眠れぬ夜のひとりごと。

タイトル通り、眠れない夜の暇潰しにやってます。半分寝てて誤字多いです。

ちむがどんどんしない話。

朝ドラを久々に見ている。

朝に見てもいなければ、毎日見てもいない。

NHKプラスの配信で1週間分まとめて見る。

離脱する人も多い、今季朝ドラ。

ここまで来たら、見届けたい!!

 

ちむどんどんしない

 

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NHK朝の連続テレビ小説、2022年前期の舞台は沖縄!1972年の本土復帰から50年を記念して制作された作品。

 

正直現時点でおもしろくない。

 

まあ、私がちょっとかそれ以上変わった人間で、『この後どうなるの?どうなるの?』と思いながら映像作品を楽しむことができないから…というのもあるとは思う。

 

けど、Twitterを見ると何か安心するほどなかなかにボロ貶しにされているので、『まだヒロインが新生活に飛び込んだばかりですよ、見逃し配信もタダで見られるからオススメですよ』とは言えない。

 

これからおもしろくなるのか、どんなキャストが登場するのか、まだわからない。最終回を迎える頃にはベタ褒めしてるかもしれないし、再来週くらいに離脱しているかもしれない。

 

朝ドラのヒロインとは

 

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朝ドラのヒロインは、どんな苦労をしても窮地に立たされても誰かが助けてくれたりして最終的には幸せになります

 

広瀬すずがヒロインを演じた『なつぞら』なんて、ヒロインだけそこまで上手くいく?と思うほどだったし、吉沢亮が演じた天陽くんは死後に自画像から出てきてまで、自分と結ばれなかったヒロインのなつを励ましてた

 

だからこそ、ヒロインなのかなと思う。

 

設定が謎すぎるドン!

 

「ちむどんどん」のヒロインは黒島結菜さん演じる比嘉暢子。沖縄本島北部の

 

山原村(やんばるそん)出身

 

まずこの山原村という、ありそうな村、

 

ないんです。架空。

 

架空の村か…アニメとかだとわかるけど。やんばる出身という設定にしたのは、世界自然遺産に認定されたことが関係していると思う。昨年ユネスコ世界遺産に認定されたのは、

 

奄美大島、徳之島、沖縄本島北部及び西表島

 

奄美大島と徳之島は鹿児島県。沖縄県の本土復帰50年記念のドラマに奄美大島と徳之島は使えない。じゃあ、西表島は?

 

残念ながら舞台にするのは難しいと思う。それは…21年前に同じく沖縄を描いた朝ドラ『ちゅらさん』のロケ地、ヒロインの生まれ故郷になった小浜島西表島と同じ八重山諸島

 

さすがに離島、かつ同じ八重山は…となる。そして、島自体がコンパクトでスタッフが宿泊できる大型リゾート施設が21年前すでにあった小浜島に対して、西表島は沖縄の離島の中で本島に次ぐ面積の広い島

 

ということで、『やんばる』と呼ばれる沖縄本島北部が選ばれたのかな。

 

暢子は食べることが大好き、世界中の美味しいものを食べたい、そして身体能力の高い女の子。子役はどの子も可愛かった!

 

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ちゅらさんの子役もとてもいい演技をして、桟橋から「ミンサー織りのねぇー、五つと四つはねぇー!いつの世までも一緒にっていう意味さぁー!いつかぁー大人になったらー必ずー結婚しようねえー!」は朝から日本中の涙を誘っただろう。

 

だが、翌週には那覇に引っ越し、小学生が高校生になったくらいでそんなに顔つき変わる?とビックリするほど国仲涼子には似ていなかった。ちむどんどんの暢子ら四兄妹は、大人になってもまあまあ自然に受け入れられる子達が演じた。

 

…現時点で、褒めるポイントこれくらい。

 

放送開始前から、「父を亡くす」ことはあらすじとして発表されていたので、大森南朋演じるお父ちゃんはすぐ退場とわかっていた。

 

お父ちゃんが亡くなる前から借金があって普通に貧乏だった比嘉家は、サトウキビ栽培の他に那覇への出稼ぎにも行っていた大黒柱を失い、ますますヤバいことになる

 

「おじさん」が意地悪みたいな描かれ方をするが、おじさんだって楽な生活をしているわけではなく、お金を貸した側として当然のことを言っている。おじさんはお父ちゃんの叔父で、お父ちゃんが銀行から借りた500ドルの保証人。度々貸してくれるだけありがたいし、長男の賢秀が詐欺に遭ったときに厳しいことを言うが、ド正論でしかなかった

 

現時点で全出演者中この人がいちばん謎なんじゃないかと思うのが、

 

お母ちゃん(仲間由紀恵

 

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困っている人を見たら放っておけないお人好しの優しい母として描かれているが、途中からこの人まあまあやり手なんじゃないかとまで思えてくる。確かに、子供のためにボロボロになるまで働いて働いて、苦労している。でも、

 

謝ったりお願いすれば済む

 

と思ってるんじゃないか?という言動をする。お父ちゃんが亡くなったとき、借金返済のために男性に混じって働くが、それ以外の具体的な借金返済や生活の安定に繋がるようなことは拒否

 

何十年も前じゃなくても、借金返済や生活のために家土地を手放すことはあるよね…

 

そこまで?と思うほどの極貧生活。給食費は払えず、運動会のためのズック靴や長女の体操着も買えない。ついには、「東京の親戚」が四人の子のひとりを預かると言ってくれて子供一人を手放しかけるほどまで…

 

いつもは1ドルの日当を、沖縄出身枠で登場したダチョウ倶楽部の肥後リーダーが「子供は何人?うちは五人だよ」とリーダー家のほうが一人多いにも関わらず3ドル貰い、お母ちゃんは息子のズック靴と長女の体操着を買う。が、それをなぜか息子の賢秀が(食用に育てていた)豚の小屋に置いてあってぐちゃぐちゃにされてしまい、結局息子は裸足で徒競走に出て、長女はお下がりでボロい体操着で運動会出場。

 

いや、その演出、いる?

『新しいものが買えなくても家族仲良く心豊かです』なら、最初から買えなくてよかったと思う。肥後現場監督の心遣いは無駄になり、悪いのはブタでしたどうしようもないですねなんて、いる?

 

手放されかけるのは当然暢子なわけだが、ジャストサイズのファミリアチェック的なワンピースを着た暢子が声を上げてバスを停車させ『みんなで幸せになろうね!』何も諦めなかったお母ちゃんの勝利の瞬間

 

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結局何も変わらないまま、七年経って子役から本役にバトンタッチ。

 

借金地獄はどうなった?!

 

七年後。

 

暢子と妹の歌子は綺麗な制服を着た高校生、姉の良子は那覇の短大を出て幼い頃からの夢だった小学校教員、兄の賢秀は相変わらずフラフラしている、母の優子は共同売店で働き、家で内職もしている

 

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学費とかどこから出てきた?

 

それは結局語られず、普通に貧乏なまま。家のことは四兄妹で分担しているが暢子が料理担当以外特に描かれない。身体能力高い設定は継続し、陸上部のキャプテンと競争して毎回勝つ。卒業の日に『もうインチキしないと勝てない』と言っていた。東京へ行って高い身体能力を発揮するかはまだわからない。

 

その料理も、基本的に一品。

今週は家族全員で炒め物だけとか、雑炊だけとか、一発逆転で借金を完済して翌日は東京へ向かうという日も、お茶碗よりちょっと大きいくらいの器に入った沖縄そばを食べていた

 

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胃が小さくなったのかな…

 

それだと食べるのが大好き、美味しいもの大好きのヒロインが少食ということになってしまう

 

似ている!!(柴田サン) 

 

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ちゅらさんに登場した柴田さんが、「似ている!!」と言ってベラベラ喋るのがお決まりだったが、20年越しの皮肉なのかなと思うほど、ちゅらさんと酷似しているところが多い。

 

  • 子役時代に誰か東京から来て交流
  • 子役時代に誰かが死ぬ
  • ヒロインの兄は家の厄介者
  • 高校卒業後はとりあえず東京
  • 東京で飲食店に勤める
  • 方言指導+東京で飲食店経営が同じ人
  • ヒロイン高校時代に具志堅用高が出る

 

ちゅらさんでは、子役時代は小浜島で過ごす。あの家もどうやって生活しているのかわからない感はあったが、ほぼ誰も来ない民宿(ていうか家)に東京からのお客さん、上村一家が滞在

 

上村家には息子が二人。兄が和也、弟が文也。和也は最初から病気で、小浜島で亡くなる。その和也が恵里と文也に「お前達、結婚しろよ」と言ったことから、子役時代に結婚の約束をする。その割に再会するまでに結構かかった上、文也には彼女がいた

 

ちむどんどんでは、子役時代、山原村に東京から来た文化人類学者の父親と息子が三ヶ月間滞在し、家族ぐるみでお付き合い。亡くなるのは他人だったちゅらさんに対し、暢子の父。東京の親戚のところへ行くことになりかけた暢子は、東京へ戻る青柳父子と一緒にバスに乗り込んだ。降りたけど。もう次回予告に出ていたが、青柳和彦(息子)とあっさり再会するようだ。

 

東京に行くところ、飲食店に勤務するところも似ているが、これはまだ放送されていないので比較できないが、両ドラマで沖縄ことば指導を担当し、出演もした藤木勇人のもとで働くところまで同じ

 

ちゅらさんの恵里は、大学受験で東京を目指すが不合格。それでも東京へ行きたいと、家族全員にモロバレの家出をする。家出に気づいていた恵里の母は、恵里や恵里の父と偶然出会っていた容子さんに連絡を取り、家出の荷物の中に現金と手紙を入れ、容子さんを訪ねるようにと家出先を指定。家出ではあったものの、後見人がいるようなもので、容子が住んでいたアパートに住む。

 

ちむどんどんの暢子は…あとで触れる兄の賢秀のところへ行くのだろうか?東京に行く以外の情報がないまま、母・姉・妹が最寄りのバス停まで手ぶらで見送りに行っていた。

 

