眠れぬ夜のひとりごと。

タイトル通り、眠れない夜の暇潰しにやってます。半分寝てて誤字多いです。

結局ちむはどんどんしなかった話。

ちむどんどん、ついに最終週。

 

完走したー!!

 

最終回は、

「完」ではなく「おわり」と出ました。

 

で…前回書いた内容が、

予言みたいに色々と当たってしまった。

 

予言大当たり!

 

f:id:ana5126:20220926063346j:image

 

暢子は、結婚披露宴で覚醒し「沖縄料理のお店をやる!」と宣言して、アッラ・フォンターナから独立。妊娠・出産と時期が重なりながらも東京に「ちむどんどん」という沖縄料理店を開店。最初は流行らず、ついに坊主を通り越して一時休業に。そして当然のように大繁盛したところで…やっぱり沖縄移住エンド。そして、山原村に食堂開店も大当たり!!

 

↑「やっぱりちむはどんどんしない話」に書いた通りになった。私じゃなくても予想できたと思うけどね。

 

超駆け足で頭が追いつかない

 

f:id:ana5126:20220926070059j:image

 

出産の翌週に、「1年後」と出て、生まれたての息子・健彦は、一瞬でもう台詞を喋る幼児に。子育ては義母の重子(しーちゃん)や三郎さんの妻・多江さんが曜日を決めて手伝ってくれたため問題なし。多分、都内のあの豪邸に暮らす重子にとっては実の孫だが、多江は鶴見から通って手伝ってくれていたことになる。

 

矢作を「ちむどんどん」の料理人にするとかしないとか色々あったときに登場した、矢作の妻がこの役割をするのかな?と思ったけど、迷惑をかけたフォンターナに謝罪した以降出番はなく、最終週の「暢子から房子への手紙」の中で、ちむどんどんのおかみさんをやっているシーンに再登場。

 

それにしても、このドラマの中では、

手紙が超便利アイテムだった

暢子から母や房子らに宛てて書いた手紙で「私は何々することになりました。誰々もどこどこで頑張っているようです」とか暢子の声で読まれ、それが映像で映るぶっ飛ばしアイテムだった。

 

暢子の兄・賢秀は清恵と、歌子は智と普通に結婚。最終週の前週、24週はこれまでの話の整理、智と歌子の結婚、暢子一家の沖縄移住を描いたので詰め込みまくり。

 

比嘉家の借金は、賢秀からの仕送りで完済したとのこと。夫婦ともに教員の良子、東京でレストランに勤めたり独立後の沖縄料理店も繁盛した暢子も仕送りしてたと思うけど…まあ、完済できて何より。総額いくらだったのかな?ついでに、ずっと言っていた「倍にして返す」まで実現したと最終週で語られた。

 

お金といえば。

 

暢子が貯めてきた開店資金200万円を賢秀がマルチ商法に手を出したせいで騙し取られたとき、「暢子ちゃん、お金を送ろうね、開店資金にして」と即答してくれたのは、義兄の石川博夫。

 

f:id:ana5126:20220926065816j:image

 

200万円を姉夫婦に返したかはわからないけど、博夫も良子も、和彦と暢子に沖縄移住を勧めていたのでこれも問題なし。「ちむどんどん」は閉店するわけではなく、これも誰でも予想できたと思うけど、矢作が引き継ぐことに。そして…暢子こだわりの沖縄そば、映る度に思った。

 

出汁の量少なくない?!

 

後半はもう駆け足のブチ込みの…

 

ここまで焦るなら、また、ヒロインの息子の成長が数分しか描かれないなら、いらなかったのはやっぱりうまんちゅ給食の話かなぁ。週をまたいで描いていたけど、何が起ころうが結末は「子供達がおいしく食べてくれました」以外にないんだし、あんなに時間を取らなくてもよかったかも。

 

見るか見ないか、それだけ!

 

f:id:ana5126:20220927040943j:image

 

「ちむどんどんするかしないか」で暢子は沖縄移住を決め、和彦は智に歌子への想いを伝えるように促していた。とにかく「ちむどんどん」言いまくり。何かと比較してきた、そして後半になるほど似ているところの増えた「ちゅらさん」は意外にも台詞にちゅらさんは出てこなかった

 

上の台詞を私達視聴者に当てはめると、

見るか見ないか、

見たいか見たくないか

 

だと思う。

 

「ちむどんどん」はたまたま第1週の配信に間に合って、見始めたら何だか義務感のようなものが出てきて、最終週まで見た。私はこういうことがよくあって、ある程度のところまで見たら全部見るけど、放送前に注目していても時間が合わなかったりで何話か飛んでしまうと見るのをやめる。アニメでもドラマでも何でも。

 

たまに離脱するときもあるけどね(笑)

大河ドラマ「いだてん」を「りだてん(離脱)」したな。「麒麟がくる」は放送前からとても見たかったけど、見られないことが多くなってほぼ見なかった。

 

NHKプラスの配信で見た朝ドラはちむどんどんが初めてだったけど、「なつぞら」は当時幼稚園児だった長女と見るようになって、気がつけば夫も参戦してきて、最終回まで見た。なつのおじいちゃんを演じた草刈正雄、「ちむどんどん」最終週に登場!

 

ちむどんどんは、

無料見逃し配信があったから最後まで見た。

12週くらいでついに何話か見逃して、15分のダイジェスト版を見たことが一度だけあったかな。大体「あっ!今週の配信終わる!」とその週の5話を一気見することが多かった。

 

NHKプラスがなかったら、

多分10週ももたなかったと思う(笑)

もう最後だし、あまりけなしたくないので、

「見るか見ないか」を決めるのは私達。

私は「見る」ことを選んだ。

 

ちゅらさんの時代は、テレビでしか見られなかった。今はテレビはもちろん、NHKオンデマンド(サブスク)やNHKプラス(期限のある無料見逃し配信)があるので、スマホで好きな時間に見られるというのが大きかったと思う。

 

我が家はBSを契約していないので、本放送の時間にテレビをつけたり録画してでも見たかと考えたら多分見なかった。

 

最終週、いいところもあったけど…

 

f:id:ana5126:20221003075055j:image

 

暢子一家が沖縄に移住して一年後。

 

最終週らしく、高校時代の親友・早苗、暢子に片想いをしていた正男(←存在忘れてた)、良子にプロポーズして振られた喜納金吾らが再登場。

 

そして、「決着のつけ方を考えていなかった」謎のペペロンチーノ勝負で房子に沖縄に来てほしいと頼んでいたが、大里さん草刈正雄)がお母ちゃんを探していることを知ったため、一緒に来たようだった。

 

大里さんは優子の姉の最期を看取った人。形見の品を持参し、「見捨てたんじゃない、探したけど見つけられなかったと妹に伝えてほしい」という姉の言葉を優子に伝えた。

 

生死のわからなかった姉の最期を知ることができ、姉が大切にしていたかんざしを受け取ったお母ちゃん。よかったね。

 

そして沖縄二世の房子は、甥である賢三(お父ちゃん)の墓まいりをして、目の前の海に「ただいまー!」と嬉しそうに大声で叫んでた。

 

暢子は、実家で食堂「やんばるちむどんどん」を開店することを決意。まあ普通にみんなが協力してくれて、製麺機壊れてオープンの危機〜でも初日から大盛況でした〜

 

トラブル何もなしの最終週もおかしいけど、あれこれ詰め込みすぎ感があったし…大ピンチだったけど皆総出で徹夜で材料を用意して、何とか開店できた!くらいでよかったような。

 

そんな時、歌子、倒れる。

 

これが一番いらなかったかな…。

東京の病院で検査をしても原因不明だった歌子の病気。原因や病名が一切語られないまま、医者が「あとは本人の気力と体力…」とか言い出した。

 

熱が下がらず、意識不明。

どうやら生死を彷徨っているらしい。

 

何の病気???

 

(具体的な病名を出さないのは、その疾患をもっている人への配慮とも言われている)

 

f:id:ana5126:20221003061050j:image

 

賢秀・良子・暢子がお父ちゃんのお墓の前で海に向かって「お父ちゃーん!歌子を助けてちょうだーい!」と叫び、暢子にだけお父ちゃんカットイン。

 

お父ちゃんが亡くなったときはこの逆で、暢子にだけ特に何も言わず息を引き取ったからかな。

 

f:id:ana5126:20221003054122j:image

 

最終週には、ちゅらさんのニーニーを演じたゴリが、父親役だった堺正章と同じタクシー運転手として登場。車内にゴーヤーマンがぶら下がってた。これくらいはいいと思うけど、暢子達がお父ちゃんに歌子を助けてほしいと叫んでいる、多分「視聴者の皆さーん、お涙ちょうだーい!」のシーンで、賢秀がゴリに、

 

お前もやれ!!

 

ゴリも叫ぶ。

…てそんなコント要素いらなくない?

 

f:id:ana5126:20221003050732j:image

 

まもるちゃんも歌子の回復を賢三の墓前で祈ってくれていた。一言も台詞のなかったまもるちゃんが叫んでいないことをゴリが指摘すると、「あの人はまもるちゃん!!お母ちゃんと同じ収容所で、わかるだろ!」

 

いや、わからんわ(ゴリは)

 

まもるちゃんも沖縄戦でとても大きな心の傷を負い、発語できなくなるほどだったことが賢秀からクソ適当に語られた。「やんばるちむどんどん」のお客さん第一号として来店し、「はぁ、まーさんやー」としみじみと一言だけ台詞を発した。

 

まもるちゃん、ずっと登場してたんだから、もっと早く、誰かの台詞一言でいいから、言っておけばよかったのに。ずっと「一言も喋らない謎の人物」扱いだった。

 

202X年にワープ!人多すぎ!

 

f:id:ana5126:20221003045833j:image

 

いよいよ最終回。

お父ちゃんのお仏壇(トートーメー)の前に花がふたつ。まさか歌子は…?とは誰も思わなかっただろうけど。

 

202X年て何?!

 

1985年からワープ。無駄に私の年齢を当てはめると、私は1986年生まれなので、生まれる前年から34〜43歳に飛んだことになる。すごい歳月だ。

 

だが、皆1ミリも老けてない。

ちょっと白髪にしてみましたよ程度。

 

f:id:ana5126:20221003045817j:image

 

暢子は1954年生まれ。

202X年とか面倒なので、放送年である2022年とすると、68歳。xなので9まで入れられる。2029年とすると75歳!賢秀、智、和彦は同学年かつ暢子の4歳年上なので、79歳!

 

f:id:ana5126:20221003060824j:image

↑202X年、70代後半の和彦。良子とLINE。

画面はLINEだったが台詞はメール。

NHKだからかな?

「香水」の歌詞はオッケーだったけど。

 

いくら何でも全員若すぎる。

 

f:id:ana5126:20221003054303j:image

 

最終回には、暢子ら四兄妹の子供時代を演じた子達が孫役として再登場。これはいい。いいけど、人数はとにかく多いわ、孫どころか子供の情報も少ないからもう何が何やら誰が誰やら。

 

というわけで整理してみた。

 

  • 青柳和彦・暢子

 

子供は青柳健彦ひとり。健彦と妻との間には娘が三人。次女のみ「未来」と名前がついていて、夢はパティシエ。もちろん暢子役だった子が演じた。三姉妹の次女設定にしたのは、祖母の暢子と同じだからかな。

 

  • 比嘉賢秀・清恵

 

子供は比嘉賢太ひとり。最終週の暢子レターの中で赤ちゃんだったが数日で妻子持ちになった。賢太と妻の間には息子1人、娘1人。賢秀の孫を演じたのは賢秀役だった子。大人になっても賢秀がここぞというときにつけていたバンドを頭につけていたが、暢子は「何それ?」と存在を忘れていた。

 

  • 石川博夫・良子

 

子供は晴海ひとり。夫婦共に校長まで勤めた。晴海と夫の間に娘1人、息子1人。娘は良子役の子。家族写真では博夫の70代後半設定は無理がありすぎた。晴海が小さいときに行くはずだったハワイ旅行の旅費を暢子の開店資金にしたせいか、海外旅行実現は銀婚式のときだったらしい。

 

  • 砂川智・歌子

 

ここがいちばん謎。

子供は1人のようだが、歌子が出産したことはナレーションや暢子レターですら語られなかったため、子供が息子か娘かは不明。家族写真には息子夫婦または娘夫婦と孫は男女1人ずつ。男の子のほうが背が高いこと、歌子が末っ子であることから、歌子の孫娘が妹かな?そして、歌子はここ10年風邪ひとつひいてないらしい。

 

f:id:ana5126:20221003063344j:image

(左の子が暢子の孫、未来)

 

クレジットには、孫で名前が出ているのは健彦の次女・青柳未来のみ。未来以外は未来の姉、未来の妹。暢子の子供時代を演じた子はヒロイン扱いを受けたのかも。他の子は名前もなく、賢秀の孫、良子の孫、歌子の孫だった。

 

お父ちゃんとお母ちゃんには、暢子に孫3人、賢秀に孫2人、良子に孫2人、歌子に孫2人の計9人のひ孫が誕生。賢三・優子夫妻には子供が4人いて孫も4人だったので曾孫は少なめ

 

ここで集合写真撮ってハッピーエンドでよかったのだけど…ちょうどお母ちゃんの誕生日だったしね。海外留学とパティシエを目指す暢子の孫の未来がケーキを作ったとかにでもしてね。

 

f:id:ana5126:20221003061222j:image

(70代の娘、息子を持つひいばあちゃん)

 

ところがラストシーンは…

 

え?何で戻った?ていうか怖い

 

f:id:ana5126:20221003063313j:image

 

「これは、あるやんばるの家族の物語です」か何かナレーションが入って、202X年から暢子が高校生の時代にタイムスリップ。ウチだけ料理を作るのが嫌だとか、暢子の内定取消とか、貧乏で夕食がお粥(ボロボロジューシー)だけとかだったあの頃だ。

 

さっきまでじいさんばあさんだった優子、賢秀、良子、暢子、歌子がビビるほど若返った。暢子と歌子が高校の制服姿なので、1971年に戻った。4人で食卓を囲み、「テビチも作って」「イカスミジューシーも作って」という兄や妹に、暢子は笑顔でうん、うんと言っている。

 

そして、ラストシーンはあのいつもの木からシークヮーサーをもいで食べて、カメラが引いていく。おわり。

 

お父ちゃんは202X年のお母ちゃんの誕生日会で、暢子にだけ聞こえるハッピーバースデートゥーユーを歌っていた。お父ちゃんが生きているところまで戻すと、暢子らが子役になってしまうので、借金まみれで進路も決まっていなかった高3に戻したのかもしれない。

 

え…?

そんな平和な食事風景あった?

