処置をするときは鎮静剤で眠らせてほしい』とか『痛み止めは積極的に使ってほしい』などと書き、二択から決めた手術日の前日に病院入り。
このときは車ではなく、キャリーケースを持って電車で産院へ行き、初産とは違って朝一番の手術だったので、前日から泊まり、術前の準備も大半は前夜までに終えていたので、のんびり部屋で過ごし、面会時間ギリギリまで母・夫・上の子と部屋で過ごした。
夕食は病院で出されたが、21時から絶食ということで、これも覚えているが、
20時59分にケーキ食べた
産院の並びに結構有名店ながらリーズナブルなケーキ屋さんがあり、そこのレモンパイだかレモンケーキだかが大好きで、ここから約丸一日何も食べられないことをわかっていたので、ガッツリ食べておいた。入院中も母が毎日のように買ってきてた。あれ最近食べてないなぁ、あの辺に行くたびに休みだったり、焼き菓子しか売らない日だったりで。
次は、ホールで買おう。
手術当日は朝7時に二階に来るようにということだったので、ルイボスティーをのんびり飲んで、『お産ルック』(ピンク地に白ドットのよく見るアレ)に着替え、その下は全裸で下りていった。待機室でやることといえば、恐怖の導尿と点滴のルート確保くらいで、導尿も今回はビビりながらも大したことなかった。
看護実習生二人の見学を頼まれ、
こんなんでよかったら
などという謎の答えで快諾し、え?もう?といううちに手術時間に。1月の寒い時期に、ドットピンクお産着も脱いで、全裸で手術室へ。自分以外は服を着ているので何か…シュール(笑)
さあここで思い出すのが、上の子のときあれだけ苦労した麻酔。執刀医は健診のたびにお世話になった先生だったので、麻酔が全然入らなかったことは話しておいたが、
一発クリア!先生すごい!
先生、自分でも『奇跡』て言ってたけど(笑)ところがこの麻酔がどうやら爆効きしたらしく、血圧が下がり、絶食したのに吐き気が…新生児を迎える部屋なのでそんなに寒くはなかったと思うが、痙攣?と思うくらいガクガク震えるほど寒かった。血圧だけでなく、体温も下がっていたのだと思う。
上の子のときと同じように、助産師さんか看護師さんが状況説明をしてくれたが、あまりにも気分が悪く、あまり耳に入ってこなかった。
生まれましたよ〜!から少し遅れて、産声が聞こえた。このとき、性別を尋ねている自分の声が動画に残っている。90%合ってると思うけど…とは言われていたが、確定しないままの出産だったからだ。
『じゃあ、寝ようか』
先生がそう言って、鎮静剤を点滴してくれた。バースプランに書いておいた、
先生にも直々に頼んでおいたことだ。
これで楽になれる〜!
全然効かず。
上の子のときも、私に余裕がなくて気がつかなかっただけで、多分同じ処置をしてくれていたのだと思う。痙攣レベルの寒気と続く吐き気、血圧下降でピーピー鳴る機械音、そしてやっぱり体が上下するような不快タイムを味わった。
二人目のときは、CDを持ってきていいですよと言われていたので、これを持参。
一人目のときにレンタルで借りて、結構好きだったので、二人目妊娠中に中古CDを買って持って行った。一人目のときは自分のiPodを持参してイヤホンを耳に入れる方式だったが、看護師さんが音量調節がわからず耳に爆音が(笑)結局BGMを諦めたが、二人目のときは部屋に流れるようになっていた。
そうしてどうにか、手術終了。
まだCDがかかっていたので、
多分手術時間は1時間ほどかな?