  • 東京でプロボクサーになった兄
  • (子供一人預かるよと申し出た)親戚
  • 全く連絡を取っていない青柳親子
  • 親友で東京の大学に進学した早苗

 

ツテらしいツテはこれくらい。

東京行きを反対していたおじさんの台詞に、東京へ行く片道の費用もない、下宿をするなら保証金もいると言われているが、またもやおじさん夫妻の世話になったのだろうか。お母ちゃんは、お金がどこにもない状況になっても「暢子を東京に行かせてやってください!あんたが諦めてもうちは諦めんよ!!」と土下座までして言っていたが、あれも、おじさんに追加借金をする前提で言っていたのだろうか

 

高校時代に具志堅用高が登場はオマケみたいなものだが、ちゅらさんでは甲子園まであと一歩と迫った恵里の母校、那覇高校野球部の関係者として出てきた。ちむどんどんでは、兄がプロボクサーになったため、具志堅さんもボクシング関係者として出演

 

沖縄の長男の描き方の謎

 

ちゅらさんでは、家族に迷惑をかけつつもここぞというときは親や弟妹を思いやり、視聴者に嫌われるようなこともなかった恵尚ニイニイをゴリが演じた。

 

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何度となく家のお金を持ち逃げ、思いつきで作ったゴーヤーマンが全く売れずに在庫を抱えることになったが、現実世界ではバカ売れのお土産物になった。定職に就かず、フラフラしていてどこにいるのかわからない種違いの兄だった。

 

ちむどんどんの暢子にも兄、賢秀がいる。名前がネタかと思うほどのアホ。ただ、見ていて本気でイライラするほど、家族に迷惑をかけっぱなし。「長男だ!」と威張るくせに何もせず、人を殴っても行きつけのお店を破壊しまくっても、俺は悪くないと謝りもしない

 

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ちむどんどんの家族のほうが、家族で唯一の男手となった賢秀がしっかりするしかないのに、朝ドラに誰かはこういうフラフラしている役が必要なのか何なのか、やっと妹に謝ったかと思っても、

 

何その言い分?

 

としか思えないようなことを言う。暢子の就職内定先の息子を殴ったときも、親戚一同から借りたという1000ドルを詐欺師に騙し取られてキレて酒に酔い、行きつけのお店で破壊行為に及んだときも、謎すぎるお母ちゃんが代わりに謝りに行って終わり

 

謝ったら死ぬのかと思うほど謝れない、謝らない人は現実世界にも存在するが、ああなったのはどう考えてもお母ちゃんの影響だろう。

 

…ちょっと待った。

誰が聞いてもそりゃ詐欺だろという話を信じて、親戚中から1000ドルをかき集めたという賢秀。

 

親戚、いたの?

 

おじさん夫婦以外にいたんだ…

それも、ほぼ返済能力がないことをわかっていて貸してくれる親戚がいたのね。それなら、子供時代の極貧生活のときに身のまわりのこととか給食費やら体操着くらい、その親戚が助けるなり貸してくれたんじゃないの?

 

恵尚(けいしょう)と賢秀(けんしゅう)で名前も似ている二人、もう焼き直しですよね?というほど同じようなことをする。西洋料理をやりたい!東京でコックさんになりたい!と高校生でやりたいことを見つけた暢子に対して、ちゅらさんの恵里は上京後、看護婦(当時はまだ看護婦)になる!と目標が決まる。

 

が、両者ともに金がない。

 

そのときにこれまで迷惑をかけ続けたニイニイが、何の前触れもなく超絶グッドタイミング、妹のここ一番のときに大金を送ってくるのだ。

 

一緒やん、全く一緒。

 

ちゅらさんの和也、ちむどんどんのお父ちゃんはそれぞれ小学校の授業時間に危篤に陥ったため、報せを受けた恵里や暢子らは学校から家に向かって必死に走る。あのシーンも『一緒やん…』てなったが、人の死に目は仕方ない。そりゃ走って帰って間に合うかどうか…は描かれるだろう。

 

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恵尚は恵里の看護大学の費用を、賢秀は今までの借金全部返せて暢子の東京行き費用を出してもお釣りが出る大金を送ってくる。

 

家族一同大感激!

 

恵里の学費をニーニーが工面したときは、語りとおばあ役で出演した平良とみさん(誰もが認めるちゅらさん助演女優賞だろう)が、『恵尚が…初めて、古波蔵家の役に立ったねえ…』と泣いて喜ぶシーンがあった。

 

ちむどんどんの賢秀は、

もうあまりの酷さに、

一回大金を送ってきたくらいで、

お前のしたことは帳消しにならんよ…

 

みたいなキャラ。今のところ。

 

ちゅらさんと比べられても、同じNHKで同じ朝ドラでことば指導も同じ藤木勇人。製作陣としては『懐かしくない?この感じ』くらいなのかな。

 

嫌ならなぜそこで歌う?歌子

 

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ヒロインのキャラクター設定すらあやふやで謎の多いちむどんどん、その他登場人物も何となく、設定からズレたような人が多い。

 

暢子の兄はもういいとして、真面目で賢くて父との約束を守って教師になった姉の良子もまあ置いといて。

 

妹の歌子。名前の通り、歌が好きで、体が弱く、視聴者時間で言うと毎週高熱を出して、引っ込み思案。人前に出るのは苦手。小さい頃はお父ちゃんの三線に合わせて歌っていた。

 

高校生になった歌子は、誰もいない音楽室で歌を歌う。これに目をつけたのが、音楽教師の下地響子先生。歌子の才能を見出し、トムとジェリーのような追い回し合いをするのだが…

 

本当に人前が苦手で、人と話すのも苦手で、音楽の先生に追い回されるのも嫌なら、絶対にまた下地先生が来るであろう音楽室でわざわざ歌う?

 

ピアノの練習をしにきた子に話しかけられても、声も出さずに頷くばかり。なぜ毎回音楽室に行くのか。下地先生との追いかけ合いもよくわからない。1年生の歌子は高校の授業でまだ音楽がないのか、芸術科目が選択式なら書道でも選んだのか、先生も先生でいちいち音楽室に行かなくても、「比嘉歌子!!」と顔も名前も知っているのだから、普通に職員室か音楽室にでも呼び出せばいいのでは?さっさと下地先生と歌子が出会っても歌を教えてもらっても、その後に何の影響もないと思うけど…

 

賢秀がキレて店をめちゃくちゃにしたハンバーガー店に居合わせた下地先生。多分ケチャップだが頭から流血。音楽を汚した賢秀を告訴する!賢秀に足を怪我させられた!と言い出す。

 

警官とともにやってきた賢秀の家には、妹の歌子が。告訴するとまで言っていたが、歌子がどんなに間違えてもいいから歌えば許す…と。

 

ハァ?

 

歌子は、お父ちゃんとよく歌っていた「椰子の実」を歌い、無事賢秀は許される。下地先生は、『私はあなたに音楽を教えるために音楽教師になった!』みたいなことを言い出す。

 

やっとここから、追い回し合いが終わり、歌子は卒業まで下地先生の指導を受けるのかと思ったら…

 

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私、石垣島の高校に移動になったの

 

え?片桐はいり退場?!

 

まあ…暢子が東京に行くから、歌子ら沖縄メンバーの登場は一旦減るのかもしれないが。追い回し続けた暢子に、『あなたにいろんなことを言う人がこの先いるだろうけど、そんなことは一切気にせず、自分の思うままに生きなさい。歌いたい歌を歌いなさい。いつどんなときも歌をやめてはいけない、たとえ聞いてくれる人が一人だったとしても』と伝える。

 

これまで、逃げる歌子と追う下地しか見てないのに、突然そんな人生の教訓とか説かれても…

 

どう受け取ればよいのか?

 

これ歌ってみてと封筒入りの譜面を渡すと、歌子が知っているという芭蕉布。お父ちゃんから沖縄民謡も教わってきたという設定の歌子、ほぼ翼をくださいを歌い続けていて沖縄民謡は歌っていなかったけど

 

下地先生が三線を出して、三線もできるんですね!と驚く歌子。それまでずーっと標準語だった下地先生、そこだけなぜか沖縄アクセントで喋り、あー下地って苗字だし沖縄の人だったのね…石垣島の高校で第二の歌子を見つけてくださいお元気で

 

結局、下地先生の前で歌ったのは、賢秀を許すために家の前で歌った椰子の実と、先生の三線に合わせて沖縄の歌らしさ皆無で歌った芭蕉布だけだった。

 

今後歌子も大人になっていくが、ジョンカビラの語りで『歌子は音大の声楽科に進学しました』とか言われても別に驚かないくらい何もかもいきなりだった。

 

ニュースで見かけたツッコミによると、歌子のテーマソングのようになっていた「翼をください」は、1971年に竹田の子守唄のB面としてリリース。歌子が高1のときはちょうど1971年度。ヒットしたのは少し後、家にラジオもない。…まだ歌子は翼をくださいを知らないのでは?というもの。

 

えぇ…?