 

と、正直なところラストシーンが何か謎を通り越してちょっと怖いぐらいの感じで「おわり」。

 

ちむどんどんしなかったけど

 

f:id:ana5126:20221003064425j:image

 

最終回まで見て、今の気持ちは…

 

謎の義務感で配信終了までに一気見する生活が終わった〜という感じ。本当にいろんなケチがついたドラマだったと思う。謎も多かった。でも、見たのは自分なので、特に後悔してるとかはない。

 

あと、やっぱり20年以上前の作品なのに、ちゅらさん超えはならなかったと思う。パクり?みたいなところも多かった。

 

でもね、最初に「ちむがどんどんしない話」のときに書いたように、朝ドラのヒロインってこんなもん。ヒロインはどんなピンチに陥っても周りが助けてくれる。だからこそ「ヒロイン」

 

毎回タップで飛ばしてたけど、オープニング曲の「燦燦」はよかったと思う。劇中で流れたときしか聞いてないけど(笑)

 

夜中に目が覚めて、「うわぁ暇〜!あっ、今週ちむどんどん見てない」ていうときには素晴らしい暇つぶしでした。

 

舞いあがれ!

 

f:id:ana5126:20221003065703j:image

 

さて、今日から放送の2022年後期朝ドラは、

 

「舞いあがれ!」

 

ヒロインは福原遥

まいんちゃんで有名だとか。

プリキュアの声優も担当しました。

 

舞台は東大阪。長崎の五島列島も出てくるとか。ヒロインは東大阪町工場の娘として生まれ、パイロットを目指すというお話。

 

ということは…

多分キャストの多くが大阪弁を話す

 

ヒロインの父は高橋克典、母は永作博美、兄は横山裕。このうち、完璧な関西アクセントで話すのは横山くんだけかも。

 

東大阪の人々」には山口智充くわばたりえ又吉直樹などこの人達なら大丈夫!という関西出身のキャストの名前もたくさん。

 

だからこそ、大阪弁のアクセント、イントネーションがちょっと…という人がいると、余計に目立つ。関西のことばは、アップダウンが多いんです。標準語(共通語)から考えると、そこにアクセントがつく?という単語がたくさん。

 

そういえば、「ちむどんどん」の沖縄キャストの台詞、たまに、え?てなるほど完全な関西弁に聞こえるときがあった。お父ちゃん、智、良子、博夫らの台詞が「今のって関西弁じゃない?」となったことが何度も、いや毎週1回くらいあった。あれ一体何だったんだろう?

 

「舞いあがれ!」にも大阪弁がめちゃくちゃおかしい人が誰かは出てくるんだろうな。

 

見るかどうかは…未定!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめてのプリキュア映画の話。

先週末、4歳の次女が、人生初の映画館へ。

長女の初映画は3歳のとき。姉妹揃って、人生初映画はプリキュアとなった。

 

必勝法!グッズだけ先に買え!

 

f:id:ana5126:20220925035548j:image

 

映画公開に合わせて、限定グッズが販売される。長女の映画デビューのときは何となく見に行こうとなった日が、運良くたまたま公開当日か翌日だったので完売しているものはほとんどなかった。そして、当時は何も知らず、映画館に行けばグッズはいつでも買えるだろうと思っていた。

 

初映画以外は夫と娘だけで見に行くようになって、公開後何日も経ってからだとグッズがほぼないということを知った。映画館に行った夫に「あれは?これは?」と聞いても「ない」ばかり。

 

ただ、長女はグッズをそこまで欲しがるわけでもなく、親子でハマったのは最初の映画だけだったので、最近は「何か欲しいのあったら買ったら?」くらいになった。

 

次女にとっては初めての映画、いい記念にしてやりたいと、公開初日の朝、映画館にグッズだけ買いに行ってきた。

 

今回のデリシャスパーティ♡プリキュアの映画では、これはお得!な「ドリーミアコンボセット」が発売されることを知った。

 

セット内容は、ヘアカチューシャ・ポップコーン・ドリンク・ポップコーンとドリンクを置ける紙製のホルダー・限定ショッパー。

 

私は思った…

 

これは絶対連休中になくなる

 

カチューシャだけでも映画グッズだったらまあまあな値段になりそうだし、ポップコーンと飲み物だけで千円くらいする場合もある。

 

近くの映画館で取り扱いがあることがわかり、一人で買いに行った。行くまでは「映画を見るのは今日じゃないから、ポップコーンは持って帰って家族で食べるか…」と思っていた。ところが、渡されたのはドリンクとポップコーンの引換券

 

「映画公開期間中ならいつでも使えますよ」とある。これは素晴らしいシステム!!

 

そしてこのセット、発売の情報がものすごく曖昧だった。取扱のない映画館も結構あるらしい。ツイート検索をしてみると、もう完売している映画館も多く、公開初日に買いに行って正解だった。

 

f:id:ana5126:20220925041114j:image

 

ドリンクホルダーも発売される。イオンシネマ系列はホルダー+ドリンク+ヘアゴム付き、その他はヘアゴムではなくランダム配布のアクリルキーホルダー。

 

お値段1,100円。

 

まあ、どうせ家で使うことなんてないけど…と思いつつ、2人分購入。イオンシネマのほうが200円安い上に、ヘアゴムは好きなものを選べる。ホルダーのフチ部分がピンクなのも可愛い。近所にないから諦めたけど。

 

ブラインドのアクリルチャームを開けてみると、ダブらなかっただけまだマシだが、キュアヤムヤムとキュアスパイシー。次女が好きなのは主役のキュアプレシャス。あぁ…外したか…と思ったら、キュアヤムヤム推しでキュアプレシャスのアクリルチャームを引いた女の子がいて、交換してくれた

 

女の子はとても嬉しそうに私にお礼を言ってくれて、私もその子とお母さんに全力で感謝を述べた

 

あとはパンフレットと下敷きを購入。クリアファイルは「どうしても欲しいわけじゃないし、使うの私だし、あったら当日買ってきてもらえばいいかー」と思って買わなかった。が、後述の別の映画館では公開翌日に完売していた

 

今回はあまり心惹かれるグッズはなかった。長女のときは可愛いものがたくさんあって、あれもこれもと買った。今も使っているものもあるので、公開直後に行ってなくてもし何も買えなかったら…と想像したらゾッとする。

 

ちなみに長女のときのドリンクはこれだった。

今も台所に置いてある。

使ってないけどかわいすぎる。

 

f:id:ana5126:20220925043500j:image

 

映画オリジナルグッズは、オンラインでも買える。公開当日の0時に販売開始。送料が700円で届くまでに結構かかるが、誰でもが私みたいに公開当日にグッズだけ買いに行けるわけではないので、方法としてはアリだと思う。ただ、ドリンクやポップコーンなどの飲食物系は多分オンラインでは買えない。

 

ポップコーンバケツのために

 

我が家には一体いくつポップコーンバケツがあるんだろうか…ユニバーサルスタジオのエルモと禰󠄀豆子、行ったこともないけどディズニーランドのも2個くらいあるし、アンパンマンミュージアムのが2個、ひらパーで買ったピカチュウ、そして長女のプリキュアポップコーンバケツ。

 

プリキュア映画のポップコーンバケツは、イオンシネマのみ販売。長女のときは、見に行ったのは10月公開のキュアモフルンだったが、上から見たときにモフルンの絵が可愛かったので、その年の春に公開されたプリキュアオールスターズのポップコーンバケツを先にメルカリで買ってあった。

 

f:id:ana5126:20220925052813j:image

(長女初映画のとき↑)

 

イオンシネマは遠いので、限定商品を買いに行くことはまずないだろうなと自分でも思っていた。

 

長女はその後もごま映画を見に行くときはこのポップコーンバケツを使っている。今回も姉妹でこれを使おうかなと思ったが、

 

「姉にしたことは、できる限り妹にもしよう」

 

服や幼稚園の指定用品など、姉妹の妹はお下がりが多くなるのはある程度仕方ないけれど、記念になるようなことは、いつもそうしている。

 

長女のときも初映画、初めてのプリキュアだけはあんなにガチだったから、次女にも買ってあげようとイオンシネマに行ってきた

 

f:id:ana5126:20220925053655j:image

 

たまたま私が外出していて、某イオンシネマ直結の地下鉄にすぐ乗れる場所にいたこともあり、頑張って行った。普段通り家で寝てたら多分行ってなかったと思う(笑)あと、今回も長女のポップコーンバケツを使えばいいやと書いたが、見に行く前の日に探したものの、どこにしまいこんだのか思い出せず見つけられなかった。…気になって探したら、クローゼットで発見。

 

まあ今回は「ドリーミアコンボセット」があったので、長女はバケツなしで見に行くことに。

 

イオンシネマに行った話に戻って。

いちばん近いイオンシネマなのだが…

 

死ぬほど遠かった。

 

片道約35分、片道交通費330円…

行ってみたら無事あって買えたが、公開2日目で残り数個。ドリンクホルダーやグッズは完売しているものも多かった。

 

f:id:ana5126:20220925054421j:image

 

見に行く日は公開3日目の朝一番の回と決まっていたので、今回はメルカリ作戦も使えず。次女にも、母がすごい労力をかけて買ってきたプリキュアポップコーンバケツを今後も使ってもらう予定

 

イオンシネマとの大人の事情があるのだろうけど、映画といえばポップコーン!だし、バケツくらい柄違いでもいいから他の映画館でも扱ってくれたらいいのになぁ。

 

他のグッズも、再入荷が少しくらいあっても普通に売れると思うんだけどな。公開したらすぐに行かないと買えないのは少し残念な気が…

 

そんなわけで、人生初の映画館なのにすでにポップコーンバケツやカチューシャやドリンクホルダーを持って行くという謎な感じにはなったが、次女は映画を楽しんできたようで何より。子供にもらえる来場特典のリングも喜んでいた。前はライトだったなぁ。

 

f:id:ana5126:20220927111921j:image

 

長女は2歳児(満年齢では3歳)のときにプリキュアデビューだったけれど、コロナの影響などもあり、姉より2年遅い映画&プリキュアデビューとなった次女。長女は私が連れて行ったので覚えているのだけど、3歳になったばかりでもしっかりと見ていた。次女は上映終盤にはちょっと飽きてたらしい(笑)

 

私自身は、映画なんてもう全然見に行ってないなぁ。最後に見たのは、コードギアス復活のルルーシュ

 

ということで、次女の映画デビューの話…というかプリキュアの映画グッズの話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱりちむはどんどんしない話。

ちむどんどん、NHKプラスの見逃し配信で見続けている。毎週「あ、やばいやばい配信が終わる」とソシャゲのイベント終了前にちょっと焦るくらいのテンションで見て、ついに第12、13週は15分のダイジェスト版だけを見た。

 

それでもまだ完全離脱はせずに見続けている。確か、前の「ちむがどんどんしない話」を書いた頃は、迷惑をかけっぱなしの兄が現実的にありえない話でお金を儲けて、上京の夢が破れかけたヒロインの「コックさんになる!!」という目標に近づけたところまでだったと思う。

 

f:id:ana5126:20220723071544j:image

 

ヒロインが結婚を決めるところは、朝ドラの大きな一区切りでもあるので、この辺りで書いてみることにした。

 

貶してばかりではダメなので

 

この配役はいいな、と思うところなど、イイネポイントを先に書くことにする。鶴見の沖縄県人会会長役の片岡鶴太郎さん。顔も濃い目だし、また堺正章みたいな方言を喋るのかと思ったが…

 

両親は沖縄の人だが、三郎さん(役名)本人は沖縄二世で、鶴見で育ったという設定。不自然な喋り方ではなく、会長だからと威張り散らかす役でもなく、この設定はとてもよかったと思う。

 

新聞社の上司、田良島さん(山中崇)もいい役だと思う。暢子の導き役が大叔母オーナーなら、和彦の導き役をしてくれている。まあ、田良島のバックにも房子あり、だけど。

 

他…他…なんかあったっけな?

思い出したら書くわ……

 

暢子、コネまみれの就職

 

f:id:ana5126:20220722172707j:image

 

東京の大学に進学した友人の早苗と一緒に、暢子(黒島結菜)は銀座のイタリアンレストラン「アッラ・フォンターナ」で食事をする。で、上に書いた沖縄県人会会長の三郎さんに下宿先を紹介してもらい、何とその「アッラ・フォンターナ」のオーナーへの紹介状まで書いてもらう。

 

毎回のようにクビをチラつかされ、サラダ作ってみてとか10連勤で来いとか色々ありながらも、実はこのお店のオーナー、暢子の大叔母さんでした!というオチ。

 

どのコネもなかったら絶対無理な就職だった。

そして、「比嘉さんって呼ばずに暢子と呼んでほしい」「オーナーは料理もしてないのに偉そうです」とか、やっと賄い当番を任されてスタッフ絶賛のカレーを作るも、使った肉はお店のメイン肉料理に使うものでしたとか、とにかく酷かった。

 

シェフの二ツ橋さんを演じるのは、高嶋政伸。昔のドラマ「HOTEL」のときのような、温厚で優しい役柄。そんなの久しぶりに見た。オーナーの房子(原田美枝子)が暢子をクビにしようとする度に、この二ツ橋さんが庇ったり口添えしてくれる。画像に貼ったように、髪をおろしたまま料理をしていた暢子。あだ名にまでされた口癖「まさかやー!」は視聴者の台詞だ。

 

ドラマの中の世界では、暢子は今もこの「アッラ・フォンターナ」で働いている。

 

良子の結婚

 

f:id:ana5126:20220722171022j:image

 

前回は良子(川口春奈)をとても気の毒に思い、サイコパスかもしれなかったお母ちゃん(仲間由紀恵)にもっと良子に寄り添ってあげてほしかった…と思ったが、そうでもなくなった

 

良子が勤めていた勤務先の学校にまでストーキングしてきていた、大金持ちの息子、喜納金吾との縁談が持ち上がる。

 

でも、良子は石川裕夫に恋をしていて…

裕福な喜納家に嫁げば、借金まみれの実家の助けにもなると悩む。

 

「良子は家事ができないから、仕事もしたいから」と母が働く共同売店に来た喜納金吾に言う。これに対する金吾の答えは現代の男性でもなかなか言えないんじゃないかと思うほど素晴らしい答えだった。

 

家事は家政婦さんを雇えばいい、

結婚後も仕事を続けて全然オッケー!