一睡も寝るどころか意識ビンビンで終了。
健診から執刀までしてくれた先生は本当にいい方で、手術台から『せーの!』とやるときも、リカバリー室に戻ってまたベッドに私を『せーの!』とやるときも参戦?してくれて、事前に渡してあった帝王切開用腹帯を巻いてくれまでした。
(↑上の子のときのはベルト3つだったが、リニューアルされてた。旧版は洗い替えにした)
手術を終えた私を見た夫は、ガックンガックン震えて歯のガタガタも一向に止まらない私を見て、
引いていた(笑)
手術中付き添ってくれた助産師さんに『吐き気と震えがすごかった』と言うと、
『めちゃ麻酔効いてたもん』
と笑いながら言われた。
ちなみにこの人はうちの産院唯一のタメ口キャラだ。一見とっつきにくくて、ハズレかと思った(…と同じ病院で出産した大学の同級生も言っていた)が、実はかなりいい人で、入院中は夜も何度も部屋に来ては様子を見にきて、色々話してくれる方だった。
そして、今度は夫は帰らず、面会時間終了まで一緒に過ごした。術後2時間かそこらで、味つきいろはすを飲むことができた。幸運にも、一人目出産のときに『巨体の私にのしかかられた助産師さん』と『4キロ超えの子供を重い!』と言った二人が当直担当で、手術前日・当日と私の担当をしてくれた。
術後は痛み止めの座薬や筋肉注射をバンバンやってくれて、何度も様子を見にきてくれて、本当に嬉しかった。一人目のときの助産師さん達の写真をGoogleフォトから出してきて見せたら『イヤー!若いー!』とすごく喜んでくれたりとか。
そして朝9時頃出産して夕方前には、
『もう痛みのピーク終わったと思いますよ』
と言われた。
え?もう?これで?
と思うほど、術後はラクだった。二人目以降のほうが強さが増すと聞く後陣痛も、
全然なかった。
だが、私はまたやらかしてしまった。
生まれたばかりの子供の写真を撮りたいとベッドの上で動ける限り動き、隣に寝かせて顔を覗き込んだり、色々とやっていた。
『頭を動かさないほうがいい』
と言われていたのに、一人目のときあんなに辛い頭痛に悩まされたのに、待ちに待った子供の誕生にテンション上がって全て忘れていた。
翌日の昼頃にはリカバリー室を出て、入院の部屋へ。一人目を出産したのと同じ病院だったが、その後リニューアルして各部屋が広くなった上、リピーター特典でワンランク上の部屋に入れるということで、巨大ベッドのある快適ルームでの生活が始まった。(術前の夜からそこにいたけどね。)
この移動のとき、『車椅子を用意しましょうか?』と聞かれたので、初産で体験した痛み第三位を思い出し、
『歩きます』
と即答。実際、どうしても腰は曲がってしまうものの、歩いたほうがラクだった。
部屋のソファに座り、コットという移動式新生児用ベッドに寝かされた子供が部屋に連れてこられた。抱いてまず思ったのが、
軽い…小さい…
下の子の出生体重は約3,100gと標準も標準。重くも軽くもない、普通の体重なのだが、
上の子と1キロ以上違う
ため、めちゃくちゃ小さく感じた。手脚なんてめちゃめちゃ細い。『これがレギュラーサイズか…』と思って、二人目不妊の治療をしてやっとこの手に抱くことのできた子供を飽きずに抱っこして顔を覗き込んでいた。
ただ、上の子は出産予定日前日に4キロ超えで生まれているが、下の子は予定帝王切開のため37週6日と2週間早く生まれているので、単純には比べられないかな。2週間で1キロは…増えないか(笑)
そして産後2日目か3日目くらいかな…
当然来ました、頭痛。
頭痛は二人目のほうが酷く、頭だけでなく首から肩の辺りまで痺れるように痛み、ベッドに寝ていると大丈夫なのだが、立って何かしようとするとあまりの痛みに倒れそうになった。
どれくらいキツい痛みだったかというと、
この超大食いの私が…
産院からのお祝いフレンチディナーを途中でギブアップ、ナースコールして点滴を頼む
レベルだった。ちなみに量としては普段なら三人前は一人で食べられる量だった。食べきりたかったけどとても無理で、これアカン…と点滴。点滴ものすごい長かったなぁ。
お腹の傷の痛みは、頭痛のためか忘れて、いつのまにか背筋が伸び、退院する産後6日目にはスタスタ歩いていました。
帝王切開で出産する人は、
術後は頭を動かさないでね!
まじでエライ目に遭うよ!