 

優しい?サイコパス?お母ちゃん

 

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最近の朝ドラを見て驚くことといえば、私達の世代だとドラマで主演をつとめるような人達が、ヒロインの親役になっていること

 

仲間由紀恵も、心優しいお母ちゃんとして登場。自分も苦しくても、困っている人を放っておけず、夕食を全部豆腐屋さんの親子にあげたり、夫を亡くしてからは道で倒れ込みかけても働いて、お父ちゃん手づくりの家、お父ちゃんの畑、子供何一つ諦めなかったお母ちゃん。

 

そして賢秀にゲロ甘。

 

暢子が就職予定だった会社の社長の息子を殴っておいて俺は悪くない!と謝りに行かない賢秀。確かに、社長息子は暢子にもおばあさんにも失礼な言動をした。それでも、賢秀に非がないとお母ちゃんが本気で思っていたとすれば、親としてヤバい

 

時代が時代なので、長男贔屓は今よりもあったのかもしれないが、お母ちゃんは賢秀を説得せず、殴ってもないむしろ内定取消の被害をこうむった暢子に謝罪に行かせる

 

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なんでやねん…

 

一人で謝罪に行ったときに聞いた話で思っていた仕事と違ったことや、社長息子と偶然会ったときに言われた言葉から結局暢子も掴みかかろうとしてしまい、暢子の就職はなかったことに。それでも賢秀を信じ続け、庇い続けるお母ちゃん。

 

良子は教師になり、多分あの描き方では給料のほとんどを家に入れていたのだろう。服も買えず、勉強会仲間のポッピーピポパポ…里美にマウントを取られてしまう。想いを寄せている相手も行くパーティーのため、良子は給料からワンピースや靴を買っておしゃれをして参加。

 

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(ヒロインでもいいほど可愛い)

 

貧しさを恥じたと謝る良子

 

何か、このときのお母ちゃんの反応が薄い気がする。うんうん、と微笑んで頷いていたような。もう忘れたが。『いいんだよ、良子』とかお金を入れてくれていることへの感謝は口にしていたが、体操着が買えなかった小学生時代とほぼ変わらないままの良子に、もう少し母として寄り添ってあげてほしかったな。

 

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『良子が稼いできたお金なんだから、良子が好きなことに使っていいんだよ。この服、とても良子に似合うね、良子は若くてとても綺麗な時期なんだから、これからも自分のものを、誰に遠慮せず買っておしゃれしてね』

 

とかこれくらい言ってほしかった。良子の言葉をそのまま嬉しそうに聞いていたら、良子はいつおしゃれするのだろう?お金に余裕ができて返済がなくなった来週からも、良子の服装はあのままなのか…?

 

暢子のために給料を前借りして、使う必要がなくなった300ドルも『自分のためではなく家族のために使う、それが私』と言っていた良子。新聞にまで兄の活躍が載ったのだから、前借りの必要がなくなりましたと、校長先生に返してはどうか?と思った

 

お母ちゃんが300ドルを用意してきておじさん夫妻に土下座プレイをかますのだが『せめて600ドルあればねぇ…』

 

もうあると知ってるかのような

 

感じね。良子の300ドルを足せば600ドル。あのシーンみたいな取ってつけた感がとにかく随所に散りばめられているちむどんどん。

 

それにしてもお母ちゃん…大金を詐欺られ、川ちゃんマスターを殴り、川ちゃんハンバーガー店をめちゃくちゃにしておいて謝りもしない賢秀のことは、『優しくていい子なんです』と庇うのに…娘のことは結構どうでもいい感じ??

 

ゲロ甘に育てた賢秀は大金を詐欺られても、

 

『俺のことを嘘つきとか何とか馬鹿にしてきた大人を見返したかった。初めて俺を褒めてくれた人を信じたかった』

 

お母ちゃんが褒めて認めて育ってきた結果↑

 

優しい虐待?

金借りる名人?

謝ってお願いすればOK?

 

お母ちゃんと賢秀は、本質的にはよく似ているのかもしれない。

 

ちゅらさんにはあったもの 

 

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ちゅらさんは全国的に大ヒットしたし、このタイミングで総集編再放送はちむどんどんに悪影響では?とまで思うが、それぞれのキャラクターがしっかりしていた。

 

よかったのが、沖縄の舞台などで長年活躍してきた平良とみさんの語りと演技。そして「おばあは電話が鳴ることを予知できる」とか「容子さんはよく転ぶ、食事中に電話が鳴る」「真理亜さんは絵に描いたようなツンデレ」「ニイニイの友人の島袋さんは間が悪い」といった、ブレないキャラクターの軸があった。

 

全員で盗み聞きしてて話の決着がついたときにコケて盗み聞きがバレるといった吉本新喜劇的なお決まり芸もよく出てきたが、今のちむどんどんでは誰がそれをやってもイラつくだけだろう。

 

平良とみさんはちゅらさんより前に出演した映画で名前が売れたとはいえ、朝ドラに出てきたら誰?でしかなかった。それでも、あの役と語りができたのは、彼女の他にいなかったと思う。長年培ってきたしっかりとした演技の力もあり、沖縄のことばもとても自然。

 

別におばあさん、おじいさんでなくてもいいから、しっかりとしたキャラを持ち、沖縄を感じさせ、コミカルな場面にも泣ける場面にも話のオチにも登場させられる人が、ちむどんどんにも…

 

これから出てくるといいね。

 

ここまで比較してきたが、ちむどんどんの暢子は、沖縄が本土復帰した1972年の5月15日に沖縄から東京に旅立っているが、ちゅらさんの恵里はその日に生まれたということになっている。

 

そのため、時代が違う。

東京に出てからの時代が今から50年前ということを頭に入れて見ていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしもピアノが弾けたなら。

「金をドブに捨てる」という言葉があるが、これとほぼ同じ意味になるのが「私にピアノを習わせる」だ。通算何年習い、親はいくら払ったのだろう?もうわからない。

 

ピアノを長く習っていて、私ほど弾けない人もいないんじゃないかと思う。

 

今は自分が子の親になり、子供のやりたいこと、好きなこと、できたほうがいいこと、させてやれることを考える中で、私とピアノの思い出を書きたくなった。

 

可愛い友達が習っていたから

 

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保育所に通っていた頃、とても可愛らしい同級生がいた。私は幼心に、彼女に憧れのような感情をもっていた。その友達がピアノ教室に通っていることを知った私は、自分もやりたい!と親に言い、「可愛いお友達と同じお稽古がしたい」というだけの理由でピアノを習うことになった。

 

ピアノ教室は自宅から近く、今実家があるところからすれば1分くらいの場所にあった。最初の先生となった田中先生は、とても優しい先生だった。顔も覚えてないけど。幼児用の教本を使った週に一度のレッスン。特に怒られたりしたこともない。それなりに楽しく通っていたつもりだ…

 

が、すでにピアノが面倒だったのか、記憶にあるが「ピアノ教室に着いてからバレバレの寝たふり」をしてレッスンを受けなかったことがある。母に立たされても寝たふりを続けた。絶対バレてたと思う

 

田中先生にどのくらい習ったかは忘れたが、ご家族の介護か何かで教室を辞めるということで、田中先生には短い間しか習わなかった。先生がここで変わったのだが、そのへんの記憶は曖昧。

 

父のブチギレでピアノを辞める

 

小学校入学前くらいだった。大事件でしかないが後から考えればピアノを辞める大チャンスともいえる、忘れられないことが起きた。

 

父は若いころ、毎晩サウナのある銭湯行っていた。家族で行ったこともしょっちゅうあるが、たまたまそのときは父と私で行った。昔から長時間入浴するとすぐに気分が悪くなる私は、自分用のおふろセットを洗い場に置いて、一旦脱衣所でロッカーの鍵を開け、バスタオルを巻いて休憩していた。

 

そこへブチギレの父登場。

 

え?とか言う間も思う間もなく飛んでくる父のゴツい手。わけもわからないまま、サウナの前にある水風呂のところに何度も叩きつけられた。私は本気で、父が何をそんなに怒っているのかわからなかった。というかあの光景、今の時代なら誰かが警察に通報すると思う

 

父は昔ながらの職人気質。家族に弱音など吐かず、相談もせず、仕事の話は妻子にしない。足腰の動く男は働いて当然という考えの父、今は83歳になったが、生涯現役…のつもりのようだ。

 

母も私も、父がキレると昔はオロオロしていたが、今では「あー…仕事で何か腹の立つことでもあったんやな」くらいで刺激しない。別件でキレられると本気で腹立たしいが、まあ、なかなかに盛大にキレることがたまにあった。

 

銭湯で休憩してたときは、

 

「自分の風呂用具もほったらかして出るようなモンが何がピアノじゃ!明日すぐ辞めてこい!」

 

高校入試の思い出にも書いたが、母はこれに「はい」と従って本当にピアノを辞めさせた。「忘れ物なんてしてない…休憩してただけで戻ろうと思っていた。パパだって今日初めて私が休憩してるのを見たわけじゃないはずなのに…」そんなのは絶対に通用しない。言えば火に油をそそぐだけだ。

 

全部本当なんだけど、キレた父と絶対服従の母に理解されることはなかっただろう。

 

父の機嫌もなおった頃、私はまたピアノを習うことになるのだが、あそこで辞めたままにしておけばよかった…とずーっと思い続けることになるのだった。

 

曜日、場所、相性、全部最悪

 

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小学校に入り、またピアノを習うことになった私。確かレッスンの曜日は木曜日だった。木曜日だけ、Y先生という音大出の先生が担当していた。習い始めた頃の教室は立ち退きの場所になり、何と新しい教室は自分の家の真下だった。

 

同じ学校、同じクラスの友達も多く通っていて、木曜日以外の子はT先生に教えてもらっていた。木曜日じゃなかったら、あんなにピアノ嫌いにならなかったかもしれない

 

Y先生は完璧主義で厳しい先生。考えたら今の私より若かった。1年生のときはピアノを習い、定番の赤バイエル(バイエル上巻)などを使って習っていた。

 

ミスタッチを一回でもしようものなら、絶対にマルをくれず、先へ進まない。同じところで間違えると特大の溜息をつかれ

 

「はぁ…もういっぺん」

 

…レッスンは30分なのだが、息が詰まり、永遠のように長かった。

 

8歳の誕生日に伯母が電子ピアノを買ってくれるまで、うちにはキーボードしかなかった。そして、私は全く練習をせず、全く上達しなかった

 

2年生になった頃、Y先生から母に「エレクトーンにしてみてはどうか」という提案があった。理由は何か忘れた。相手が何かの先生(教師、医師、その他色々)というだけでド緊張する母は、特に考えるでもなくこれを承諾。私はエレクトーンを習うことになった。

 

エレクトーンの椅子は高く、身長の小さな私は立って弾かされた。右手、左手、足まで使うエレクトーン。今では上手な人の演奏動画をYouTubeで見るくらい好きな楽器だが、ピアノのときよりも地獄度が増した。

 

 

無言と手汗と謎の歌

 

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家にエレクトーンもないのに何でだろう?と思ったが、うちにあったのがキーボードだったからかな。2年生の誕生日にピアノを買っても、じゃあピアノに戻りましょうという提案はなかった。

 

レッスンの前に教室の水道で手を洗うのだが、特大の溜息と『ハァー、もういっぺん』のプレッシャーで、幼い私は手汗をかいた。鍵盤の上で手汗をかくと、ホコリでも吸着するのか黒っぽい水分が出てくる。

 

Y先生はキレて、『汚い!早く手を洗ってきて!』と怒る。手汗かかせたの誰だよと今なら思うが、エレクトーンを弾いている間、私はほぼ息を止めていた。声ひとつも発さず、ただレッスンが終わるのを待っていた。

 

レッスンの終わりに、Y先生がエレクトーンを弾き、歌を歌わせられた。息を止めて黙っていたら、普通に喋ろうとしても声カッスカスだ。それなのに、歌え???