 

私だったら金吾と結婚する。

 

色々あって金吾との縁談を受け入れることになった良子は、詐欺師に騙された兄が以前めちゃくちゃにした川ちゃんハンバーガーショップで石川と話す。私を止めてよ〜ムーブ全開で、「私が打算のために結婚することを何とも思わないんですか?」とか言う。

 

石川は「それは君が決めること。自分の人生は自分で決めるべき。君の選択を祝福する」と言われ、思い通りの答えを得られなかった良子は帰る。石川は川ちゃんに心配されるほど酒をあおっていた。

 

喜納家、比嘉家顔合わせの日。

金吾の母は結婚後の新居には大きなテレビとか買いましょう!とか、やっと末娘が黒電話を引いたばかりの比嘉家で幸せそうに金持ちムーブ

 

そこへ大昔の恋愛バラエティ番組のように、石川が「ちょっと待ったー!」とばかり登場。

 

石川「僕は長男で…家も古い考え方で、将来は家や墓を継いでいく立場で、つまり…つまり…つまり…」

 

つまり何回言うねん?

 

良子は「遅い!!ぽってかす!!」とかキレた後、「金吾さんと結婚できない、私は石川裕夫さんと結婚します」

 

高そうな指輪まで買っていた金吾は、ブチギレて暴れてもいいような場面で、つまりつまりbotみたいな石川に…

 

f:id:ana5126:20220722170925j:image

 

「良子さんを幸せにしてください。お願いします」と泣き笑いだが素晴らしい表情で頭を下げる。

 

私だったら金吾と結婚する。

 

その後さっさと結婚式をして気づいたら妊娠してて、視聴者時間で言えば翌週には離婚すると言い出した良子…ある意味すごい。そして、今にいたるまで裕夫とは別居婚。娘をつれて実家で暮らし、妊娠中に「先生の代わりはいても子供の母親はうちだけだから」とあっさり退職したものの、元職場に復職している。

 

娘の晴海は裕夫が自宅に連れて帰って面倒を見ていることもあるようだが、良子は小学校で仕事、お母ちゃんは共同売店で仕事…ということは、幼稚園から帰った晴海の世話をしているのは、体調不良で仕事を辞めた末っ子の歌子(上白石萌歌)だろうか。

 

良子の結婚話で沖縄がゴタゴタしていた頃、ヒロインの暢子は「負けたらクビ」で店のオーナーとペペロンチーノ対決やってた。どうでもよかった。

 

恋愛はちゅらさんのパクり

 

f:id:ana5126:20220722175441j:image

 

またも出てきた「ちゅらさん」の話。ちゅらさんのヒロイン恵里(国仲涼子)は、生まれ故郷の小浜島に来た文也(小橋賢児)との結婚の約束を誰にバカにされても信じていた。

 

その恵里と文也ですら、上京してからそんなにすぐには再会しなかったが、暢子と和彦(宮沢氷魚)は、房子オーナーに行かされた新聞社であっさり再会。沖縄を出てすぐに会っている。しかも、同じ下宿で暮らす。「まさかや〜」が便利過ぎて笑う

 

文也と和彦に共通していたのは、ヒロインと再会した時点で恋人がいたこと。医師の文也には女医の遥(小西真奈美)が、新聞記者の和彦には同じく記者の愛(飯豊まゆみ)がいた。

 

恵里は幼い頃の約束を信じ、ずっと文也のことを想い続けていたため、一度自分から告白した。そのときは玉砕したものの、恵里が小浜島に傷心旅行に行ったと聞くと、文也は一緒にいた彼女の遥に「バカなことをしてみたいなぁ」と言い小浜島へ直行、恵里にプロポーズ

 

f:id:ana5126:20220722175615j:image

 

それでも視聴者があの小浜島プロポーズシーンで感動できたのは、恵里の一途すぎる思いをずっと見てきたからだろう。また「文也と遥ってそんな親密に付き合ってるの??」という描かれ方で、恋人を恵里に譲った形となった遥の反応も何ともアッサリしたものだった。そして、遥は最終週まで登場し、体調に異変を感じた恵里を診察する役目まで果たした。

 

和彦と愛は婚約し、親との顔合わせも済ませ、式場の下見はどうするかという段階まで来ていた。愛は和彦が暢子を想う気持ちに気づきながらも「気づかないふりをしていた」と手紙に書き、和彦に慰謝料請求してもいいレベルの婚約破棄で恋人を暢子に譲る。

 

しかも暢子は愛本人に、

「うち、和彦くんが好き。でもきっぱり諦めるね!」と面と向かって言う。愛は和彦が暢子を好きだと気づいているので、気の毒すぎる。愛は仕事の出来を買われて別の新聞社に転職し、憧れていたパリでの勤務が決まったが、ぜひパリで幸せになってほしいと願わずにはいられない

 

私は第一週で思ったよ…「あ〜東京から男の子来ちゃったよ、お前のことは俺が守ってやるとか言っちゃってるよ…これは結婚するんだろうな」と。

 

美しい海で、略奪逆プロポーズをかました暢子。そして次週予告に、今まで一度も出てこなかった和彦の母が登場。鈴木保奈美。なぜ???ここまで台詞の一言にも登場しなかった(はずの)和彦の母が、突然出てくる??

 

お母ちゃんの再婚話

 

f:id:ana5126:20220723063635j:image

 

鶴見の「ゆがふ」…じゃなかった「あまゆ」の前で、「智と結婚するんだろ?明日にはここ出て行くよ、え?断った、じゃあ出て行かんわ」とか和彦の謎話を聞いていたとき、暢子に実家から急用の電話がかかってくる。

 

良子&歌子「お母ちゃんが再婚するかも!」

暢子「えっ!うち今すぐ帰る!!」

 

ただでさえ、料理人が何人も辞めたアッラ・フォンターナを突然欠勤し、誰か危篤レベルに焦って沖縄へ帰った暢子。お金のない賢秀も連れて。

 

共同売店で一緒に働く善一さん(誰かの台詞の中でもう結婚したらしい早苗の父)とお母ちゃんに再婚話が持ち上がる。言い出したのは、役時代に意地悪ポジで描かれたが正論しか言ってなかった賢吉おじさん

 

そこから五日丸々描かれたのは、

 

何で今言うの?な過去話。

 

お父ちゃんとお母ちゃんの戦争体験、お母ちゃんの実家のことなど、四兄妹全員初耳。戦争のつらい記憶を語ることができない戦争体験者の方々は実際にいる。お母ちゃんもそうだったのだろうと察することはできる。

 

ただ、子供四人の誰一人として大人になるまで、お母ちゃんの生い立ちを何も知らないのは少々不自然。「触れてはいけない話」だった様子もない。

 

お父ちゃんが生きているうちに台詞で一言でも、「お母ちゃんには昔のことや家族のことを聞かないでほしい。お母ちゃんはとてもつらくなってしまうわけさ。いつか話すまで、待ってちょうだい」とかあればまだよかったかな。

 

両親や姉は今も見つかっていない、収容所で亡くした弟を忘れた日はない、賢秀によく似ていた(秀夫から名前を貰っているのだろう)、自分の子達には家族を亡くすような思いをさせたくなかったのにお父ちゃんの体調に気づいてあげられなかった…ごめんね、ごめんね…

 

再婚話は普通に断り、賢秀が先に帰り、暢子はオーナーで大叔母もある房子に「あなたは結婚も仕事も両方掴みなさい」と背中を押されて和彦に逆プロポーズ。

 

ちむどんどん名物、

全ては金曜日に一件落着。

 

いいように使われた、智

 

f:id:ana5126:20220723064011j:image

 

沖縄で暮らしていた頃から、暢子を想い続けていた智。暢子のためなら何でもやってくれた。食べ歩きに付き合う程度のことから、試作品の試食、「食材のズッキーニが足りない!」と暢子がピンチに陥ったときは、智は心身がボロボロになっても調達してきてくれた。沖縄から東京に来て、スナガワフードという会社を立ち上げ、アッラ・フォンターナの取引先にもなる。

 

暢子は智の自分への好意に全く気づかない

いつの時代の男女も恋をしてきただろう。暢子は智が自分のためにしてくれたことをどう思っていたのか謎すぎる。

 

「同じ地元で育った友達だから」とナチュラルに思っていたなら色々超越してすごい。「智はいつも、どんなときも自分の手助けをしてくれる。もしかしたら智は自分のことが好きなのかも…」と1ミリも思わなかったとしたら、凄すぎる。

 

暢子本人に結婚の申し込みをする前に、鶴見の県人会メンバーや暢子の母に結婚話をしてしまうなど、少々暴走してしまった智だったが、「角力大会で優勝したら暢子にプロポーズする」と決意。

 

智のプロポーズはサプライズのはずだったが、暢子に知られてしまう。智の想いに本格的に気づいた暢子は、はぐらかし作戦に出て、智の渾身のプロポーズは当然断る。この時点で和彦への恋心を抱いていたので仕方ないとも言えるが、断り方がすごかった。

 

「これは友情だと思う、愛情じゃない。うちらが結婚してもうまくいくわけない。お店を持つ夢はうち自身が叶えないといけない。うちは嫌!智、わかって!!」

 

ここまで言える暢子、凄い。

 

良子と結婚しなかった喜納金吾のプロポーズも「そこまで言ってくれるなら結婚するわ」と即答してしまいそうだったが、智もなかなかのことを言った。沖縄にいた頃からずっと好きだった、我慢するしいつも暢子に合わせる。暢子の夢は俺が稼いで店を持たせて必ず叶えてやる…

 

暢子には、智の言葉に「智のことは大好き」「(和彦が好きなのかと問われて)料理に集中したい」などと言うが、つまるところ暢子的には、最初から私の結婚相手にあんたを考えたことは一度もない…ということだろう。

 

婚約者の愛に「うち、和彦君が好き」と言える人なら、智にも同じことを言えばよかったのに。そして…ネットニュースの記事にもなっていたが、東京でスナガワフードを経営するまでになった智の名前は、ちむどんどんのこれからの人物相関図で沖縄メンバーのところに書かれていた

 

傷心の智は、会社を畳んで沖縄へ戻るのだろうか。今後の予想としていちばん自然なのは、小学生時代から智に想いを寄せていた歌子と結婚する…かな?

 

そろそろ終盤へ…

 

f:id:ana5126:20220724013740j:image

 

ちむどんどん公式サイトにはヒロインの暢子が「沖縄料理に夢をかける」とある。とりあえず14、15週で「自分の店をもつ」という目標ができ、結婚も事実上決まった。いくら鈴木保奈美が反対しても、ここまでドラマが進んで「結婚やめます」はない。

 

おそらく16週では和彦の母(役名は重子)とゴタゴタあって、金曜日には何となく落ち着いて、もう1週挟むかどうかくらいで結婚。ワープ(半年後とか一年後って出るやつ)を使ったりして、子供も生まれるかもしれない。

 

房子は電話で「結婚も仕事も両方掴みなさい」みたいなことを言っていたので、アッラ・フォンターナを寿退職することはなさそう。

 

早く沖縄料理のお店出そう?

 

結婚後の仕事、妊娠、出産、育児を描いてたらあっという間に半年の朝ドラは終わってしまう。

 

まあ、何かのタイミングで突然、

 

「うちがやりたかったのは、お父ちゃんとの思い出で、うちの故郷の味、沖縄料理のお店!」と覚醒して、朝ドラヒロインあるあるの周りがものすごい協力してくれて、無事開店するのだろうけど。

 

暢子はこれまでも、いざとなったら沖縄料理を取り入れてきた。房子とのペペロンチーノ対決ではソーミンチャンプルー、おでん屋台でイタリア風おでんはダメだと気づくと沖縄風のテビチ(豚足)を使ったおでん、新しいメイン料理を考えてきなさいと言われたときはイカスミジューシーからヒントを得てイカスミパスタを作っていた。

 

f:id:ana5126:20220724013514j:image

 

このイカスミパスタのときは、二ツ橋シェフは暢子に料理の見た目の重要さを教えていた。とにかく優しい二ツ橋は「料理は見た目だけじゃないんですね」とそっちかーい!!な展開がおもしろく、イカスミの風味って万人受けはしないし、「メインは…いくつか選択肢あるよね…銀座のレストランだもんね…?」とちょっと思った。

 

小さい頃から家族の食事を作ってきて、銀座のイタリアンレストランでも沖縄アレンジをしてきた暢子なら、沖縄料理のお店はパッと出すんじゃないかな。「お客さんが思ったより来ない…」みたいな悩みが描かれそうだけど。

 

新聞社に勤める和彦も、文化人類学者の父(故人)の志を継ぐべく、いつまでも新聞社で働くつもりはないみたいなことを言っていた。特に父は沖縄を研究していたこともあり、15週では暢子ら帰省のタイミングで沖縄取材に行っている。

 

(ちなみに、和彦を演じる宮沢氷魚さんのお父さんは、沖縄を愛して名曲「島唄」を作った宮沢和史さん。島唄が有名すぎるだけで、沖縄音階の曲は他にもいくつもある。)

 

夫婦(+子供)で沖縄に移住エンドもありそう。架空の村、山原村は共同売店以外マジで何もなさそうだし、暢子が食堂を開店すればよくない?両親はお母ちゃんの実家が那覇で経営してた食堂で出会ったと語られたことだし。

 

そうなればこれまた、ちゅらさんと同じになるけどね。東京で医師と看護師をしていた文也・恵里夫妻は恵里の生まれ故郷の小浜島へ移住。島で医療の仕事を始め、ラストシーンは家族三人で美しい海に水着姿で走っていった。

 

で、ついでに今ちゅらさんWikipediaを見てきたら、第14週で小浜島プロポーズ、第15週では文也くんとお父さん(堺正章)の泡盛飲み比べやら何やらがあって、「結婚って言ってもお互いのこと知らないし、仕事で一人前になったら結婚する」という話になり、16週で多分一人前になったらしく、17週で結婚、20週で息子が生まれている。

 

ちゅらさんの頃は土曜日も放送があり、朝ドラは週6だったが、今は月曜から金曜までと週に1話減っている。文也との結婚前に看護師になって結婚した恵里よりもテンポが遅い暢子…最後らへん駆け足になるのかな?

 

見逃し配信がなかったら…

 

私はNHKプラスの見逃し配信で見てるけど、これがテレビ放送しかなかったら見てないな。もうここまで見てきたので離脱はしないだろうけど…

 

ちむは全然どんどんしない。

 

Twitterにタグをつけて暢子嫌い!!見ててイライラする!!とかアンチツイートをするほどでもないが、おそらくこのまま見て普通に忘れて「あー何か沖縄が舞台の朝ドラでちゅらさんじゃないのあったな」くらいになりそうな感じ。

 

そんな、お話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次女の演奏会の話。

次女の演奏会に行ってきた。

幼稚園のビッグイベントのひとつ、演奏会。

今年も色々あったなぁ…

 

f:id:ana5126:20220710021046j:image

 

咳と高熱、どうなる演奏会?