ずっと点滴してたし、二人目だからということで調乳指導(ミルク会社の栄養士さんが部屋に来る)とか沐浴指導(新生児室の中でお風呂の入れ方を教えてもらう)は全てパス。
『朝食を食べる→子供は新生児室に預かってもらって、私は点滴を受ける→寝る→気づいたら昼食が運ばれてくる』
という、帰宅後は絶対にありえない幸せな日々ではあったが。朝食べて寝てたら勝手に昼食が運ばれてくるとかパラダイス以外の何なのだろうか。それに、食事の美味しさも素晴らしい。
さて、帝王切開がラクとかどうとかの話だが、予定帝王切開で出産し、一人目のときも二人目のときも自分がリカバリー室で産後一晩過ごしているときに緊急帝王切開になった人がいた私から見ると、
緊急の人は本当に大変そう。
まず、途中までは自然分娩で進行しているため、陣痛の痛みを味わっている。これがすごいと思う。それに、手術日が決まっている予定帝王切開では、心電図の検査や絶食といった手術準備をしているが、緊急の場合はいきなり。陣痛で体力を消耗しているのに、術後も痛い。『緊急』というだけあって突然決まるわけで、『自分は開腹手術をするんだ』という心の準備をする時間がほぼない。
ただ『心の準備が〜』については、私の母、中学からの親しい友人、よく行く喫茶店のママさんら緊急帝王切開経験者の人達の話では、帝王切開に切り替えますと医師から言われたとき、
何でもいいから早く切って
と思っていたらしく、麻酔が入った瞬間天国かと思ったそうだ。私にとっては未知の陣痛…すごい。そして、一人目のときは退院指導、二人目のときは茶話会で他のお母さん達と会い、どちらにも緊急帝王切開のお母さんがいたが、
やはり何の体力も使わず、術前の準備をした上で予定帝王切開をした私のほうが産後元気だった。一人目のときは、『陣痛に耐えたときの筋肉痛と、術後の傷跡が退院指導の日になっても痛い…』と半泣きになっていたお母さんが、ほぼ真っ直ぐに立ってドカンと椅子に座っている私に言ったので、『帝王切開用腹帯』を勧めてみた。
お腹はザックリ切っているが、自然分娩の会陰切開をしていない私は、普通に椅子に座っていたが、自然分娩のお母さん達は部屋に備え付けてある円座クッションに座っていた。その後、人によっては1ヶ月くらい痛いとか違和感があると聞いて、腹を切っている私、
怖い…
と思ってしまった。
自分が体験したかしてないか、結局そこだ。
人がお産をしたら、
母子の無事を喜び、
新たな命の誕生を祝福し、
ママにはよく休んでねと声をかけ、
赤ちゃんを可愛い可愛いと言い、
どんな方法で生まれても、
それに言及しないのがちょうどいい。
ある程度落ち着いてママ同士集まったら、
なぜか出産体験談トーク
が大抵始まるが、それも、『自分はこんな感じだったかなー』と、自分がした自分の体験をサラッと語ればいい。ただ、ちなみに私は、他人のお産体験談を聞くのが大好きだ。正直あまり子供好きではないほうだが、その話を聞いているときばかりは、『この子はそんなふうにして生まれてきたのかぁ』と愛おしいような気持ちになり、頭のひとつも撫で撫でしたくなるのだ。
私の場合は、
と言われても何とも思わない。オバちゃんとかに少々以上の意地悪な気持ちをもって問われたこともあるが、
『ラクだったよ』
と答えている。たまにいるのよ、帝王切開は楽だと決めつけたい人、自然に産みたかったに決まってるのに産めなかった扱いをしたい人が。
楽かどうかに関しては、私は実際産後も含めてそんなに壮絶な体験をしてないので、そう答える。自然分娩を知らないから、比べることもできないし。また、これから帝王切開を迎えることになり不安そうにしている友人知人にもあくまで私はだけど、そんな死ぬほど痛いとか苦しい思いはしてないよ、と自分の体験を話すようにしている。
『子供が無事に産まれ、母親も疲れたりどこか痛んだりしてもどうにか育児をしている』
これでいいじゃない。
これ以上のことはないじゃない。
腹切ろうが下から産もうが、子供の見た目で区別がつくわけでも、履歴書に書くわけでもない、こだわる必要はないと私は思う。
まあ、そんなわけで、頭痛がダントツでいちばん辛かったというよくわからない私の帝王切開体験談になったが、私は帝王切開で産んでよかったと心から思っている。特に巨大児の上の子は…自然分娩に挑んでたらどうなってたか。本人が満足してたらそれでいいし、お産に不満というか納得いかない人もいるだろうけど、そういう人には、その話を向こうから話すまでは触れないのが一番。
さて、そんなお話でした。