 

先生の素晴らしい伴奏で『おおシャンゼリゼ』を歌ったときは、私としては頑張って歌ったし、歌うのは別に苦手でもなかったのだが、いやこんな重苦しい空気でずっと黙っててどんなテンションで歌うねん?てなった。

 

突然止まるY先生の伴奏。

 

『あのね、この歌は世界的に有名で、楽しくシャンゼリゼ通りを歩いてる歌なのね。私ちゃんの歌い方、どこが楽しいの?じゃあ動きもつけて歌ってみて』

 

ハァ?

 

いつも何か素敵なことがどころかいつも何か嫌なことしか起こらないこの30分間を耐え忍んでいた私、そして当然パリのシャンゼリゼ通りを見たこともない子供に、この先生何の要求してんねん?

 

どんどん先生もエレクトーンも嫌いになっていった。他にも、生徒だけで行く夏合宿のようなものがあって、いちばん小さい2年生で参加した私。お小遣いを持って行くことができたのだが、心配性の母が私のお小遣いを財布ごとY先生に預けた。プールに行ったとき、自分が持ってきたお金だからと「先生、かき氷を買いたいから…」と言うと、

 

『さっき、たこ焼き食べたでしょう?またお金使うの?』

 

タコ焼きはそんなに好きでもないけど皆が食べたから付き合いで食べただけだった。暑いのに私だけかき氷を食べられず、年上の子やT先生の生徒達が食べているブルーハワイのかき氷が羨ましかった。先生に小遣いを預けた母を恨んだ。母も「使い道まで先生が決めると思わんかったわ…」と言っていたが(笑)

 

ピアノに戻るも、嫌さ倍増

 

3年生までエレクトーンを習い、何がきっかけかこれまた忘れたが、ピアノに戻すことになった。Y先生は『前に使っていたバイエルを来週持ってきて』と言った。

 

(昔はカバーがかかってたような?)

 

2年も前に使わなくなった赤バイエル、どこへやったのかわからなくなっていた。次のレッスンまでに持っていかないとまたキレられると思った私は、当時母や伯母と毎週のように買い物に出かけていた先にあった楽器店で赤バイエルを買ってもらった。

 

そしてそれを持って翌週のレッスンに行った。

 

『はぁぁ……私ちゃん。先生、バイエルを買ってきてって言った?言ってないよね?前使ってたのを持ってきてって言ったんやけど。なかったら、買ってきなさいなんて言ってない。それに、多分もうないと思ってたから、先生バイエル買ってきてたんやけど

 

ハァ?

 

その日、先生は母宛にと私に手紙を持たせた。私も読んでみたが、それなら最初からそう言えよとしか思えない内容だった。一部覚えているが、

 

私としては、◯◯ちゃんに自分の力で探してほしいと思ったので、前に使っていたバイエルを持ってくるようにと言いました。見つからなければ、それを自分で私に伝えてほしいと云々

 

知らんがな。

 

確かに、教本や出席ノート(ぴあののーと、だった)、月謝袋は先生が用意してきて、保護者が代金を支払うようになっていた。でも、自分達で勝手に用意するなと言われていたわけでもなく、赤バイエルも以前と全く同じものを用意していった。母も『探したけどなかったでーす』のほうがダメだと思って、楽器店で買ってまさか怒られて手紙にまでごちゃごちゃ書かれるのは想定外だったらしく、困惑していた。全然違う教本を買ったわけでもないし、『次回持ってこい』と言われたものが手元になく、それと同じものが用意できるなら、買うよね…?みたいな反応だった。

 

(これ使ってた!今もあるのね!)

 

先生が買ってきたバイエルはミッキーマウスの可愛い表紙で、同じシリーズの『レパートリー』という練習曲集は、バイエルの副教本として使うことになって先生にお金を渡したと思う。

 

いやマジでそれにしてもさ、ないと思ってたから買ってたのにって言われても

 

こどものバイエル ミッキーといっしょ2 レパートリー

こどものバイエル ミッキーといっしょ2 レパートリー

  • 作者:
  • ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス
Amazon

 

なんとなく検索してみたら今でもあった。バイエルって書いてあるし、②って何だろう?下巻?私の記憶ではこの画像のような青い表紙だったし、ミッキーバイエルは先生が別の子にでも使うと言ったけど、『レパートリー』は練習曲が色々入った副教本みたいな感じだった。変わったのかな?

 

もうこの時点でピアノもY先生も大嫌いになっていた私は、伯母が買ってくれて今でも実家にある電子ピアノで練習することなどなくなった。私がピアノを弾くのは、週に1回30分、五週目がある日はレッスンが休みになるため、月にして2時間、そのうち先生に怒られたり歌わせられたりしたのを抜けば、1時間くらいだった。

 

それで上達したら凄いわ。

 

同じミッキーマウスシリーズに、ワークブックみたいなのがあって、それは音符や休符を書き込んだり、演奏記号を学ぶものだった。ト音記号を書くのがヘタ過ぎるとブチギレられたくらいしか記憶にない。

 

母が「気を遣うから」…

 

私はもう何度も何度も「ピアノをやめたい」と母に訴えた。同級生達はとっくの昔にバイエルなど終えていて、夏合宿の発表会では下の学年の子から引くのだが、私は何歳も年下の子よりもド下手だったし、ピアノを続けるなら曜日を変えてほしいと懇願した。曜日を変えれば、T先生の生徒になれるからだった。

 

今は私も娘をもつ母になったが、長女や次女が当時の私くらい本気で嫌がっていたら、辞めさせるか曜日(講師)を変えるか、教室ごと変える。

 

その前に自宅での練習だってさせるし、先生との相性も考える。何かあれば先生と話だってする。あ、娘達はピアノを習っていない。習い事はゆるく通っているスイミングスクールだけ。まあ、ピアノと違って自宅で練習ができないスイミングであっても、あの頃の私ほどの『辞めたい…』の懇願を我が子がしてきたら、とりあえず休会なり何なり、子供ともスクールとも話をして対応する。

 

ところが、うちの母は…

 

勝手に辞めたらパパ怒るやろうし、家の下やから曜日変えたらY先生が嫌で変えてるの丸わかりやんか、そんなんママ気ィ遣うしよう言わんわ

 

いやいやいやいや、

ワテほんまによう言わんわ

は、笠置シヅ子より私のセリフだ。私は当時他の習い事もしていたし、Y先生が真上のうちに来ることも、私が不在か家にいるか知ることもない。『木曜日は都合が悪くなったので、別の曜日にします』の何がダメなのか本気でわからない。

 

自分が気を遣うのが嫌、旦那(父)を怒らせるのが嫌だからと、娘の懇願を却下した母。

 

そして金ドブに気づけよ…

 

保育園からピアノを習っている自分の娘が、後から習い始めた子が難しい曲(子犬のワルツとかエリーゼのためにとか)を弾いてるのに、ソプラノリコーダーでも吹けるようなクッソ簡単なエーデルワイスを発表会で弾いてて、何とも思わなかったのか?

 

「この子には向いてないな」と普通の親なら思うだろうし、誰にでも何にでも向き不向きもあるけど、まず自宅練習をさせようよ。自分は何もせず、相性最悪の先生に丸投げって何ィ?ヘタでも我が子が好きでやってるならまだしも、泣くほど嫌がってたのに。

 

同じ曜日に習っていた同級生に『私がピアノをやめたがってると先生に話してほしい』とか頼んだことまであったわ。ちなみにその子は小学校の合唱で伴奏をつとめるほど上手だった(笑)

 

これまた何のきっかけか、やっとのことで金曜日に変わったときには、5年生の後半になっていた。

 

T先生とY先生、天地の差

 

保育園児からピアノを始めて、間にエレクトーンをやっていた期間があったとはいえ、5年生でまだ黄色バイエル(下巻)を終えていなかった私。T先生になった途端、あっという間に進んだ。

 

1回のミスタッチも許さないY先生とは違い、T先生はよほどボロボロに間違えない限り、普通にハイ次と進めていく先生だった。元々夏合宿でお互いに知っていたし、私のピアノがド下手なことくらいT先生はわかっていた

 

適当な感じで黄色バイエルを終えたと書くと、Y先生のほうがちゃんとした先生なんじゃないの?と思うかもしれないが、T先生はいつもお手本として弾いてみせてくれた。私が何度も間違えるところを『先生がそこ弾いてみるわな』と耳で聞かせてくれた。

 

それから、なぜY先生が教えなかったのか知らないが、右手でドレミファソラシドと弾くときに親指でドから弾き始めて、中指でミを弾いたらその中指をくぐらせるようにしてファを親指で弾く、基本中の基本も教えてくれた。

 

T先生が副教本に使っていたのは、

 

↑『わたしはピアニスト』だった。この表紙の絵、めっちゃ懐かしい!!バイエルの次は、ブルグミューラー25を使っていたと思うが、T先生はもうどうでもよくなったのか途中から『好きなの持ってきていいよ』になった。

 

このころ、実家の真下から、中学の近くに教室が移転。ひとりで自転車で行ける距離だった。自宅練習の習慣はないままだったので全く上達はしなかったが、ピアノ教室に行くことが苦痛ということはなくなった。

 

発表会は夏合宿の他、広くなった移転先の教室でクリスマス会をT先生の生徒だけでやっていた。私がT先生の生徒になったのは、ちょうどそのクリスマス会の直前で、ピアノ教室の生徒の中ではまあまあな年齢ながら、ソロはまさかの