 

去年も罹って重症化したRSウィルスに感染…初感染で入院まで勧められた去年よりは軽かったものの、数日続いた高熱と、長引く咳。私が知らなかっただけで、幼稚園でRSウィルスが大流行したらしい。

 

大きい病院に行くとすぐに検査をしてくれるので連れて行くと、RSウィルス陽性。新型コロナウィルスを含め色々なウィルスの検査が一気にできるようになっていたらしく、検査結果の用紙を見るとずらっと書かれた感染症の中でRSウィルスだけが+(陽性)となっていた。

 

幼稚園に連絡し、10日以上の出席停止。

登園許可の証明書が貰えたのは、演奏会まであと5日しかないときだった。演奏会まで咳が続いたら…と不安になったが、咳き込むようなことはなくなり、本当のギリギリで治ってホッとした。

 

でも、これでは練習期間が短すぎて、合唱は何とかなっても、慣れない楽器を演奏するのは無理かもなぁと思った。出られただけでいい、ありがたいと気持ちを切り替えた。

 

大好きな歌「にじ」

 

f:id:ana5126:20220710021241j:image

 

年少の音楽会は、時期が例年とは違った。もしいつもと同じ時期だったら、RSウィルス重症化で出られなかっただろう。

 

いつもとは時期が違った昨年度の演奏会、年少は合唱だけなので、次女のクラスは「にじ」を歌うことになっていた。すぐに覚えて家でも楽しそうに歌っていたが、コロナ流行のため、歌は歌わず、鍵盤ハーモニカも使わないことになり、全員マスクをして打楽器を無言で演奏…残念だけど、仕方なかった。とても楽しみにしていた「にじ」の合唱は幻に。

 

「とても聴きたかった」と以前このブログにも書いたが、今年の演奏会では、年中組全員での合唱曲に再度「にじ」が選ばれた。…ちなみにそれも、幼稚園から帰ってきた娘に「演奏会では何のおうた歌うの?」と聞いても毎回答えが変わるから、なかなかわからなかったけどね(笑)

 

ラララ にじが にじが そらにかかって

きみの きみの きぶんもはれて

きっとあしたは いいてんき

きっとあしたは いいてんき

 

にじ

にじ

  • 高瀬“makoring”麻里子, 森の木児童合唱団 & 高瀬麻里子 森の木児童合唱団
  • チルドレン・ミュージック
  • ¥255

 

念願叶って、次女が歌う「にじ」が聴けることに。長女在園中は、年中組全員が舞台に出てきて英語の童謡を歌い、二番は鍵盤ハーモニカ演奏だった。毎年全く同じで、「うちの幼稚園は英語の授業をやってます!」と自慢げな割に、誰が教えたらこうなるのかとビビるほど発音が悪くて、こんなんだったら年中組も普通の合唱にすればいいのに…と正直思っていた。

 

変更して大正解だと思う。

 

来年度以降の年中組も、子供達が楽しく歌える合唱曲にしてあげたらいいんじゃないかな。あの謎すぎる英語よりは…

 

短期間で練習できる?木琴。

 

f:id:ana5126:20220710113934j:image

 

次女は木琴の担当に決まった…ことがわかったのは出席停止中だった。全然練習できてないけど、大丈夫?と思った。ただ、もう演奏会に出られただけでいい。周りのお友達と全然違うことをやっていても、楽しそうに合奏に参加してたらいいかなと思うようになった。

 

そして、長女はほぼ毎回(年長のクラスごとの合奏以外全て)鍵盤ハーモニカ担当だったので、次女が木琴を叩く姿を見るのが楽しみでもあった。

 

先生はすごく大変だったと思う。園長が挨拶で話していたが、RSウィルスが大流行したときは、「この子が治って幼稚園に来てくれたと思ったらあの子が感染して欠席になった」…皆が揃う日がほとんどなかったらしい。

 

幼稚園の短い保育時間だけで練習させて、誰かひとりにかかりきりになることもできない中、4歳の子供25人くらいに楽器を教えて合奏を仕上げるなんて、私にはとてもできないので、尊敬しかない

 

合奏が始まると、次女は普通に木琴を叩いていた。次女が幼稚園でまともに木琴の練習ができたのはほんの僅かだったと思う。叩かずにバチを滑らせるグリッサンドでは、踊りかと思うほど高い位置までぐぃーん!!とバチを上げていて面白かった(笑)

 

長女が毎回鍵ハモだった理由

 

 

長女は、合奏が2曲になる年長組以外、毎回鍵盤ハーモニカ担当だった。鍵盤ハーモニカは全員買わせられる私物だし、年中組の英語の歌の2番で全員吹くし、学芸会でも全員で吹いたし、年長の演奏会でも全員での鍵盤ハーモニカ演奏がプログラムにあった。

 

つまり、見慣れている。

演奏会でしか見ないような木琴やグロッケン、太鼓やシンバルに選ばれないのはどうしてなのかな?と思っていた。いや、別に何の楽器でもいいけど、不思議だった。

 

次女の演奏会の練習が始まる頃、クラス便りに「何日までに鍵盤ハーモニカを持ってきてください」と書かれていた。私はその時点では「ああ、毎年恒例のプログラム1番の練習ね」と思っていた。

 

拭き口やチューブの清潔を保つためのハンカチを毎日持たせていたが、ある日を境に持って行かなくてよくなった。ん?やっぱりコロナの影響もあるし、鍵盤ハーモニカ演奏は無しになったのかな?と特に気にしていなかった。

 

演奏会直前に持ち帰ったプログラムを見ると、毎年恒例の英語で「合唱+鍵盤ハーモニカ」はなくなり、全員での合唱とクラスごとの合奏になっていた。そのため、鍵盤ハーモニカ担当にならなかった次女は、途中でハンカチが必要なくなったのね。

 

合奏の担当楽器を決めるとき、先生が最初に使うのは、全員が持っている鍵盤ハーモニカなのだろう。ピアノを習っている子、習っていなくても「口で吹きながら鍵盤を弾く」という今考えたらなかなかに難しい鍵盤ハーモニカ演奏を、教えればできる子にメインメロディーをさせているのかも。

 

長女はピアノを習ってはなかったけど、鍵盤ハーモニカができたからいつも担当してたのかも(笑)卒園してだいぶ経ってから気づいた。

 

「えー!これ、買うの?」などと長女が年少のときに驚いた鍵盤ハーモニカは、長女が幼稚園で使い、二年生までは小学校でも使い、今は次女が使っている。次女も入学後にも使うだろう。幼稚園の行事でしか使わないのに?などと思ったが、ここまで使えたらもったいなくも何ともなかった。

 

(↑私の保育所や小学校では買うことがなかったので、個人で買うの?と驚いた)

 

演奏会、静かに見ようよ…

 

f:id:ana5126:20220712003941j:image

 

もう、これ毎回思ってる。

演奏会も、学芸会も。

幕が上がってライトがついて、

合唱や演奏をしてるときだけでいいから、

 

黙ってほしい。

 

映画館で映画観るときでもそんなに喋るの?と思う。まじで何でそんな普通の音量で私語ができるの?というか、開演前の諸注意がまずおかしい。「演奏の妨げになるから携帯の音を鳴らさないように」に続いて、

 

感染症防止のため、ホール内での会話はできるだけご遠慮くださいますようお願いいたします」

 

できるだけて何?!

 

コロナがあろうとなかろうと、「演奏中は私語厳禁」が普通でしょ。何よりも演奏の妨げになってるわ、クッソうるさい…

 

我が子だろうがよその子だろうが、幼稚園の子供達が練習して、緊張しながら大きな舞台で歌ったり楽器の演奏をしてるときに喋るのは、普通に考えて

 

アカンやろ。

 

さすがに、開場から閉会までずーっと呼吸だけして黙っとけとは思わない。プログラムごとに暗転して先生方が楽器のセッティングをしたり、子供達を並ばせたりしているあいだ、結構な時間がかかる。

せめてそのときに喋って?

そのときでも、普通なら小声で「トイレ行ってくるね」程度しか喋らないだろうけど、そんなんもう無理だと思うから、せめて幕が上がって演奏してるときだけは静かにして!!頼むわ!!百円あげるから!(笑)

 

あと、園長が「お父さんお母さん、見にきてるお兄ちゃんお姉ちゃん!静かに見て!!」て注意すればいいのに…

 

デカくていいのは拍手だけ!

 

あと、二学期には運動会があるので、徒競走とかリレーとか、思う存分デカい声で応援してあげたらいいと思うわ。

 

抽選で決まった座席だからどうしようもないけど、隣の家族連れがうるさすぎてイライラした。出演してる子より年上の子供と来てて、喋る喋る!うちのビデオにあんたらの声入りまくってますわ!ていうか、そこに座ってるってことはアンタの子供の出番中ですよね!喋る?!見てやれよ聴いてやれよ!!

 

………と内心キレてたら顔に出てたみたいで、周りの座席の人達が「この人(私)めちゃうるさがってるやん」と思ったのか、しーっ!!とか言ってたわ。

 

平和な演奏会のために。

 

f:id:ana5126:20220712011359j:image

 

コロナが少し落ち着いてきたからか、二部制ではあったものの、昨年度の行事までの「とにかくさっさと帰れ!」はなくなり、

 

最後まで帰らないでください

 

↑復活↑

 

もちろん、行事は最初から最後まで見れるにこしたことはない。小さい学年の子たちも頑張ってるね、年長さんはすごいね、静かに微笑ましく皆がそう思ってホール内にいられれば。

 

私は一度、年長組の親をやってみて思った。

(長女のときのことね↑)

 

自由解散にしたほうが平和。

 

全学年でやっていたコロナ前も、二部制にした今回も、演奏が終わった学年の子は保護者席に戻ることになっている。その子が座る席、ないけどね。開始前、隣の親御さんは「あー、今回帰ったらアカンのかぁ」とめんどくさそうだった。

 

長女が年長のときは全学年でやっていたので、凄まじいうるささだった。年長組の子の親兄弟以外、正直別に興味ないし…が本音だろう。私もそうだからわかる。

 

それに、今年の年長組の子供達は、まともにできた行事がないくらいコロナの影響を受けた。年長組の家族の人のためにも、まだ感染者が出ているコロナのことを考えても、

 

人は少ないほうがいい。

 

ちなみに、私は長女在園中、年長組以外の行事は理由をつけて帰ってた(笑)次女が入園してからの行事は「早く帰ってください!」だったり、見に行ける保護者の数が少なかったりで途中で帰る必要がなかった。

 

年中組の合唱、隣のクラスの合奏、次女のクラスの合奏が終わった時点で次女が保護者席に戻ってくるので、ホールを出て喫茶店に行った。終了予定時刻ちょい前に戻ったら、ちょうど全プログラムが終わったところで、最後までいないと渡しませんとか以前言われた記念品(全然いらん)をちゃんと貰い、帰った(笑)

 

あ、クソ高いのに出来が微妙すぎるDVDは長女入園から毎回欠かさず買わせてもらってるので、他のクラスの歌や演奏は自宅で娘達とのんびり見させていただきますね!!

 

…とまあそんなわけで、毎年しんどすぎる幼稚園のビッグイベントその1が無事終了。(他人の私語がバリバリ入ってはいるものの)最後列からでも、我が子の立ち位置がわかっていなくても、指定座席から見て逆側で娘が木琴叩いてても、すっかり慣れたビデオ撮影はまあまあそれなりに撮れたので、

 

自分にお疲れ様と言いたい。

 

そんな、お話。

 

 

 

 

 

 

 

ちむがどんどんしない話。

朝ドラを久々に見ている。

朝に見てもいなければ、毎日見てもいない。

NHKプラスの配信で1週間分まとめて見る。

離脱する人も多い、今季朝ドラ。

ここまで来たら、見届けたい!!

 

ちむどんどんしない

 

f:id:ana5126:20220515211638j:image

 

NHK朝の連続テレビ小説、2022年前期の舞台は沖縄!1972年の本土復帰から50年を記念して制作された作品。

 

正直現時点でおもしろくない。

 

まあ、私がちょっとかそれ以上変わった人間で、『この後どうなるの?どうなるの?』と思いながら映像作品を楽しむことができないから…というのもあるとは思う。

 

けど、Twitterを見ると何か安心するほどなかなかにボロ貶しにされているので、『まだヒロインが新生活に飛び込んだばかりですよ、見逃し配信もタダで見られるからオススメですよ』とは言えない。

 

これからおもしろくなるのか、どんなキャストが登場するのか、まだわからない。最終回を迎える頃にはベタ褒めしてるかもしれないし、再来週くらいに離脱しているかもしれない。

 

朝ドラのヒロインとは

 

f:id:ana5126:20220515211919j:image

 

朝ドラのヒロインは、どんな苦労をしても窮地に立たされても誰かが助けてくれたりして最終的には幸せになります

 

広瀬すずがヒロインを演じた『なつぞら』なんて、ヒロインだけそこまで上手くいく?と思うほどだったし、吉沢亮が演じた天陽くんは死後に自画像から出てきてまで、自分と結ばれなかったヒロインのなつを励ましてた

 

だからこそ、ヒロインなのかなと思う。

 

設定が謎すぎるドン!

 

「ちむどんどん」のヒロインは黒島結菜さん演じる比嘉暢子。沖縄本島北部の

 

山原村(やんばるそん)出身

 

まずこの山原村という、ありそうな村、

 

ないんです。架空。

 

架空の村か…アニメとかだとわかるけど。やんばる出身という設定にしたのは、世界自然遺産に認定されたことが関係していると思う。昨年ユネスコ世界遺産に認定されたのは、

 

奄美大島、徳之島、沖縄本島北部及び西表島

 

奄美大島と徳之島は鹿児島県。沖縄県の本土復帰50年記念のドラマに奄美大島と徳之島は使えない。じゃあ、西表島は?

 

残念ながら舞台にするのは難しいと思う。それは…21年前に同じく沖縄を描いた朝ドラ『ちゅらさん』のロケ地、ヒロインの生まれ故郷になった小浜島西表島と同じ八重山諸島

 

さすがに離島、かつ同じ八重山は…となる。そして、島自体がコンパクトでスタッフが宿泊できる大型リゾート施設が21年前すでにあった小浜島に対して、西表島は沖縄の離島の中で本島に次ぐ面積の広い島

 

ということで、『やんばる』と呼ばれる沖縄本島北部が選ばれたのかな。

 

暢子は食べることが大好き、世界中の美味しいものを食べたい、そして身体能力の高い女の子。子役はどの子も可愛かった!