 

ジングルベル

 

だったこともあった。

幼稚園児でも弾けるアレンジだったと思う。

 

別にねじ込まなくていいのにアンサンブルにも出ることになり、めざせポケモンマスターの組に入って、たまにしか叩かないグロッケン担当だった。

 

別れの曲、そして未来へ…

 

6年生のクリスマス発表会では、コードにすると、CとGとG7しかほぼない左手でショパンの別れの曲を弾いた。同級生はちゃんとした演奏で乙女の祈りとか弾いてたけど、あんなヘタクソな別れの曲もないくらいのソロを先生が私でも弾ける編曲にしてくれた

 

この年はソロはどうでもいい。

アンサンブルで事件発生。

 

T先生、私を忘れる

 

アンサンブルは学年ごとに演奏した。ピアノやエレクトーンを数人で弾く。もう一回書くが、みんなで、一曲を、弾く。

 

ごめん、私ちゃん!先生、ちょっと忘れてて、私ちゃんのパートないねん!そやから、歌ってもらってもいい?なんか、誰々ちゃんが言うててんけど、夏合宿のカラオケで私ちゃんがこの歌を歌ってたって聞いたから

 

前年は『めざせ!ポケモンマスター』で鉄琴をたまに叩く担当だった私。まあ、あのときは仕方ないよね。曜日が変わった直後で、本来出てなくてもおかしくないくらいだったし。でも、一年が過ぎて、

 

生徒の存在…忘れる??

 

その年の6年生のアンサンブルは、Kiroroのヒット曲『未来へ』だった。Kiroroはボーカルとピアノの二人組。何でそれをアンサンブルに選んだのかが今となっては謎でもあるが、とにかく私はピアノでもエレクトーンでもなく、ボーカルに決まった。

 

マイクは激烈ショボい、CDとカセットテープが使える機械にブッ挿すタイプの、エコーも何もないやつ。小学生くらいまでは体が弱く、今もある巨大扁桃がすぐに腫れて高熱をよく出していた私…発表会前に喉が痛くなったかと思うと、熱を出して声もほぼ出なくなり、病院に行った。

 

医師は、喉がこんなに腫れてたら唾を飲み込むのも痛いだろう。ましてこの状態で歌を歌うのは勧めたくない。休むとかはできないか?とドクターストップまでかかってしまった。

 

それでも私は、同級生達にとってもピアノの発表会なのに、ど真ん中に立って『未来へ』を歌った。ボーカルが登場するのは前代未聞。T先生の知人の司会者は、曲紹介でボーカル付きだと煽る。(やめとけ…でも後に司会を色々やった私でも、多分煽るわ)

 

そして、母と伯母の仲良し姉妹は盛大な勘違いをしていたのだった。ピアノが下手すぎて先生に存在を忘れられて自分が弾くパートがなく、『じゃあ、ごめん歌ってもらっていい?』となったのを、

 

大抜擢だと勘違い。

 

当日、喉の痛みを堪えながら、エコーや高音質で助けてくれるわけもないカスみたいなマイクで歌いながら母と伯母のほうを見ると…

 

感極まって姉妹で号泣。

 

もう…ネタバラしは、やめとこ…てなった。

 

そして、私は特に上手くなることもなく、高校生までピアノを習った。また曜日が変わり、F先生というこれまた優しい先生に教わった。発表会も教室でやるのではなく、近隣のホールを借りるようになった。T先生やF先生は私にクラシック曲を弾かせることを早々に諦め、リチャード・クレイダーマンポール・モーリアなどに切り替えていた。それも激烈簡単バージョンに編曲してくれた。F先生のときにやっとまともにクレイダーマンの『星のセレナーデ』を弾いたかな。

 

 

あ、これ持ってた!懐かしい!!

子供のための…て書いてるやん(笑)

 

後に私はその発表会の司会者もしていた。

高3で何となくもういいかとピアノをやめたのだが……

 

大学生、ピアノの単位が危ない

 

私は女子大の教育系学科に進学することになった。これも父の気まぐれで、3月まで入試を受けて、合格した中から何となく選んだ学校だった。(ちなみに大学生活は楽しかった)

 

私が入学した学科は、まだ当時開設二年目くらいだった。必要な単位を取り、教育実習に行けば幼稚園教諭一種免許状が取れた。

 

入学式の翌日。ピアノの組分けテストがあると言われた。テストを受ける前にプリントが配られ、ピアノ経験の有無、経験者は経験年数を記入することになっていた。え?大学で最初にやるのが、まさかのピアノ?と思いつつ、私はふと考えた。

 

これ…多分正直に書いたらヤバい…

 

私はこう書いた。

 

  • ピアノの経験 あり
  • 経験年数 約7ヶ月

 

そして、ピアノや幼児音楽を担当する先生の前で、自分で選んできた曲を弾くテストを受けた。何でだかわからないが、学籍番号ではかなり後ろになるのに、なんと1番に呼ばれた

 

保育園からピアノを習い、経験年数7ヶ月などと嘘を書いた私が弾いた曲…

 

『こぎつねこんこん』

 

伴奏は適当につけた。その後、クラス分けが発表された。1組から6組まであり、あれって弾いた意味あった?と思ったが、ピアノ完全未経験の人は1組、長年習っていて上手な人は5組、6組。3組の人はソナチネアルバムを授業で弾くようだった。

 

その授業は通年あり、単位をもらう条件は『バイエル下巻を弾けるようになること』だった。試験のときに3組まで一緒になったが、4〜6組の人は何をしていたのかわからない。

 

嘘を書き、『こぎつねこんこん』を演奏した私は2組に入っていた。電子ピアノが何台も置かれた教室での授業。ピアノがメインだったが、子供向けの歌を皆で歌ったりもした。ひとりずつ先生に指導を受け、その間他の人は電子ピアノにヘッドフォンをつけて練習。

 

2組のテキストは黄色バイエル。

小学生のときにT先生のゲロ甘判定で終えたあのバイエルが、大学のテキストかつ単位修得条件になるとは…

 

当然家にバイエルなど置いてあるわけもなく、もうY先生に『小学生のときのバイエルを探してきなさい』と言われてキレられることもないので、改めて購入。

 

(18歳でこれ買った)

 

よかった…ウソついてしまったけど、3組のソナチネでも私無理だったわ…2組がThis is 最高にちょうどいいクラスだわ…それに、バイエル下巻くらい余裕だろうと思っていた。

 

甘かった。

 

個人レッスンを受けると、ビビるほど弾けなかった。それも後半になってくるとまあまあ難しい。大学には防音のピアノ練習ブースもあり、単位を取るために朝早くとか昼休み、空き時間、学校が終わってからなど、そこで真面目に練習する友達もいた。ピアノ教室を紹介してもらって通う子もいた。

 

未経験で1組に入った子も、単位の条件は同じだったかな?忘れたけど。たった1年で未経験からバイエル下巻まで弾くのはとても大変だったと思う。

 

私はと言うと…またT先生の元に生徒として戻り、長年ピアノを習っていた大学生が黄色バイエルを教えてもらいに通った

 

さすがに、単位取ったよ。

 

バイエル下巻やソナチネから一曲と、何曲か渡される唱歌みたいなのを弾く実技試験だったかな?まあビックリしたわ、やっとピアノから解放されたと思ったら、大学の授業でピアノ?しかもダメ出しされまくりィ?って(笑)

 

あれは確か「こどもと音楽」ていう授業だったっけ。1年生と2年生のときにほとんどの学生が履修していて、「こどもと音楽①〜④」まであったかな?ダメ出しされてヤバかったと言っても、子供の頃のY先生からすれば屁でもなく、もっと頑張って練習してね!と励ましてくれるような指導だった。授業も担当の先生のことも好きだった。私、基本的に音楽は好きだしね、聴くのも、歌うのも。

 

好きこそものの…?

 

私は、「好きこそ物の上手なれ」でも「下手の横好き」でも何でもいいと思っている。昔はもう顔も見たくないほど嫌いだったY先生も、私とは合わなかっただけでとてもいい先生だと聞いている。音楽系の高校か音大かを受験する生徒を自宅に呼んでレッスンしていたり、たまたま木曜日に通った同級生は私と違って普通に上手にピアノを弾いていたし。私が中学かそのくらいのときにピアノ教室をお辞めになったが、音楽療法か何かのお仕事をされると聞いた。

 

Y先生のような指導をする先生に『くっそー!次は絶対一回でマルをもらってやる〜!!』という子なら合うだろうし、T先生のように『ある程度弾けてたらいい、好きな曲をやって楽しんだらいいよ』のスタンスの先生に習って、何その難しい曲?!とビックリするような曲を発表会で弾いた子もいた。

 

早く始めてこそ!というお稽古ごとやスポーツもあるけれど、大体のことは本人のセンスや努力、好きかどうかで、いつ始めても何でも上手くなれる。

 

中学の音楽の授業で三年間お世話になった男性の先生は、生まれたその日からピアノ弾いてたんじゃないか?と思うくらい上手で心に響く演奏をする方だったが、個人的にお話したときに、『ピアノを本格的にやったのは大学から』と聞いてビビり散らかした。音楽の先生は、卒業式の証書授与のときにピアノを弾いていたが、私はそれだけでもう泣いてたくらいだった。

 

私は今は、自分のピアノのド下手さを親や先生のせいにする気はない。話のネタくらいにはするけどね(笑)

 

でも…子の親でもある今あの体験を思い出すと、やっぱり子供があまりにも嫌がっているとなったときは、よく話を聞いて、どうしていくかを親子で一緒に考えてほしいな。金ドブは普通にもったいないし、せっかくお稽古をしてもそれが嫌いになったらもったいない。

 

向き不向きもある。

 

ピアノを子供に習わせたら、『ピアノくらいはそれなりに弾けてほしい』『せっかく高いピアノを買ったんだから…』『一度始めたことを簡単にやめるのは今後の人間形成に云々』そんなふうに思う親の気持ちはわかる。

 

そこまでして、月謝を払い続けて、大人になった我が子がこうしてブログに、

 

地獄だったとか親よ金ドブに気づけとか書くようになったら、嫌じゃない?(笑)

 

その後私は、親があれこれやらせた習い事とは一切関係のないことに学生時代打ち込んで、ちょっとバイトくらいならできたり、人生のよき思い出になった。

 

まあ、そんなもんだなー…というお話。

特にオチは見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トイレトレーニングの話。

数日前、次女の担任の先生から持ち物のことで電話連絡をもらったとき、『幼稚園でトレーニングパンツを履いて過ごしてみませんか』というお話があった。ちなみに、うちの次女は幼稚園年中、4歳。全くトイレができないわけではなく、この子なりに成長はしているのだが、まだバリバリのおむつユーザーである。

 

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(唯一持ってる未だ新品のトレパン↑)

 

長女のトイトレの思い出

 

長女は誕生月が早く、その他の成長も早かった上、『2歳の夏はトイトレの始めどき』みたいなことをあちこちで見かけて、私もトイレトレーニングというものをやってみることにした。

 

レーニングパンツを買い、『おしっこ出る前に言ってね!』とかやったけど…結局めちゃくちゃイライラしてしまい、長女には本当に可哀想なことをしたなと反省するばかり。おしゃべりもよくできていたので、『他のことは喋るのに何でおしっこだけ言えないの?』と思ってしまった。

 

今ならわかるが、当たり前だ。生まれたその日からおむつをつけていて、排泄はおむつが当たり前。尿意が何かすらわからない2歳の子に、『(ベラベラ喋れるんだから)尿意があったら親に告知しろ』なんて無理な話でしかない

 

床にお漏らししてもいいや!何回でも洗濯して、着替えさせればいいや!親子で地道に頑張ろう!…とかいう気持ちもなかったのに、子供にだけあれこれ言って勝手にイラついていた私。

 

すっぱりトイトレをやめた。

 

おむつはラクだし、イライラすることもないし、まあいつか取れるでしょ、と何の心境の変化かわからないが、おむつに戻した。来年こそやろう!とも思わなかった。

 

トイトレは幼稚園の先生が

 

その『来年』には、長女は幼稚園に入園していた。満三歳児クラスに四年保育で入園。リュックサックにおむつを入れて、トイトレなど完全に忘れていたある日。当時の担任の先生からこんな連絡があった。

 

『長女ちゃん、布パンツで大丈夫だと思います。他のお友達がパンツを履いてるのを見て、自分もはきたいって言ってくれてるんです。幼稚園でトイレもできてますし、失敗したときは体操ズボンの貸し出しもできますから、パンツにしてみませんか?』

 

え?そうなの?全然知らなかった…と思いつつ、バス通園分のおむつ、予備の布パンツなどを持たせて幼稚園に行かせていると、気がつけばトイトレ終了、おむつが取れた

 

寝るときとか、少し遠出するとか、トイレがすぐにあるかわからない夏祭りに出かけるときは、おむつを下にはかせることもあったが、それは私が面倒かつビビりなだけで、長女はほぼ完璧にトイレをマスターしていた。気がついたら家でも自分でトイレに行くようになり、おねしょもない子だった

 

幼稚園の先生、神。

 

長女のトイトレの95%くらいは、先生がやってくれたようなもので、感謝しかない。家でも気がついたらパンツになってて、細かくはどうしてたか覚えてない。私が覚えてないってことは特に悩んだとかイライラしたとかもないということ。

 

幼稚園でもほぼ失敗はなく、へえーやっぱり集団生活ってすごいなぁ、周りの子の影響や幼稚園の先生のアプローチでおむつまでとれるのかと感謝しつつも驚いていた。

 

次女には通用しなかった

 

次女は早生まれなので、週1のプレ幼稚園に通って、三年保育で入園。でも『他のお友達どころか4歳年上の姉が家にいるし、トイトレなんて余裕だろう』『幼稚園に行ったら姉と同じようにお友達の影響を受けてくるだろう』と思っていた。

 

甘かった…

 

次女は『おむつがどうなっていようが全く気にならないし、友達が何を履いていようがどうでもいい』というタイプだったのだ。

 

幼稚園入園前の書類に、トイトレの進み具合を記入する欄があったが、『全く進んでいない』に全力でマルをつけた。何でも姉の真似をしたがり、同じ時期の姉がビビってやらなかったようなこともするし、トイレも真似してくれよと思ったが、本人が気にしていないのでどうしようもない。

 

私の実家で長女のお下がりの布パンツを履かせてみたら、ストッケのトリップトラップパチモノチェアがびしょ濡れになっても平気でご飯を食べていた

 

そういえば、生まれたときから違ったかも…。長女は生後すぐから、大きいほうはイヤだったようで、泣いて知らせることがよくあった。次女は多分一度もなかった。ある程度成長しておしゃべりを始めてからも、

 

ウ◯コ?

へばりついてますけど何か?

 

と全然気にしてないくらいの子だった。それでも、先に意識したのは大のほうだったようで、絶対してるよねというときに、私なり誰なりがおむつを見ようとすると、見せないというわかりやす過ぎる次女…(してないときは、自信満々に見せにくる)

 

それでも、集団生活が子供に与えるものは大きいはずだと期待して、3歳2ヶ月で幼稚園入園。長女は満三歳児、つまり二歳児のクラスでおむつが取れた。最初は人数も少なかった。

 

それよりも1歳上かつ、同級生の人数も始めから多い年少組。もうトイトレを終えて入園してくる子もたくさんいる。

 

影響ゼロ。皆無。

 

毎日毎日、おむつ専用に買った持ち手付きの小さなビニール袋とおむつにサインペンで名前を書き、帰りにはリュックサックにその袋に使用済みおむつをつり下げて帰ってくる。見た目がまるで、

 

お腰につけたきび団子。

 

いつしか私はそれを『おみやげ』と呼ぶようになった。いらなさすぎるお土産だが、年少組になれば一人、また一人とおむつを卒業していくだろう。先生にも申し訳なく、2歳になりたてだった長女よりは話もわかるだろうともうさすがにこれは放置じゃダメだわ…とゆるくゆるーくトイレに気を向けさせた。先生も、実家の母も、長女も協力してくれた。

 

が、完全おむつのまま、年少組は終わってしまったのだった。

 

焦ることはない、トイトレ。

 

これが一人目だったら、私はもっと悩んでしまったかもしれない。『あーこの子、トイレとかどうでもいい子なんだわハハハ』で済ませることなどできなかったと思う。

 

焦るよね、だって周りの子ができてたり、こどもちゃれんじでトイトレに触れるのも2歳向けのコースのときだし、今よりもトイトレを早くしていた時代に子育てをした人達に『まだおむつなの?』とか言われたり。色々あると思う。

 

次女の話だから嘘か本当かわからないけど、どうやら年中の次女のクラスで、完全おむつはもう次女だけらしい(笑)

 

先生ごめんなさい……

 

幼稚園では、先生が幼稚園で用意してあるトレーニングパンツを使ってくれていたようで、最近はおみやげが1個しかない日が続いていた。リュックサックに補充するおむつも減ったり、なぜか外出先だと『おしっこ行く』と言うことも多くなった。イライラするのが嫌なので、

 

  • 朝起きたとき
  • 幼稚園から帰ったとき
  • 寝る前

 

最低この3回は出ても出なくてもトイレに行かせるようにした。ちなみに付き添いはお姉ちゃん。それだけでも効果はあったようで、ついに担任の先生から『トレーニングパンツで』の電話が。ここからが長いかもしれないけど(笑)

 

イライラしてしまったら、おむつに戻していいと思う。…いやアンタの娘、まだおむつ取れてないやん!てツッコまれそうだけど、これを実感したのは長女のとき。なーんだ、親のアプローチより、友達のパンツかぁ!と思った。次女に関しては、今でも正直ちょっと思ってる。この子、年長組になってもおむつだったりして??って。

 

担任の先生は年少のときと同じ先生。次女のトイレ事情は私よりも知ってるくらいの人が『トレーニングパンツにしてみようか』と親の私に連絡をくれるくらいにはなったようなので、4歳の次女、幼稚園でのパンツ生活に入る!!どうなるか?!

 

レーニングパンツ探し

 

長女も短期間だけどトレーニングパンツを使ったなぁと思い、出してきてみると…サイズが小さい。長女は生まれたときも今も大きいが、それでも2歳と4歳ではサイズが全然違う。

 

ということで、トレーニングパンツを買うことに。そこで気づいた。

 

サイズがない。

 

レーニングパンツのサイズって、100くらいまでしかないのね…ネットだと海外製で120とかあったりするけど、レビューを見ると『120で100くらいです!』とか書いてあったり。実寸をcm表記で書いてあるのを見ても全然わからないし…

 

次女のパンツ買ったことないし

 

一応、一枚だけトレーニングパンツを買ってあったのが100サイズで、メリーズのおむつの上から履かせてみると余裕があった。それで余計に???状態。Amazonのサイズ表記と、手元にあるパンツを比べてみてもよくわからず。そして種類も6層、4層、3層とかあって、えぇ…?どうする…?