 

f:id:ana5126:20220515212837j:image

 

ちゅらさんの子役もとてもいい演技をして、桟橋から「ミンサー織りのねぇー、五つと四つはねぇー!いつの世までも一緒にっていう意味さぁー!いつかぁー大人になったらー必ずー結婚しようねえー!」は朝から日本中の涙を誘っただろう。

 

だが、翌週には那覇に引っ越し、小学生が高校生になったくらいでそんなに顔つき変わる?とビックリするほど国仲涼子には似ていなかった。ちむどんどんの暢子ら四兄妹は、大人になってもまあまあ自然に受け入れられる子達が演じた。

 

…現時点で、褒めるポイントこれくらい。

 

放送開始前から、「父を亡くす」ことはあらすじとして発表されていたので、大森南朋演じるお父ちゃんはすぐ退場とわかっていた。

 

お父ちゃんが亡くなる前から借金があって普通に貧乏だった比嘉家は、サトウキビ栽培の他に那覇への出稼ぎにも行っていた大黒柱を失い、ますますヤバいことになる

 

「おじさん」が意地悪みたいな描かれ方をするが、おじさんだって楽な生活をしているわけではなく、お金を貸した側として当然のことを言っている。おじさんはお父ちゃんの叔父で、お父ちゃんが銀行から借りた500ドルの保証人。度々貸してくれるだけありがたいし、長男の賢秀が詐欺に遭ったときに厳しいことを言うが、ド正論でしかなかった

 

現時点で全出演者中この人がいちばん謎なんじゃないかと思うのが、

 

お母ちゃん(仲間由紀恵

 

f:id:ana5126:20220515213603j:image

 

困っている人を見たら放っておけないお人好しの優しい母として描かれているが、途中からこの人まあまあやり手なんじゃないかとまで思えてくる。確かに、子供のためにボロボロになるまで働いて働いて、苦労している。でも、

 

謝ったりお願いすれば済む

 

と思ってるんじゃないか?という言動をする。お父ちゃんが亡くなったとき、借金返済のために男性に混じって働くが、それ以外の具体的な借金返済や生活の安定に繋がるようなことは拒否

 

何十年も前じゃなくても、借金返済や生活のために家土地を手放すことはあるよね…

 

そこまで?と思うほどの極貧生活。給食費は払えず、運動会のためのズック靴や長女の体操着も買えない。ついには、「東京の親戚」が四人の子のひとりを預かると言ってくれて子供一人を手放しかけるほどまで…

 

いつもは1ドルの日当を、沖縄出身枠で登場したダチョウ倶楽部の肥後リーダーが「子供は何人?うちは五人だよ」とリーダー家のほうが一人多いにも関わらず3ドル貰い、お母ちゃんは息子のズック靴と長女の体操着を買う。が、それをなぜか息子の賢秀が(食用に育てていた)豚の小屋に置いてあってぐちゃぐちゃにされてしまい、結局息子は裸足で徒競走に出て、長女はお下がりでボロい体操着で運動会出場。

 

いや、その演出、いる?

『新しいものが買えなくても家族仲良く心豊かです』なら、最初から買えなくてよかったと思う。肥後現場監督の心遣いは無駄になり、悪いのはブタでしたどうしようもないですねなんて、いる?

 

手放されかけるのは当然暢子なわけだが、ジャストサイズのファミリアチェック的なワンピースを着た暢子が声を上げてバスを停車させ『みんなで幸せになろうね!』何も諦めなかったお母ちゃんの勝利の瞬間

 

f:id:ana5126:20220515214439j:image

 

結局何も変わらないまま、七年経って子役から本役にバトンタッチ。

 

借金地獄はどうなった?!

 

七年後。

 

暢子と妹の歌子は綺麗な制服を着た高校生、姉の良子は那覇の短大を出て幼い頃からの夢だった小学校教員、兄の賢秀は相変わらずフラフラしている、母の優子は共同売店で働き、家で内職もしている

 

f:id:ana5126:20220515213646j:image

 

学費とかどこから出てきた?

 

それは結局語られず、普通に貧乏なまま。家のことは四兄妹で分担しているが暢子が料理担当以外特に描かれない。身体能力高い設定は継続し、陸上部のキャプテンと競争して毎回勝つ。卒業の日に『もうインチキしないと勝てない』と言っていた。東京へ行って高い身体能力を発揮するかはまだわからない。

 

その料理も、基本的に一品。

今週は家族全員で炒め物だけとか、雑炊だけとか、一発逆転で借金を完済して翌日は東京へ向かうという日も、お茶碗よりちょっと大きいくらいの器に入った沖縄そばを食べていた

 

f:id:ana5126:20220515213906j:image

 

胃が小さくなったのかな…

 

それだと食べるのが大好き、美味しいもの大好きのヒロインが少食ということになってしまう

 

似ている!!(柴田サン) 

 

f:id:ana5126:20220515213958j:image

 

ちゅらさんに登場した柴田さんが、「似ている!!」と言ってベラベラ喋るのがお決まりだったが、20年越しの皮肉なのかなと思うほど、ちゅらさんと酷似しているところが多い。

 

  • 子役時代に誰か東京から来て交流
  • 子役時代に誰かが死ぬ
  • ヒロインの兄は家の厄介者
  • 高校卒業後はとりあえず東京
  • 東京で飲食店に勤める
  • 方言指導+東京で飲食店経営が同じ人
  • ヒロイン高校時代に具志堅用高が出る

 

ちゅらさんでは、子役時代は小浜島で過ごす。あの家もどうやって生活しているのかわからない感はあったが、ほぼ誰も来ない民宿(ていうか家)に東京からのお客さん、上村一家が滞在

 

上村家には息子が二人。兄が和也、弟が文也。和也は最初から病気で、小浜島で亡くなる。その和也が恵里と文也に「お前達、結婚しろよ」と言ったことから、子役時代に結婚の約束をする。その割に再会するまでに結構かかった上、文也には彼女がいた

 

ちむどんどんでは、子役時代、山原村に東京から来た文化人類学者の父親と息子が三ヶ月間滞在し、家族ぐるみでお付き合い。亡くなるのは他人だったちゅらさんに対し、暢子の父。東京の親戚のところへ行くことになりかけた暢子は、東京へ戻る青柳父子と一緒にバスに乗り込んだ。降りたけど。もう次回予告に出ていたが、青柳和彦(息子)とあっさり再会するようだ。

 

東京に行くところ、飲食店に勤務するところも似ているが、これはまだ放送されていないので比較できないが、両ドラマで沖縄ことば指導を担当し、出演もした藤木勇人のもとで働くところまで同じ

 

ちゅらさんの恵里は、大学受験で東京を目指すが不合格。それでも東京へ行きたいと、家族全員にモロバレの家出をする。家出に気づいていた恵里の母は、恵里や恵里の父と偶然出会っていた容子さんに連絡を取り、家出の荷物の中に現金と手紙を入れ、容子さんを訪ねるようにと家出先を指定。家出ではあったものの、後見人がいるようなもので、容子が住んでいたアパートに住む。

 

ちむどんどんの暢子は…あとで触れる兄の賢秀のところへ行くのだろうか?東京に行く以外の情報がないまま、母・姉・妹が最寄りのバス停まで手ぶらで見送りに行っていた。

 

  • 東京でプロボクサーになった兄
  • (子供一人預かるよと申し出た)親戚
  • 全く連絡を取っていない青柳親子
  • 親友で東京の大学に進学した早苗

 

ツテらしいツテはこれくらい。

東京行きを反対していたおじさんの台詞に、東京へ行く片道の費用もない、下宿をするなら保証金もいると言われているが、またもやおじさん夫妻の世話になったのだろうか。お母ちゃんは、お金がどこにもない状況になっても「暢子を東京に行かせてやってください!あんたが諦めてもうちは諦めんよ!!」と土下座までして言っていたが、あれも、おじさんに追加借金をする前提で言っていたのだろうか

 

高校時代に具志堅用高が登場はオマケみたいなものだが、ちゅらさんでは甲子園まであと一歩と迫った恵里の母校、那覇高校野球部の関係者として出てきた。ちむどんどんでは、兄がプロボクサーになったため、具志堅さんもボクシング関係者として出演

 

沖縄の長男の描き方の謎

 

ちゅらさんでは、家族に迷惑をかけつつもここぞというときは親や弟妹を思いやり、視聴者に嫌われるようなこともなかった恵尚ニイニイをゴリが演じた。

 

f:id:ana5126:20220515214137j:image

 

何度となく家のお金を持ち逃げ、思いつきで作ったゴーヤーマンが全く売れずに在庫を抱えることになったが、現実世界ではバカ売れのお土産物になった。定職に就かず、フラフラしていてどこにいるのかわからない種違いの兄だった。

 

ちむどんどんの暢子にも兄、賢秀がいる。名前がネタかと思うほどのアホ。ただ、見ていて本気でイライラするほど、家族に迷惑をかけっぱなし。「長男だ!」と威張るくせに何もせず、人を殴っても行きつけのお店を破壊しまくっても、俺は悪くないと謝りもしない

 

f:id:ana5126:20220515214215j:image

 

ちむどんどんの家族のほうが、家族で唯一の男手となった賢秀がしっかりするしかないのに、朝ドラに誰かはこういうフラフラしている役が必要なのか何なのか、やっと妹に謝ったかと思っても、

 

何その言い分?

 

としか思えないようなことを言う。暢子の就職内定先の息子を殴ったときも、親戚一同から借りたという1000ドルを詐欺師に騙し取られてキレて酒に酔い、行きつけのお店で破壊行為に及んだときも、謎すぎるお母ちゃんが代わりに謝りに行って終わり

 

謝ったら死ぬのかと思うほど謝れない、謝らない人は現実世界にも存在するが、ああなったのはどう考えてもお母ちゃんの影響だろう。

 

…ちょっと待った。

誰が聞いてもそりゃ詐欺だろという話を信じて、親戚中から1000ドルをかき集めたという賢秀。

 

親戚、いたの?

 

おじさん夫婦以外にいたんだ…

それも、ほぼ返済能力がないことをわかっていて貸してくれる親戚がいたのね。それなら、子供時代の極貧生活のときに身のまわりのこととか給食費やら体操着くらい、その親戚が助けるなり貸してくれたんじゃないの?

 

恵尚(けいしょう)と賢秀(けんしゅう)で名前も似ている二人、もう焼き直しですよね?というほど同じようなことをする。西洋料理をやりたい!東京でコックさんになりたい!と高校生でやりたいことを見つけた暢子に対して、ちゅらさんの恵里は上京後、看護婦(当時はまだ看護婦)になる!と目標が決まる。

 

が、両者ともに金がない。

 

そのときにこれまで迷惑をかけ続けたニイニイが、何の前触れもなく超絶グッドタイミング、妹のここ一番のときに大金を送ってくるのだ。

 

一緒やん、全く一緒。

 

ちゅらさんの和也、ちむどんどんのお父ちゃんはそれぞれ小学校の授業時間に危篤に陥ったため、報せを受けた恵里や暢子らは学校から家に向かって必死に走る。あのシーンも『一緒やん…』てなったが、人の死に目は仕方ない。そりゃ走って帰って間に合うかどうか…は描かれるだろう。

 

f:id:ana5126:20220515214328j:image

 

恵尚は恵里の看護大学の費用を、賢秀は今までの借金全部返せて暢子の東京行き費用を出してもお釣りが出る大金を送ってくる。

 

家族一同大感激!

 

恵里の学費をニーニーが工面したときは、語りとおばあ役で出演した平良とみさん(誰もが認めるちゅらさん助演女優賞だろう)が、『恵尚が…初めて、古波蔵家の役に立ったねえ…』と泣いて喜ぶシーンがあった。

 

ちむどんどんの賢秀は、

もうあまりの酷さに、

一回大金を送ってきたくらいで、

お前のしたことは帳消しにならんよ…

 

みたいなキャラ。今のところ。

 

ちゅらさんと比べられても、同じNHKで同じ朝ドラでことば指導も同じ藤木勇人。製作陣としては『懐かしくない?この感じ』くらいなのかな。

 

嫌ならなぜそこで歌う?歌子

 

f:id:ana5126:20220515214826j:image

 

ヒロインのキャラクター設定すらあやふやで謎の多いちむどんどん、その他登場人物も何となく、設定からズレたような人が多い。

 

暢子の兄はもういいとして、真面目で賢くて父との約束を守って教師になった姉の良子もまあ置いといて。

 

妹の歌子。名前の通り、歌が好きで、体が弱く、視聴者時間で言うと毎週高熱を出して、引っ込み思案。人前に出るのは苦手。小さい頃はお父ちゃんの三線に合わせて歌っていた。

 

高校生になった歌子は、誰もいない音楽室で歌を歌う。これに目をつけたのが、音楽教師の下地響子先生。歌子の才能を見出し、トムとジェリーのような追い回し合いをするのだが…

 

本当に人前が苦手で、人と話すのも苦手で、音楽の先生に追い回されるのも嫌なら、絶対にまた下地先生が来るであろう音楽室でわざわざ歌う?

 

ピアノの練習をしにきた子に話しかけられても、声も出さずに頷くばかり。なぜ毎回音楽室に行くのか。下地先生との追いかけ合いもよくわからない。1年生の歌子は高校の授業でまだ音楽がないのか、芸術科目が選択式なら書道でも選んだのか、先生も先生でいちいち音楽室に行かなくても、「比嘉歌子!!」と顔も名前も知っているのだから、普通に職員室か音楽室にでも呼び出せばいいのでは?さっさと下地先生と歌子が出会っても歌を教えてもらっても、その後に何の影響もないと思うけど…

 

賢秀がキレて店をめちゃくちゃにしたハンバーガー店に居合わせた下地先生。多分ケチャップだが頭から流血。音楽を汚した賢秀を告訴する!賢秀に足を怪我させられた!と言い出す。

 

警官とともにやってきた賢秀の家には、妹の歌子が。告訴するとまで言っていたが、歌子がどんなに間違えてもいいから歌えば許す…と。

 

ハァ?

 

歌子は、お父ちゃんとよく歌っていた「椰子の実」を歌い、無事賢秀は許される。下地先生は、『私はあなたに音楽を教えるために音楽教師になった!』みたいなことを言い出す。

 

やっとここから、追い回し合いが終わり、歌子は卒業まで下地先生の指導を受けるのかと思ったら…

 

f:id:ana5126:20220515214846j:image

 

私、石垣島の高校に移動になったの

 

え?片桐はいり退場?!

 

まあ…暢子が東京に行くから、歌子ら沖縄メンバーの登場は一旦減るのかもしれないが。追い回し続けた暢子に、『あなたにいろんなことを言う人がこの先いるだろうけど、そんなことは一切気にせず、自分の思うままに生きなさい。歌いたい歌を歌いなさい。いつどんなときも歌をやめてはいけない、たとえ聞いてくれる人が一人だったとしても』と伝える。

 

これまで、逃げる歌子と追う下地しか見てないのに、突然そんな人生の教訓とか説かれても…

 

どう受け取ればよいのか?

 

これ歌ってみてと封筒入りの譜面を渡すと、歌子が知っているという芭蕉布。お父ちゃんから沖縄民謡も教わってきたという設定の歌子、ほぼ翼をくださいを歌い続けていて沖縄民謡は歌っていなかったけど

 

下地先生が三線を出して、三線もできるんですね!と驚く歌子。それまでずーっと標準語だった下地先生、そこだけなぜか沖縄アクセントで喋り、あー下地って苗字だし沖縄の人だったのね…石垣島の高校で第二の歌子を見つけてくださいお元気で

 

結局、下地先生の前で歌ったのは、賢秀を許すために家の前で歌った椰子の実と、先生の三線に合わせて沖縄の歌らしさ皆無で歌った芭蕉布だけだった。

 

今後歌子も大人になっていくが、ジョンカビラの語りで『歌子は音大の声楽科に進学しました』とか言われても別に驚かないくらい何もかもいきなりだった。

 

ニュースで見かけたツッコミによると、歌子のテーマソングのようになっていた「翼をください」は、1971年に竹田の子守唄のB面としてリリース。歌子が高1のときはちょうど1971年度。ヒットしたのは少し後、家にラジオもない。…まだ歌子は翼をくださいを知らないのでは?というもの。

 

えぇ…?

 

優しい?サイコパス?お母ちゃん

 

f:id:ana5126:20220515220343j:image

 

最近の朝ドラを見て驚くことといえば、私達の世代だとドラマで主演をつとめるような人達が、ヒロインの親役になっていること

 

仲間由紀恵も、心優しいお母ちゃんとして登場。自分も苦しくても、困っている人を放っておけず、夕食を全部豆腐屋さんの親子にあげたり、夫を亡くしてからは道で倒れ込みかけても働いて、お父ちゃん手づくりの家、お父ちゃんの畑、子供何一つ諦めなかったお母ちゃん。

 

そして賢秀にゲロ甘。

 

暢子が就職予定だった会社の社長の息子を殴っておいて俺は悪くない!と謝りに行かない賢秀。確かに、社長息子は暢子にもおばあさんにも失礼な言動をした。それでも、賢秀に非がないとお母ちゃんが本気で思っていたとすれば、親としてヤバい

 

時代が時代なので、長男贔屓は今よりもあったのかもしれないが、お母ちゃんは賢秀を説得せず、殴ってもないむしろ内定取消の被害をこうむった暢子に謝罪に行かせる

 

f:id:ana5126:20220515214955j:image

 

なんでやねん…

 

一人で謝罪に行ったときに聞いた話で思っていた仕事と違ったことや、社長息子と偶然会ったときに言われた言葉から結局暢子も掴みかかろうとしてしまい、暢子の就職はなかったことに。それでも賢秀を信じ続け、庇い続けるお母ちゃん。

 

良子は教師になり、多分あの描き方では給料のほとんどを家に入れていたのだろう。服も買えず、勉強会仲間のポッピーピポパポ…里美にマウントを取られてしまう。想いを寄せている相手も行くパーティーのため、良子は給料からワンピースや靴を買っておしゃれをして参加。

 

f:id:ana5126:20220515215447j:image

(ヒロインでもいいほど可愛い)

 

貧しさを恥じたと謝る良子

 

何か、このときのお母ちゃんの反応が薄い気がする。うんうん、と微笑んで頷いていたような。もう忘れたが。『いいんだよ、良子』とかお金を入れてくれていることへの感謝は口にしていたが、体操着が買えなかった小学生時代とほぼ変わらないままの良子に、もう少し母として寄り添ってあげてほしかったな。

 

f:id:ana5126:20220515215028j:image

 

『良子が稼いできたお金なんだから、良子が好きなことに使っていいんだよ。この服、とても良子に似合うね、良子は若くてとても綺麗な時期なんだから、これからも自分のものを、誰に遠慮せず買っておしゃれしてね』

 

とかこれくらい言ってほしかった。良子の言葉をそのまま嬉しそうに聞いていたら、良子はいつおしゃれするのだろう?お金に余裕ができて返済がなくなった来週からも、良子の服装はあのままなのか…?

 

暢子のために給料を前借りして、使う必要がなくなった300ドルも『自分のためではなく家族のために使う、それが私』と言っていた良子。新聞にまで兄の活躍が載ったのだから、前借りの必要がなくなりましたと、校長先生に返してはどうか?と思った

 

お母ちゃんが300ドルを用意してきておじさん夫妻に土下座プレイをかますのだが『せめて600ドルあればねぇ…』

 

もうあると知ってるかのような

 

感じね。良子の300ドルを足せば600ドル。あのシーンみたいな取ってつけた感がとにかく随所に散りばめられているちむどんどん。

 

それにしてもお母ちゃん…大金を詐欺られ、川ちゃんマスターを殴り、川ちゃんハンバーガー店をめちゃくちゃにしておいて謝りもしない賢秀のことは、『優しくていい子なんです』と庇うのに…娘のことは結構どうでもいい感じ??

 

ゲロ甘に育てた賢秀は大金を詐欺られても、

 

『俺のことを嘘つきとか何とか馬鹿にしてきた大人を見返したかった。初めて俺を褒めてくれた人を信じたかった』

 

お母ちゃんが褒めて認めて育ってきた結果↑

 

優しい虐待?

金借りる名人?

謝ってお願いすればOK?

 

お母ちゃんと賢秀は、本質的にはよく似ているのかもしれない。

 

ちゅらさんにはあったもの 

 

f:id:ana5126:20220515215157j:image

 

ちゅらさんは全国的に大ヒットしたし、このタイミングで総集編再放送はちむどんどんに悪影響では?とまで思うが、それぞれのキャラクターがしっかりしていた。

 

よかったのが、沖縄の舞台などで長年活躍してきた平良とみさんの語りと演技。そして「おばあは電話が鳴ることを予知できる」とか「容子さんはよく転ぶ、食事中に電話が鳴る」「真理亜さんは絵に描いたようなツンデレ」「ニイニイの友人の島袋さんは間が悪い」といった、ブレないキャラクターの軸があった。

 

全員で盗み聞きしてて話の決着がついたときにコケて盗み聞きがバレるといった吉本新喜劇的なお決まり芸もよく出てきたが、今のちむどんどんでは誰がそれをやってもイラつくだけだろう。

 

平良とみさんはちゅらさんより前に出演した映画で名前が売れたとはいえ、朝ドラに出てきたら誰?でしかなかった。それでも、あの役と語りができたのは、彼女の他にいなかったと思う。長年培ってきたしっかりとした演技の力もあり、沖縄のことばもとても自然。

 

別におばあさん、おじいさんでなくてもいいから、しっかりとしたキャラを持ち、沖縄を感じさせ、コミカルな場面にも泣ける場面にも話のオチにも登場させられる人が、ちむどんどんにも…

 

これから出てくるといいね。

 

ここまで比較してきたが、ちむどんどんの暢子は、沖縄が本土復帰した1972年の5月15日に沖縄から東京に旅立っているが、ちゅらさんの恵里はその日に生まれたということになっている。

 

そのため、時代が違う。

東京に出てからの時代が今から50年前ということを頭に入れて見ていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしもピアノが弾けたなら。

「金をドブに捨てる」という言葉があるが、これとほぼ同じ意味になるのが「私にピアノを習わせる」だ。通算何年習い、親はいくら払ったのだろう?もうわからない。

 

ピアノを長く習っていて、私ほど弾けない人もいないんじゃないかと思う。

 

今は自分が子の親になり、子供のやりたいこと、好きなこと、できたほうがいいこと、させてやれることを考える中で、私とピアノの思い出を書きたくなった。

 

可愛い友達が習っていたから

 

f:id:ana5126:20220510022845j:image

 

保育所に通っていた頃、とても可愛らしい同級生がいた。私は幼心に、彼女に憧れのような感情をもっていた。その友達がピアノ教室に通っていることを知った私は、自分もやりたい!と親に言い、「可愛いお友達と同じお稽古がしたい」というだけの理由でピアノを習うことになった。

 

ピアノ教室は自宅から近く、今実家があるところからすれば1分くらいの場所にあった。最初の先生となった田中先生は、とても優しい先生だった。顔も覚えてないけど。幼児用の教本を使った週に一度のレッスン。特に怒られたりしたこともない。それなりに楽しく通っていたつもりだ…

 

が、すでにピアノが面倒だったのか、記憶にあるが「ピアノ教室に着いてからバレバレの寝たふり」をしてレッスンを受けなかったことがある。母に立たされても寝たふりを続けた。絶対バレてたと思う

 

田中先生にどのくらい習ったかは忘れたが、ご家族の介護か何かで教室を辞めるということで、田中先生には短い間しか習わなかった。先生がここで変わったのだが、そのへんの記憶は曖昧。

 

父のブチギレでピアノを辞める

 

小学校入学前くらいだった。大事件でしかないが後から考えればピアノを辞める大チャンスともいえる、忘れられないことが起きた。

 

父は若いころ、毎晩サウナのある銭湯行っていた。家族で行ったこともしょっちゅうあるが、たまたまそのときは父と私で行った。昔から長時間入浴するとすぐに気分が悪くなる私は、自分用のおふろセットを洗い場に置いて、一旦脱衣所でロッカーの鍵を開け、バスタオルを巻いて休憩していた。

 

そこへブチギレの父登場。

 

え?とか言う間も思う間もなく飛んでくる父のゴツい手。わけもわからないまま、サウナの前にある水風呂のところに何度も叩きつけられた。私は本気で、父が何をそんなに怒っているのかわからなかった。というかあの光景、今の時代なら誰かが警察に通報すると思う

 

父は昔ながらの職人気質。家族に弱音など吐かず、相談もせず、仕事の話は妻子にしない。足腰の動く男は働いて当然という考えの父、今は83歳になったが、生涯現役…のつもりのようだ。

 

母も私も、父がキレると昔はオロオロしていたが、今では「あー…仕事で何か腹の立つことでもあったんやな」くらいで刺激しない。別件でキレられると本気で腹立たしいが、まあ、なかなかに盛大にキレることがたまにあった。

 

銭湯で休憩してたときは、

 

「自分の風呂用具もほったらかして出るようなモンが何がピアノじゃ!明日すぐ辞めてこい!」

 

高校入試の思い出にも書いたが、母はこれに「はい」と従って本当にピアノを辞めさせた。「忘れ物なんてしてない…休憩してただけで戻ろうと思っていた。パパだって今日初めて私が休憩してるのを見たわけじゃないはずなのに…」そんなのは絶対に通用しない。言えば火に油をそそぐだけだ。

 

全部本当なんだけど、キレた父と絶対服従の母に理解されることはなかっただろう。

 

父の機嫌もなおった頃、私はまたピアノを習うことになるのだが、あそこで辞めたままにしておけばよかった…とずーっと思い続けることになるのだった。

 

曜日、場所、相性、全部最悪

 

f:id:ana5126:20220510023235j:image

 

小学校に入り、またピアノを習うことになった私。確かレッスンの曜日は木曜日だった。木曜日だけ、Y先生という音大出の先生が担当していた。習い始めた頃の教室は立ち退きの場所になり、何と新しい教室は自分の家の真下だった。

 

同じ学校、同じクラスの友達も多く通っていて、木曜日以外の子はT先生に教えてもらっていた。木曜日じゃなかったら、あんなにピアノ嫌いにならなかったかもしれない

 

Y先生は完璧主義で厳しい先生。考えたら今の私より若かった。1年生のときはピアノを習い、定番の赤バイエル(バイエル上巻)などを使って習っていた。

 

ミスタッチを一回でもしようものなら、絶対にマルをくれず、先へ進まない。同じところで間違えると特大の溜息をつかれ

 

「はぁ…もういっぺん」

 

…レッスンは30分なのだが、息が詰まり、永遠のように長かった。

 

8歳の誕生日に伯母が電子ピアノを買ってくれるまで、うちにはキーボードしかなかった。そして、私は全く練習をせず、全く上達しなかった

 

2年生になった頃、Y先生から母に「エレクトーンにしてみてはどうか」という提案があった。理由は何か忘れた。相手が何かの先生(教師、医師、その他色々)というだけでド緊張する母は、特に考えるでもなくこれを承諾。私はエレクトーンを習うことになった。

 

エレクトーンの椅子は高く、身長の小さな私は立って弾かされた。右手、左手、足まで使うエレクトーン。今では上手な人の演奏動画をYouTubeで見るくらい好きな楽器だが、ピアノのときよりも地獄度が増した。

 

 

無言と手汗と謎の歌

 

f:id:ana5126:20220512052223j:image

 

家にエレクトーンもないのに何でだろう?と思ったが、うちにあったのがキーボードだったからかな。2年生の誕生日にピアノを買っても、じゃあピアノに戻りましょうという提案はなかった。

 

レッスンの前に教室の水道で手を洗うのだが、特大の溜息と『ハァー、もういっぺん』のプレッシャーで、幼い私は手汗をかいた。鍵盤の上で手汗をかくと、ホコリでも吸着するのか黒っぽい水分が出てくる。

 

Y先生はキレて、『汚い!早く手を洗ってきて!』と怒る。手汗かかせたの誰だよと今なら思うが、エレクトーンを弾いている間、私はほぼ息を止めていた。声ひとつも発さず、ただレッスンが終わるのを待っていた。

 

レッスンの終わりに、Y先生がエレクトーンを弾き、歌を歌わせられた。息を止めて黙っていたら、普通に喋ろうとしても声カッスカスだ。それなのに、歌え???

 

先生の素晴らしい伴奏で『おおシャンゼリゼ』を歌ったときは、私としては頑張って歌ったし、歌うのは別に苦手でもなかったのだが、いやこんな重苦しい空気でずっと黙っててどんなテンションで歌うねん?てなった。

 

突然止まるY先生の伴奏。

 

『あのね、この歌は世界的に有名で、楽しくシャンゼリゼ通りを歩いてる歌なのね。私ちゃんの歌い方、どこが楽しいの?じゃあ動きもつけて歌ってみて』

 

ハァ?

 

いつも何か素敵なことがどころかいつも何か嫌なことしか起こらないこの30分間を耐え忍んでいた私、そして当然パリのシャンゼリゼ通りを見たこともない子供に、この先生何の要求してんねん?

 

どんどん先生もエレクトーンも嫌いになっていった。他にも、生徒だけで行く夏合宿のようなものがあって、いちばん小さい2年生で参加した私。お小遣いを持って行くことができたのだが、心配性の母が私のお小遣いを財布ごとY先生に預けた。プールに行ったとき、自分が持ってきたお金だからと「先生、かき氷を買いたいから…」と言うと、

 

『さっき、たこ焼き食べたでしょう?またお金使うの?』

 

タコ焼きはそんなに好きでもないけど皆が食べたから付き合いで食べただけだった。暑いのに私だけかき氷を食べられず、年上の子やT先生の生徒達が食べているブルーハワイのかき氷が羨ましかった。先生に小遣いを預けた母を恨んだ。母も「使い道まで先生が決めると思わんかったわ…」と言っていたが(笑)

 

ピアノに戻るも、嫌さ倍増

 

3年生までエレクトーンを習い、何がきっかけかこれまた忘れたが、ピアノに戻すことになった。Y先生は『前に使っていたバイエルを来週持ってきて』と言った。

 

(昔はカバーがかかってたような?)