 

『長く使うものじゃないし』と何となく思ったけど、長く使う可能性結構あるよなと思い直したり。服だったら、ああちょっと大きかったなと思ってもそのまま着せたり、翌シーズンに着せたりできるけど、すぐ使う上にあまりよくわかってないトレーニングパンツ…

 

 

こんな感じで、最初に使う6層から色々レビューを読んだりして選んでみたけど、実寸の表記マジでバラバラ。電話で話したとき、先生に普通の布パンツでもいいのか聞いてみたところ、それでも大丈夫だけど失敗したときに体操ズボンごと濡れてしまうのでトレパンを勧めたとのこと。

幼稚園、着るものは全部指定なのよね

いざ失敗したとなれば貸してもらえるけど、翌日に洗濯して持っていかないといけないし、最初から借りる気でまだ全然トイレもできてないのに普通の布パンツでいきますっていうのも申し訳ないし、借りてきたら洗濯面倒だし…

 

レビューによくある『うちの子は大きめなので』『我が子は太ももが太めで、ジャストサイズだときつそうでした』みたいな文章。

 

私、全然把握してないわ…

 

同時期の長女よりは小さいくらいしか…

演奏会で舞台にお友達と並んでる写真を見たときに、次女ちょっと脚太い?と思ったかな。おむつのサイズアップも適当だったし。あれもメーカーによって、目安体重は同じでも大きめ小さめがあったり、ここのは細いだとか、色々あって結局メリーズとマミーポコ併用。

 

マミーポコは長女のときよりだいぶ使いやすくなってて、近所のスーパーで安いからと幼稚園用に。それもちょうどなくなって、1パックだけ残ってたGenkiを今持たせてるけど、これがなくなるまでにトレーニングパンツだけになったら、いいな…

 

メリーズはまだ買い続けることになりそう。

 

ああ、おみやげを捨てるだけでよかったけど、これからはトレパンの洗濯に変わるのか。6層とか、うちの洗濯環境【サンルーム+除湿器】でもなかなか乾かないんだろうなぁ。

 

洗濯はラクできるけどね。汚して帰ってきたら(うちの幼稚園は先生が水洗いして持ち帰らせてくれる)、まず適当にバーっと洗う。すぐに洗濯できなければ、バケツとか使ってない洗面器に適当に洗剤や漂白剤を入れてほっとけば、濡れたパンツくらいどうってことない。

 

バスを降りてきて、『おみやげ』をお腰につけてる写真を懐かしむ日も来るか(笑)

 

これからも、担任の先生や母、長女、朝や帰宅後は夫も一緒に、トイトレのんびりやっていこうと思う。『おむつに戻すことになった話。』を書くことになるかもしれないけど、それはそれでいいや。

 

そんな、お話。

 

 

 

ボヘミアン・ラプソディ

最近は、NetflixAmazonプライムビデオなど、自宅や出先でも簡単に映像作品が見られるようになった。携帯で映画が見られるようになって、日本語吹替に設定するかとかもパパッと決められて、ビビるほど便利な時代になったものだ。

 

私は映画とはほぼ無縁の人生を生きてきた。映画館で見た映画は多分数えるほどしかない。すごく小さい頃は、祖父がアニメ映画を見に連れて行ってくれて、山ほどグッズを買ってくれた。

 

ちなみに一番最近映画館で見たのは、コードギアス復活のルルーシュ。三年前。その前となると、もうわからない。そんな全く映画に詳しくない私が書く感想もどき。

 

最近見た映画

 

 

ボヘミアン・ラプソディ

 

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Amazonプライムビデオのウォッチパーティーという同時視聴機能を使って「ボヘミアン・ラプソディを一緒に見よう」と、ある人が何度となく誘ってくれていたらしいのだが、私は乗り気ではなかったようだ。明確に『見よう』と言われたことを覚えてない。見たきっかけは、下の子の幼稚園の半日保育のお迎え時間までに寝てしまうのを防ぐためだった。

 

多分私の脳内では、

「なんかボヘミアンがラプソディな映画なんだろうな、知らんけど」という思考が繰り広げられていたのだと思う。

 

ボヘミアン・ラプソディといえばイギリスのロックバンド、クイーンの最大のヒット曲のタイトルであるが、私はクイーンを知っているようで知らなかった

 

そんな残念なヤツでも見られる映画である、というのもまたこの作品の素晴らしいところかもしれない。

 

フレディを演じたラミ・マレック

 

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(フレディ感は特にない俳優、ラミさん)

 

アラブ系の人として初のオスカー俳優(主演男優賞)となったのは、この映画でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレック

 

どっちかというとブライアン・メイ役のほうが見た目似てるけどそういう問題ではない。

 

実際のフレディ・マーキュリーは生まれつき歯が4本多い過剰歯で、本人はそれをコンプレックスに感じていたという。彼が歯を直さなかったのは、歌に影響が出ることを懸念したため。

 

ラミ・マレックは一年もの間、義歯をつけて過ごしたと言われている。すごくない?歯がない人でも入れ歯にはなかなか慣れないのに、歯がある人が義歯をつけて喋って歌って踊って演技して…

 

歯もすごいけれども、ほんの30年前まで生きていた人を演じる難しさもあると思う。多くの人は、在りし日のフレディを覚えている。それに今は、動画サイトで簡単にクイーンのライブ映像やプロモーションビデオを見ることができる。

 

個人の発信ツールが爆発的に増え、モノゴトにケチをつけ放題のこの今の世の中、フレディに寄せまくろうと似ていなかろうと何だろうと、どーのこーの言われるのは分かりきっていただろう。

 

実在の人物を演じるなら、今この世に生きてる人が絶対に会ったことがないほど昔の人のほうがラクなんじゃないかな。実際、ラミ・マレックの演技にあれこれケチはついたらしいが、誰がやってもケチはつく、だってフレディ本人じゃないんだから。


フレディ以外のメンバーを演じた三人。名前知らんけど。メイ、テイラー、ディーコンは本人が健在だ。メイとテイラーは映画にも関わった。そのため、似てるメイ役の人と、テイラー役の人は本人からアドバイスを受けることもできた

フレディは亡くなっているので仕方ないが、ジョン・ディーコンを演じた俳優さんは、音楽活動から去ったディーコン本人からアドバイスをもらうことはなかったため、メイとテイラーを演じた二人が羨ましかったそうだ。

ジョン・ディーコンは作中では地味でたまに誰か忘れたレベルだったが、彼もロックな人だ。クイーンはメンバーそれぞれが曲を作っていて、彼も勿論ヒットした曲を作った他、

フレディ没後は、『フレディの声以外でクイーンの曲を演奏するのは考えられない』という信念を貫いている。 

話を戻して…

 

作中では、「ライヴ・エイド」の完コピがスゴイと話題になり、確かにすごい。映画を見終わってから実際のライヴ・エイドのクイーン出演シーンと、映画との比較映像を見たが、ピアノの上に置いてあるペプシコーラまで再現してある。(いや、自分で書いといて思ったが、それ一番簡単に再現できるやん)

 

それだけでなく、ラミ・マレックはフレディ自身のコンプレックスだった前歯を隠すような癖や口元の感じを再現し、フレディがパフォーマンスするとき独特のピョイピョイした感じの動きを始めとした体の動かし方、ギターにピアノ、ありとあらゆることをやったのだとか。もちろん、他のメンバーにも言えることだが。

 

この曲は売れないと敗者は言う

 

さて、ネタバレもあるが適当に感想を書く。

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ヒットしたキラー・クイーンのような曲を望まれたクイーンの4人は、『繰り返しには意味がない』『クイーンは定義できない』『次はオペラをやる』と言うシーン。フレディがかけたカルメンの歌曲ハバネラが流れ、印象的な場面だ。

 

そして、ボヘミアン・ラプソディのメイキング。彼らは『どこやねんそれ』みたいなところでかの名曲を必死に作る。思いついたようにフレディがピアノを弾く。そして、ブライアンのギターソロを撮る。

 

そしてオペラパートのレコーディングシーン。ドラマーのロジャー・テイラーは、死ぬほどGalileo Galileo Galileoと超高音で歌うもフレディのOKがなかなか出ず、

 

ガリレオって誰だよ

 

という台詞まで出てくる。もちろん当時はテープを使ってのレコーディング。あまりのことにテープは大丈夫なのか心配する。「実際にテープは擦り切れかけた」とメンバーが語っている。

 

そこまでしてできた最高傑作、ボヘミアン・ラプソディ。フレディはアルバムに使うだけでなくシングルカットをすると言うが、レコード会社EMIの重鎮のおっさん(名前忘れた)には曲名を覚えてもらうどころか、『ラジオは3分以上の曲を流さない』などと言われ、売れるわけがないと却下されてしまう。(ボヘミアン・ラプソディは6分ほどある)

 

金は俺が払ってるんだ!とか言われ、ここでキレたクイーンのメンバーはおっさんの元を去るのだった。なぜここに『敗者』を使ったかはまた後で。

 

当然というか事実だが、売れた

 

フレディはラジオ局に『流せない曲がある』と言い、独占放送の形で、ボヘミアン・ラプソディを流す。曲とともにスクリーンに出てくるのは新聞や雑誌の酷評。しかし、このいろいろと謎な曲は世界中の人々の心を掴み、

 

鬼ほど売れた。

そしてクイーンは大スターに。

 

ボヘミアン・ラプソディという曲名と歌が頭の中で一致していなかった私でさえ、

 

ママァ〜ウ〜ウウウ〜

 

だけは知っていたくらいなのだ。

ただ、オペラパートの存在は映画を見るまで知らなかった

 

ママァ〜しか知らない私のようなヤツが見ても、映画のタイトルにもなったこの曲の面白さ、素晴らしさがよくわかり、クイーンがどれほどクイーンだったかがわかる。

 

そりゃ氷川きよしも歌うわ。

 

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(歌詞は日本語。ママ〜殺し〜ちゃった…)

 

ライヴ・エイドまで

 

あちこちの国、都市をツアーで駆け巡り、ヒット曲を連発して大スターとなるクイーン。しかしずっと順風満帆で今も4人仲良しですよだったら映画になどならないわけで、いろいろある。

 

メアリーと別れてロン毛をやめ、短髪にしたフレディ。ポールと一緒に調子をこきはじめた(クイーンのメンバーとしてはね)頃、Tシャツもピチピチしてたり上半身裸だったりラミ・マレックの見た目も変身。

 

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ここらへんでWe will rock youをメイが作る。足でリズムを踏んで、手を叩いて、観客と一緒になるんだ、と。メイキングシーンとステージシーンが交互に映る。フレディは遅刻して怒られたりポールがいないことを皮肉られたりするが、We will rock you全世界で大ヒット。野球の応援専用のブラスバンド曲かと思っていた私、

 

ブライアン・メイ激烈凄いやん

 

と多分そんな勘違いをしている人などいないレベルの酷い無知さながら、映画に引き込まれた。

 

ボヘミアン・ラプソディのヒットまでよりも、フレディが自身のセクシュアリティに気づき、またそれを指摘したメアリーとの恋人関係を解消し、パーティーに溺れて孤独になっていくところのラミ・マレックの演技も素晴らしいと思う。あとポールのカスさも素晴らしい。やっぱり映画にカスの存在は不可欠だ。

 

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(フレディは日本も好きだったらしいね)

 

フレディ・マーキュリーエイズで亡くなったことをつい最近知ったが、映画ではライヴ・エイド出演と結びつけて描かれる。これは事実ではないとメイが語っている。クイーンの長い歴史を2時間の映画にするには、エピソードの時期の入れ替えは必要だったと。

 

完全に決裂していたクイーンのメンバー。

まあここでも色々あって和解してポールがオファーをフレディに隠していたライヴ・エイドに、QUEENとしての出演が決まる。

 

ライヴ・エイド完全再現

 

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ライヴ・エイドて何?何が完コピなの?ママミアママミア?状態の私。『QUEEN!』と司会がコールし、4人は人がゴミのようだ状態の大観衆が待つステージに出て行く。

 

この映画で最初にグッときたのが、ライヴ・エイドラミ・マレック演じるフレディが、ピアノを弾き始めたときに上がる大歓声と、彼とともに

 

Mama〜

 

と歌う会場の人々。これが実際に起きたのかと思うと激熱だった。そしてそのまま2サビに入るのだが、この映画のストーリーとして見ると、2サビの歌詞が哀しすぎる。ホロっときかけた。

 

Too late, my time has come.