 

2年も前に使わなくなった赤バイエル、どこへやったのかわからなくなっていた。次のレッスンまでに持っていかないとまたキレられると思った私は、当時母や伯母と毎週のように買い物に出かけていた先にあった楽器店で赤バイエルを買ってもらった。

 

そしてそれを持って翌週のレッスンに行った。

 

『はぁぁ……私ちゃん。先生、バイエルを買ってきてって言った?言ってないよね?前使ってたのを持ってきてって言ったんやけど。なかったら、買ってきなさいなんて言ってない。それに、多分もうないと思ってたから、先生バイエル買ってきてたんやけど

 

ハァ?

 

その日、先生は母宛にと私に手紙を持たせた。私も読んでみたが、それなら最初からそう言えよとしか思えない内容だった。一部覚えているが、

 

私としては、◯◯ちゃんに自分の力で探してほしいと思ったので、前に使っていたバイエルを持ってくるようにと言いました。見つからなければ、それを自分で私に伝えてほしいと云々

 

知らんがな。

 

確かに、教本や出席ノート(ぴあののーと、だった)、月謝袋は先生が用意してきて、保護者が代金を支払うようになっていた。でも、自分達で勝手に用意するなと言われていたわけでもなく、赤バイエルも以前と全く同じものを用意していった。母も『探したけどなかったでーす』のほうがダメだと思って、楽器店で買ってまさか怒られて手紙にまでごちゃごちゃ書かれるのは想定外だったらしく、困惑していた。全然違う教本を買ったわけでもないし、『次回持ってこい』と言われたものが手元になく、それと同じものが用意できるなら、買うよね…?みたいな反応だった。

 

(これ使ってた!今もあるのね!)

 

先生が買ってきたバイエルはミッキーマウスの可愛い表紙で、同じシリーズの『レパートリー』という練習曲集は、バイエルの副教本として使うことになって先生にお金を渡したと思う。

 

いやマジでそれにしてもさ、ないと思ってたから買ってたのにって言われても

 

こどものバイエル ミッキーといっしょ2 レパートリー

こどものバイエル ミッキーといっしょ2 レパートリー

  • 作者:
  • ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス
Amazon

 

なんとなく検索してみたら今でもあった。バイエルって書いてあるし、②って何だろう?下巻?私の記憶ではこの画像のような青い表紙だったし、ミッキーバイエルは先生が別の子にでも使うと言ったけど、『レパートリー』は練習曲が色々入った副教本みたいな感じだった。変わったのかな?

 

もうこの時点でピアノもY先生も大嫌いになっていた私は、伯母が買ってくれて今でも実家にある電子ピアノで練習することなどなくなった。私がピアノを弾くのは、週に1回30分、五週目がある日はレッスンが休みになるため、月にして2時間、そのうち先生に怒られたり歌わせられたりしたのを抜けば、1時間くらいだった。

 

それで上達したら凄いわ。

 

同じミッキーマウスシリーズに、ワークブックみたいなのがあって、それは音符や休符を書き込んだり、演奏記号を学ぶものだった。ト音記号を書くのがヘタ過ぎるとブチギレられたくらいしか記憶にない。

 

母が「気を遣うから」…

 

私はもう何度も何度も「ピアノをやめたい」と母に訴えた。同級生達はとっくの昔にバイエルなど終えていて、夏合宿の発表会では下の学年の子から引くのだが、私は何歳も年下の子よりもド下手だったし、ピアノを続けるなら曜日を変えてほしいと懇願した。曜日を変えれば、T先生の生徒になれるからだった。

 

今は私も娘をもつ母になったが、長女や次女が当時の私くらい本気で嫌がっていたら、辞めさせるか曜日(講師)を変えるか、教室ごと変える。

 

その前に自宅での練習だってさせるし、先生との相性も考える。何かあれば先生と話だってする。あ、娘達はピアノを習っていない。習い事はゆるく通っているスイミングスクールだけ。まあ、ピアノと違って自宅で練習ができないスイミングであっても、あの頃の私ほどの『辞めたい…』の懇願を我が子がしてきたら、とりあえず休会なり何なり、子供ともスクールとも話をして対応する。

 

ところが、うちの母は…

 

勝手に辞めたらパパ怒るやろうし、家の下やから曜日変えたらY先生が嫌で変えてるの丸わかりやんか、そんなんママ気ィ遣うしよう言わんわ

 

いやいやいやいや、

ワテほんまによう言わんわ

は、笠置シヅ子より私のセリフだ。私は当時他の習い事もしていたし、Y先生が真上のうちに来ることも、私が不在か家にいるか知ることもない。『木曜日は都合が悪くなったので、別の曜日にします』の何がダメなのか本気でわからない。

 

自分が気を遣うのが嫌、旦那(父)を怒らせるのが嫌だからと、娘の懇願を却下した母。

 

そして金ドブに気づけよ…

 

保育園からピアノを習っている自分の娘が、後から習い始めた子が難しい曲(子犬のワルツとかエリーゼのためにとか)を弾いてるのに、ソプラノリコーダーでも吹けるようなクッソ簡単なエーデルワイスを発表会で弾いてて、何とも思わなかったのか?

 

「この子には向いてないな」と普通の親なら思うだろうし、誰にでも何にでも向き不向きもあるけど、まず自宅練習をさせようよ。自分は何もせず、相性最悪の先生に丸投げって何ィ?ヘタでも我が子が好きでやってるならまだしも、泣くほど嫌がってたのに。

 

同じ曜日に習っていた同級生に『私がピアノをやめたがってると先生に話してほしい』とか頼んだことまであったわ。ちなみにその子は小学校の合唱で伴奏をつとめるほど上手だった(笑)

 

これまた何のきっかけか、やっとのことで金曜日に変わったときには、5年生の後半になっていた。

 

T先生とY先生、天地の差

 

保育園児からピアノを始めて、間にエレクトーンをやっていた期間があったとはいえ、5年生でまだ黄色バイエル(下巻)を終えていなかった私。T先生になった途端、あっという間に進んだ。

 

1回のミスタッチも許さないY先生とは違い、T先生はよほどボロボロに間違えない限り、普通にハイ次と進めていく先生だった。元々夏合宿でお互いに知っていたし、私のピアノがド下手なことくらいT先生はわかっていた

 

適当な感じで黄色バイエルを終えたと書くと、Y先生のほうがちゃんとした先生なんじゃないの?と思うかもしれないが、T先生はいつもお手本として弾いてみせてくれた。私が何度も間違えるところを『先生がそこ弾いてみるわな』と耳で聞かせてくれた。

 

それから、なぜY先生が教えなかったのか知らないが、右手でドレミファソラシドと弾くときに親指でドから弾き始めて、中指でミを弾いたらその中指をくぐらせるようにしてファを親指で弾く、基本中の基本も教えてくれた。

 

T先生が副教本に使っていたのは、

 

↑『わたしはピアニスト』だった。この表紙の絵、めっちゃ懐かしい!!バイエルの次は、ブルグミューラー25を使っていたと思うが、T先生はもうどうでもよくなったのか途中から『好きなの持ってきていいよ』になった。

 

このころ、実家の真下から、中学の近くに教室が移転。ひとりで自転車で行ける距離だった。自宅練習の習慣はないままだったので全く上達はしなかったが、ピアノ教室に行くことが苦痛ということはなくなった。

 

発表会は夏合宿の他、広くなった移転先の教室でクリスマス会をT先生の生徒だけでやっていた。私がT先生の生徒になったのは、ちょうどそのクリスマス会の直前で、ピアノ教室の生徒の中ではまあまあな年齢ながら、ソロはまさかの

 

ジングルベル

 

だったこともあった。

幼稚園児でも弾けるアレンジだったと思う。

 

別にねじ込まなくていいのにアンサンブルにも出ることになり、めざせポケモンマスターの組に入って、たまにしか叩かないグロッケン担当だった。

 

別れの曲、そして未来へ…

 

6年生のクリスマス発表会では、コードにすると、CとGとG7しかほぼない左手でショパンの別れの曲を弾いた。同級生はちゃんとした演奏で乙女の祈りとか弾いてたけど、あんなヘタクソな別れの曲もないくらいのソロを先生が私でも弾ける編曲にしてくれた

 

この年はソロはどうでもいい。

アンサンブルで事件発生。

 

T先生、私を忘れる

 

アンサンブルは学年ごとに演奏した。ピアノやエレクトーンを数人で弾く。もう一回書くが、みんなで、一曲を、弾く。

 

ごめん、私ちゃん!先生、ちょっと忘れてて、私ちゃんのパートないねん!そやから、歌ってもらってもいい?なんか、誰々ちゃんが言うててんけど、夏合宿のカラオケで私ちゃんがこの歌を歌ってたって聞いたから

 

前年は『めざせ!ポケモンマスター』で鉄琴をたまに叩く担当だった私。まあ、あのときは仕方ないよね。曜日が変わった直後で、本来出てなくてもおかしくないくらいだったし。でも、一年が過ぎて、

 

生徒の存在…忘れる??

 

その年の6年生のアンサンブルは、Kiroroのヒット曲『未来へ』だった。Kiroroはボーカルとピアノの二人組。何でそれをアンサンブルに選んだのかが今となっては謎でもあるが、とにかく私はピアノでもエレクトーンでもなく、ボーカルに決まった。

 

マイクは激烈ショボい、CDとカセットテープが使える機械にブッ挿すタイプの、エコーも何もないやつ。小学生くらいまでは体が弱く、今もある巨大扁桃がすぐに腫れて高熱をよく出していた私…発表会前に喉が痛くなったかと思うと、熱を出して声もほぼ出なくなり、病院に行った。

 

医師は、喉がこんなに腫れてたら唾を飲み込むのも痛いだろう。ましてこの状態で歌を歌うのは勧めたくない。休むとかはできないか?とドクターストップまでかかってしまった。

 

それでも私は、同級生達にとってもピアノの発表会なのに、ど真ん中に立って『未来へ』を歌った。ボーカルが登場するのは前代未聞。T先生の知人の司会者は、曲紹介でボーカル付きだと煽る。(やめとけ…でも後に司会を色々やった私でも、多分煽るわ)

 

そして、母と伯母の仲良し姉妹は盛大な勘違いをしていたのだった。ピアノが下手すぎて先生に存在を忘れられて自分が弾くパートがなく、『じゃあ、ごめん歌ってもらっていい?』となったのを、

 

大抜擢だと勘違い。

 

当日、喉の痛みを堪えながら、エコーや高音質で助けてくれるわけもないカスみたいなマイクで歌いながら母と伯母のほうを見ると…

 

感極まって姉妹で号泣。

 

もう…ネタバラしは、やめとこ…てなった。

 

そして、私は特に上手くなることもなく、高校生までピアノを習った。また曜日が変わり、F先生というこれまた優しい先生に教わった。発表会も教室でやるのではなく、近隣のホールを借りるようになった。T先生やF先生は私にクラシック曲を弾かせることを早々に諦め、リチャード・クレイダーマンポール・モーリアなどに切り替えていた。それも激烈簡単バージョンに編曲してくれた。F先生のときにやっとまともにクレイダーマンの『星のセレナーデ』を弾いたかな。

 

 

あ、これ持ってた!懐かしい!!

子供のための…て書いてるやん(笑)

 

後に私はその発表会の司会者もしていた。

高3で何となくもういいかとピアノをやめたのだが……

 

大学生、ピアノの単位が危ない

 

私は女子大の教育系学科に進学することになった。これも父の気まぐれで、3月まで入試を受けて、合格した中から何となく選んだ学校だった。(ちなみに大学生活は楽しかった)

 

私が入学した学科は、まだ当時開設二年目くらいだった。必要な単位を取り、教育実習に行けば幼稚園教諭一種免許状が取れた。

 

入学式の翌日。ピアノの組分けテストがあると言われた。テストを受ける前にプリントが配られ、ピアノ経験の有無、経験者は経験年数を記入することになっていた。え?大学で最初にやるのが、まさかのピアノ?と思いつつ、私はふと考えた。

 

これ…多分正直に書いたらヤバい…

 

私はこう書いた。

 

  • ピアノの経験 あり
  • 経験年数 約7ヶ月

 

そして、ピアノや幼児音楽を担当する先生の前で、自分で選んできた曲を弾くテストを受けた。何でだかわからないが、学籍番号ではかなり後ろになるのに、なんと1番に呼ばれた

 

保育園からピアノを習い、経験年数7ヶ月などと嘘を書いた私が弾いた曲…

 

『こぎつねこんこん』

 

伴奏は適当につけた。その後、クラス分けが発表された。1組から6組まであり、あれって弾いた意味あった?と思ったが、ピアノ完全未経験の人は1組、長年習っていて上手な人は5組、6組。3組の人はソナチネアルバムを授業で弾くようだった。

 

その授業は通年あり、単位をもらう条件は『バイエル下巻を弾けるようになること』だった。試験のときに3組まで一緒になったが、4〜6組の人は何をしていたのかわからない。

 

嘘を書き、『こぎつねこんこん』を演奏した私は2組に入っていた。電子ピアノが何台も置かれた教室での授業。ピアノがメインだったが、子供向けの歌を皆で歌ったりもした。ひとりずつ先生に指導を受け、その間他の人は電子ピアノにヘッドフォンをつけて練習。

 

2組のテキストは黄色バイエル。

小学生のときにT先生のゲロ甘判定で終えたあのバイエルが、大学のテキストかつ単位修得条件になるとは…

 

当然家にバイエルなど置いてあるわけもなく、もうY先生に『小学生のときのバイエルを探してきなさい』と言われてキレられることもないので、改めて購入。

 

(18歳でこれ買った)

 

よかった…ウソついてしまったけど、3組のソナチネでも私無理だったわ…2組がThis is 最高にちょうどいいクラスだわ…それに、バイエル下巻くらい余裕だろうと思っていた。

 

甘かった。

 

個人レッスンを受けると、ビビるほど弾けなかった。それも後半になってくるとまあまあ難しい。大学には防音のピアノ練習ブースもあり、単位を取るために朝早くとか昼休み、空き時間、学校が終わってからなど、そこで真面目に練習する友達もいた。ピアノ教室を紹介してもらって通う子もいた。

 

未経験で1組に入った子も、単位の条件は同じだったかな?忘れたけど。たった1年で未経験からバイエル下巻まで弾くのはとても大変だったと思う。

 

私はと言うと…またT先生の元に生徒として戻り、長年ピアノを習っていた大学生が黄色バイエルを教えてもらいに通った

 

さすがに、単位取ったよ。

 

バイエル下巻やソナチネから一曲と、何曲か渡される唱歌みたいなのを弾く実技試験だったかな?まあビックリしたわ、やっとピアノから解放されたと思ったら、大学の授業でピアノ?しかもダメ出しされまくりィ?って(笑)

 

あれは確か「こどもと音楽」ていう授業だったっけ。1年生と2年生のときにほとんどの学生が履修していて、「こどもと音楽①〜④」まであったかな?ダメ出しされてヤバかったと言っても、子供の頃のY先生からすれば屁でもなく、もっと頑張って練習してね!と励ましてくれるような指導だった。授業も担当の先生のことも好きだった。私、基本的に音楽は好きだしね、聴くのも、歌うのも。

 

好きこそものの…?

 

私は、「好きこそ物の上手なれ」でも「下手の横好き」でも何でもいいと思っている。昔はもう顔も見たくないほど嫌いだったY先生も、私とは合わなかっただけでとてもいい先生だと聞いている。音楽系の高校か音大かを受験する生徒を自宅に呼んでレッスンしていたり、たまたま木曜日に通った同級生は私と違って普通に上手にピアノを弾いていたし。私が中学かそのくらいのときにピアノ教室をお辞めになったが、音楽療法か何かのお仕事をされると聞いた。

 

Y先生のような指導をする先生に『くっそー!次は絶対一回でマルをもらってやる〜!!』という子なら合うだろうし、T先生のように『ある程度弾けてたらいい、好きな曲をやって楽しんだらいいよ』のスタンスの先生に習って、何その難しい曲?!とビックリするような曲を発表会で弾いた子もいた。

 

早く始めてこそ!というお稽古ごとやスポーツもあるけれど、大体のことは本人のセンスや努力、好きかどうかで、いつ始めても何でも上手くなれる。

 

中学の音楽の授業で三年間お世話になった男性の先生は、生まれたその日からピアノ弾いてたんじゃないか?と思うくらい上手で心に響く演奏をする方だったが、個人的にお話したときに、『ピアノを本格的にやったのは大学から』と聞いてビビり散らかした。音楽の先生は、卒業式の証書授与のときにピアノを弾いていたが、私はそれだけでもう泣いてたくらいだった。

 

私は今は、自分のピアノのド下手さを親や先生のせいにする気はない。話のネタくらいにはするけどね(笑)

 

でも…子の親でもある今あの体験を思い出すと、やっぱり子供があまりにも嫌がっているとなったときは、よく話を聞いて、どうしていくかを親子で一緒に考えてほしいな。金ドブは普通にもったいないし、せっかくお稽古をしてもそれが嫌いになったらもったいない。

 

向き不向きもある。

 

ピアノを子供に習わせたら、『ピアノくらいはそれなりに弾けてほしい』『せっかく高いピアノを買ったんだから…』『一度始めたことを簡単にやめるのは今後の人間形成に云々』そんなふうに思う親の気持ちはわかる。

 

そこまでして、月謝を払い続けて、大人になった我が子がこうしてブログに、

 

地獄だったとか親よ金ドブに気づけとか書くようになったら、嫌じゃない?(笑)

 

その後私は、親があれこれやらせた習い事とは一切関係のないことに学生時代打ち込んで、ちょっとバイトくらいならできたり、人生のよき思い出になった。

 

まあ、そんなもんだなー…というお話。

特にオチは見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トイレトレーニングの話。

数日前、次女の担任の先生から持ち物のことで電話連絡をもらったとき、『幼稚園でトレーニングパンツを履いて過ごしてみませんか』というお話があった。ちなみに、うちの次女は幼稚園年中、4歳。全くトイレができないわけではなく、この子なりに成長はしているのだが、まだバリバリのおむつユーザーである。

 

f:id:ana5126:20220509010707j:image

(唯一持ってる未だ新品のトレパン↑)

 

長女のトイトレの思い出

 

長女は誕生月が早く、その他の成長も早かった上、『2歳の夏はトイトレの始めどき』みたいなことをあちこちで見かけて、私もトイレトレーニングというものをやってみることにした。

 

レーニングパンツを買い、『おしっこ出る前に言ってね!』とかやったけど…結局めちゃくちゃイライラしてしまい、長女には本当に可哀想なことをしたなと反省するばかり。おしゃべりもよくできていたので、『他のことは喋るのに何でおしっこだけ言えないの?』と思ってしまった。

 

今ならわかるが、当たり前だ。生まれたその日からおむつをつけていて、排泄はおむつが当たり前。尿意が何かすらわからない2歳の子に、『(ベラベラ喋れるんだから)尿意があったら親に告知しろ』なんて無理な話でしかない

 

床にお漏らししてもいいや!何回でも洗濯して、着替えさせればいいや!親子で地道に頑張ろう!…とかいう気持ちもなかったのに、子供にだけあれこれ言って勝手にイラついていた私。

 

すっぱりトイトレをやめた。

 

おむつはラクだし、イライラすることもないし、まあいつか取れるでしょ、と何の心境の変化かわからないが、おむつに戻した。来年こそやろう!とも思わなかった。

 

トイトレは幼稚園の先生が

 

その『来年』には、長女は幼稚園に入園していた。満三歳児クラスに四年保育で入園。リュックサックにおむつを入れて、トイトレなど完全に忘れていたある日。当時の担任の先生からこんな連絡があった。

 

『長女ちゃん、布パンツで大丈夫だと思います。他のお友達がパンツを履いてるのを見て、自分もはきたいって言ってくれてるんです。幼稚園でトイレもできてますし、失敗したときは体操ズボンの貸し出しもできますから、パンツにしてみませんか?』

 

え?そうなの?全然知らなかった…と思いつつ、バス通園分のおむつ、予備の布パンツなどを持たせて幼稚園に行かせていると、気がつけばトイトレ終了、おむつが取れた

 

寝るときとか、少し遠出するとか、トイレがすぐにあるかわからない夏祭りに出かけるときは、おむつを下にはかせることもあったが、それは私が面倒かつビビりなだけで、長女はほぼ完璧にトイレをマスターしていた。気がついたら家でも自分でトイレに行くようになり、おねしょもない子だった

 

幼稚園の先生、神。

 

長女のトイトレの95%くらいは、先生がやってくれたようなもので、感謝しかない。家でも気がついたらパンツになってて、細かくはどうしてたか覚えてない。私が覚えてないってことは特に悩んだとかイライラしたとかもないということ。

 

幼稚園でもほぼ失敗はなく、へえーやっぱり集団生活ってすごいなぁ、周りの子の影響や幼稚園の先生のアプローチでおむつまでとれるのかと感謝しつつも驚いていた。

 

次女には通用しなかった

 

次女は早生まれなので、週1のプレ幼稚園に通って、三年保育で入園。でも『他のお友達どころか4歳年上の姉が家にいるし、トイトレなんて余裕だろう』『幼稚園に行ったら姉と同じようにお友達の影響を受けてくるだろう』と思っていた。

 

甘かった…

 

次女は『おむつがどうなっていようが全く気にならないし、友達が何を履いていようがどうでもいい』というタイプだったのだ。

 

幼稚園入園前の書類に、トイトレの進み具合を記入する欄があったが、『全く進んでいない』に全力でマルをつけた。何でも姉の真似をしたがり、同じ時期の姉がビビってやらなかったようなこともするし、トイレも真似してくれよと思ったが、本人が気にしていないのでどうしようもない。

 

私の実家で長女のお下がりの布パンツを履かせてみたら、ストッケのトリップトラップパチモノチェアがびしょ濡れになっても平気でご飯を食べていた

 

そういえば、生まれたときから違ったかも…。長女は生後すぐから、大きいほうはイヤだったようで、泣いて知らせることがよくあった。次女は多分一度もなかった。ある程度成長しておしゃべりを始めてからも、

 

ウ◯コ?

へばりついてますけど何か?

 

と全然気にしてないくらいの子だった。それでも、先に意識したのは大のほうだったようで、絶対してるよねというときに、私なり誰なりがおむつを見ようとすると、見せないというわかりやす過ぎる次女…(してないときは、自信満々に見せにくる)

 

それでも、集団生活が子供に与えるものは大きいはずだと期待して、3歳2ヶ月で幼稚園入園。長女は満三歳児、つまり二歳児のクラスでおむつが取れた。最初は人数も少なかった。

 

それよりも1歳上かつ、同級生の人数も始めから多い年少組。もうトイトレを終えて入園してくる子もたくさんいる。

 

影響ゼロ。皆無。

 

毎日毎日、おむつ専用に買った持ち手付きの小さなビニール袋とおむつにサインペンで名前を書き、帰りにはリュックサックにその袋に使用済みおむつをつり下げて帰ってくる。見た目がまるで、

 

お腰につけたきび団子。

 

いつしか私はそれを『おみやげ』と呼ぶようになった。いらなさすぎるお土産だが、年少組になれば一人、また一人とおむつを卒業していくだろう。先生にも申し訳なく、2歳になりたてだった長女よりは話もわかるだろうともうさすがにこれは放置じゃダメだわ…とゆるくゆるーくトイレに気を向けさせた。先生も、実家の母も、長女も協力してくれた。

 

が、完全おむつのまま、年少組は終わってしまったのだった。

 

焦ることはない、トイトレ。

 

これが一人目だったら、私はもっと悩んでしまったかもしれない。『あーこの子、トイレとかどうでもいい子なんだわハハハ』で済ませることなどできなかったと思う。

 

焦るよね、だって周りの子ができてたり、こどもちゃれんじでトイトレに触れるのも2歳向けのコースのときだし、今よりもトイトレを早くしていた時代に子育てをした人達に『まだおむつなの?』とか言われたり。色々あると思う。

 

次女の話だから嘘か本当かわからないけど、どうやら年中の次女のクラスで、完全おむつはもう次女だけらしい(笑)

 

先生ごめんなさい……

 

幼稚園では、先生が幼稚園で用意してあるトレーニングパンツを使ってくれていたようで、最近はおみやげが1個しかない日が続いていた。リュックサックに補充するおむつも減ったり、なぜか外出先だと『おしっこ行く』と言うことも多くなった。イライラするのが嫌なので、

 

  • 朝起きたとき
  • 幼稚園から帰ったとき
  • 寝る前

 

最低この3回は出ても出なくてもトイレに行かせるようにした。ちなみに付き添いはお姉ちゃん。それだけでも効果はあったようで、ついに担任の先生から『トレーニングパンツで』の電話が。ここからが長いかもしれないけど(笑)

 

イライラしてしまったら、おむつに戻していいと思う。…いやアンタの娘、まだおむつ取れてないやん!てツッコまれそうだけど、これを実感したのは長女のとき。なーんだ、親のアプローチより、友達のパンツかぁ!と思った。次女に関しては、今でも正直ちょっと思ってる。この子、年長組になってもおむつだったりして??って。

 

担任の先生は年少のときと同じ先生。次女のトイレ事情は私よりも知ってるくらいの人が『トレーニングパンツにしてみようか』と親の私に連絡をくれるくらいにはなったようなので、4歳の次女、幼稚園でのパンツ生活に入る!!どうなるか?!

 

レーニングパンツ探し

 

長女も短期間だけどトレーニングパンツを使ったなぁと思い、出してきてみると…サイズが小さい。長女は生まれたときも今も大きいが、それでも2歳と4歳ではサイズが全然違う。

 

ということで、トレーニングパンツを買うことに。そこで気づいた。

 

サイズがない。

 

レーニングパンツのサイズって、100くらいまでしかないのね…ネットだと海外製で120とかあったりするけど、レビューを見ると『120で100くらいです!』とか書いてあったり。実寸をcm表記で書いてあるのを見ても全然わからないし…

 

次女のパンツ買ったことないし

 

一応、一枚だけトレーニングパンツを買ってあったのが100サイズで、メリーズのおむつの上から履かせてみると余裕があった。それで余計に???状態。Amazonのサイズ表記と、手元にあるパンツを比べてみてもよくわからず。そして種類も6層、4層、3層とかあって、えぇ…?どうする…?

 

『長く使うものじゃないし』と何となく思ったけど、長く使う可能性結構あるよなと思い直したり。服だったら、ああちょっと大きかったなと思ってもそのまま着せたり、翌シーズンに着せたりできるけど、すぐ使う上にあまりよくわかってないトレーニングパンツ…

 

 

こんな感じで、最初に使う6層から色々レビューを読んだりして選んでみたけど、実寸の表記マジでバラバラ。電話で話したとき、先生に普通の布パンツでもいいのか聞いてみたところ、それでも大丈夫だけど失敗したときに体操ズボンごと濡れてしまうのでトレパンを勧めたとのこと。

幼稚園、着るものは全部指定なのよね

いざ失敗したとなれば貸してもらえるけど、翌日に洗濯して持っていかないといけないし、最初から借りる気でまだ全然トイレもできてないのに普通の布パンツでいきますっていうのも申し訳ないし、借りてきたら洗濯面倒だし…

 

レビューによくある『うちの子は大きめなので』『我が子は太ももが太めで、ジャストサイズだときつそうでした』みたいな文章。

 

私、全然把握してないわ…

 

同時期の長女よりは小さいくらいしか…

演奏会で舞台にお友達と並んでる写真を見たときに、次女ちょっと脚太い?と思ったかな。おむつのサイズアップも適当だったし。あれもメーカーによって、目安体重は同じでも大きめ小さめがあったり、ここのは細いだとか、色々あって結局メリーズとマミーポコ併用。

 

マミーポコは長女のときよりだいぶ使いやすくなってて、近所のスーパーで安いからと幼稚園用に。それもちょうどなくなって、1パックだけ残ってたGenkiを今持たせてるけど、これがなくなるまでにトレーニングパンツだけになったら、いいな…

 

メリーズはまだ買い続けることになりそう。

 

ああ、おみやげを捨てるだけでよかったけど、これからはトレパンの洗濯に変わるのか。6層とか、うちの洗濯環境【サンルーム+除湿器】でもなかなか乾かないんだろうなぁ。

 

洗濯はラクできるけどね。汚して帰ってきたら(うちの幼稚園は先生が水洗いして持ち帰らせてくれる)、まず適当にバーっと洗う。すぐに洗濯できなければ、バケツとか使ってない洗面器に適当に洗剤や漂白剤を入れてほっとけば、濡れたパンツくらいどうってことない。

 

バスを降りてきて、『おみやげ』をお腰につけてる写真を懐かしむ日も来るか(笑)

 

これからも、担任の先生や母、長女、朝や帰宅後は夫も一緒に、トイトレのんびりやっていこうと思う。『おむつに戻すことになった話。』を書くことになるかもしれないけど、それはそれでいいや。

 

そんな、お話。