Sends shivers down my spine.

Body's aching all the time.

Good bye everybody, I've got to go.

Gotta leave you all behind and face the truth.

Mama, ooo...

I don't want to die.

I sometimes wish I'd been born at all.

 

もう遅いんだ、俺の番が来た。

芯から震えが来てさ、

体がずっと痛むんだ。

さよなら、みんな。

俺、行かなきゃ。

みんなのもとから去って、

現実と向き合うよ。

ママ…死にたくない…

俺は時々思うんだ、

生まれてこなきゃよかったと。

 

 

前記事で英語科の高校にギリギリ合格して、定期試験の総合計点数のクラス順位で39位/40名中の成績を普通に取っていた私の和訳がクソすぎることはわかっているが、

 

この映画では、ライヴ・エイド出演前にメンバーはフレディが(当時では)不治の病におかされていることを知っている。元カノのメアリーも、今カレのジムも。

 

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(フレディからすると左から、元カノの今カレ、元カノ、今カレ。右がジム。で、もっと言うとフレディの元カノ役は現実世界でフレディ役の今カノらしい、すごい)

 

フレディの最後の恋人と言われるジム・ハットンを演じた人、眼差しが素敵すぎる…状況的には、フレディに『元カノとその今の彼氏とキミで舞台袖から見ててよ』的なことを言われ、普通に考えて同性異性関係なくそんなん関係性的にゲロ気まずいわけだが、何度も映るジムの優しい眼差し…

 

そして、この2サビの歌詞は高校のクラス成績順位がブービーのやつでも訳せるほどわかりやすいが、映画の描き方と重ねると、

 

フレディでしかない。

 

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ライヴ・エイドは冒頭シーンであり、ラストシーンにもなっている。そして、忘れかけてた、『敗者』だが、We are the championsが歌われるシーンで、歌詞に『No time for losers…』と出てきたときにボヘミアン・ラプソディは売れないから他の曲にしろお前らの曲出してるの俺の金だろとキレたEMIのおっさんが一人で座っているところが映る

 

いや別に敗者ってことはないけど、ちょっとウケた。おっさん役俳優さんの微妙〜な表情がいい。EMIの重鎮だった彼の『この曲ではラジオで流してもらえない』『歌の構成や意味がわからない』は正論でもあったからだ。結果そうならなかったのは、クイーンがクイーンであり、人々が今に至るまで何か心に響くものを感じるから、名曲となったのだから。

 

アカデミー賞四冠

 

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ボヘミアン・ラプソディ』はアカデミー賞では5部門にノミネートされ、4部門でオスカーを獲得。その年の最多、四冠となった。唯一ノミネートだけとなりオスカーを逃したのは、

 

作品賞。

 

ええ?作品賞がいちばんすごいやつなんじゃないの?アカデミー賞とか正直全然気にして生きてきてないけど、『アカデミー賞作品賞受賞作品!』とかよく聞くし…

 

じゃあ何が作品賞に選ばれたの?

 

『グリーンブック』

 

これにも色々意見とかケチついたとかあるらしいけど、賞レースというものはどんな結果になっても全員納得するとかありえないんじゃないかなと思うし、調べてみたところ『ボヘミアン・ラプソディは他の賞はとっても作品賞はないな』という空気だったという。『四冠獲れただけすごい、クイーンというバックがあっただけで、作品賞レベルの映画じゃない、作品賞はグリーンブックとROMAの一騎打ち』と言われていたらしい。

 

へえ、映画詳しくないから

全然わからん。

 

あと何かプロデューサーがトラブルを起こしたとかそういう関係もあったのだとか。

 

それ、作品賞に関係ある?と思う……が、アカデミー賞の作品賞は、作品そのものにではなく、プロデューサーに贈られるらしい。よく考えれば、そりゃ、そうか。当たり前だが作品のテープが歩いていってオスカー像を受け取るわけじゃないわな。

 

まず、ボヘミアン・ラプソディは制作段階から色々あったそうだ。誰か降板したとか、意見の食い違いで揉めたとか。まあ、全部何の問題もなく一本の映画ができるほうが珍しいだろうけれど。主演のラミ・マレックは『これ、本当に映画になるのか…?』と心配したとまで言われている。

 

で、今何となく、歴代の作品賞一覧をバーっと見てみた。私が見たことがあるのは97年タイタニック、02年シカゴ(母親と映画館で見た)、18年グリーンブック…のたった3作だった。タイトルは知ってる映画はいくつもあったけどね。

 

作品賞が気になって…

 

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『こんな素晴らしいボヘミアン・ラプソディを破って作品賞を獲った映画って何?グリーンブック?おお、配信あるやん、見てみよう』

 

…というわけで見たグリーンブック。

 

よかった。

 

だって、泣いたもん、わたし。

途中で止めて一回寝たけど、

それは不眠症関連のことで、

グリーンブックが面白くなかったからじゃない。

むしろ、ぼーっとした頭で見たり、寝落ちしてあれ?どこまで見たっけ?となるのが嫌で、わかりやすいところで停止して見直した。

 

何かもう別に普通に『絶対そうくるよな』ていう展開だったのに、ラストシーンで泣いたもん。それだけよ。フレディ・マーキュリーとかどうでもいいぐらい泣いたのよ。ブッサイクな顔でぐすぐす言いながら泣いたわ。いや、ボヘミアン・ラプソディを見なかったら、グリーンブックは100%見てないからフレディは全然どうでもよくないけど。

 

グリーンブック

 

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ベタ褒めしたくせにグリーンブックだけの感想記事を書くほどでもないテンションの真夜中…

 

ボヘミアン・ラプソディはクイーンの楽曲を使い、フレディ・マーキュリーの生涯、人との関わりを描いた映画で、グリーンブックもその点では似ていて、実在した黒人の天才ピアニストと人種差別、友人となっていくドン・シャーリーとトニーの関わりを描いている。

 

ジム・クロウ法

何かで読んで大まかには知っていたし、映画を一本見ただけの私が何か書けるようなことではないが、グリーンブックの中で、ドンとトニーが行く先々で嫌というほど何度も出てくるジム・クロウ法下の描写。

 

グリーンブックとは何か、どうしてそれがタイトルにつけられたのか、胸に突き刺さる。

きつい…

今も残る様々な人種差別。今はさすがにグリーンブックの中ほどのことはないにせよ、この時代を生きてきた人達のことを思わずにはいられなくなる。それも、大昔じゃないのよ、歴史で見たらつい最近。うちの母親が余裕で生まれてるぐらい最近…

だからこそ、終盤のレストランでの一件でコンサートをキャンセルし、黒人専用のクラブでドン・シャーリーがアップライトピアノで奏でるショパンの曲と、そのクラブのバンドとともに即興で演奏するブルースのシーンのドンの躍動感と彼を含む店の皆の笑顔は、やりきれなさと哀しみを吹き飛ばす。ちなみに、アカデミー賞助演男優賞をとったのは、このドン・シャーリーを演じた俳優さん。

(トニーとドンがウィスキーを飲みながら語らうシーンで、ドンがこれまでやってきたのはクラシックだと話している)


素敵な手紙を…

 

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ジム・クロウ法下の描写は見ていて悲しい。が、グリーンブックにはおもろしい場面がたくさん出てくる。最初のホットドッグの大食いとか、ケンタッキー州ケンタッキーフライドチキンを食べるシーンとか。そのシーンの何が面白いかは見てみてね(笑)

 

それから、印象的なのは、トニーの妻ドロレスは、長旅に出る夫に『手紙を書いてね』と話す。そしてトニーは約束通り手紙を書くのだが…

 

見て♡

 

吹き替えならグリーンブック!

 

ボヘミアン・ラプソディも日本語吹き替え版があるとは思う。ただ、吹替で見たら何の意味もなくなってしまうだろう。多分、歌唱シーンだけ通常の音源が使われるのだと思うけど…まず、

 

吹替で見ようと思いもしない。

 

対してグリーンブックは、

吹き替え版も素晴らしい。

 

私は基本的に吹替版を見ることはないのだけど、Wikipediaを見ると、トニー・リップ(ヴァレロンガ)を大塚芳忠さん、ドクター・ドン・シャーリーを諏訪部順一さんが担当。

 

諏訪部順一……?

 

一度字幕で見た後、Netflixで音声を日本語にして終盤だけだが見てみると、

 

ええやんええやん!

 

トニー役を担当した大塚芳忠さんの声は多分誰でも聞いたことがあると思う。アニメにもよく出てくるし、洋画ではたくさんの俳優さんの担当声優をしている(アニメ、映画両方に疎い私、ほぼ知らんけど)。ナレーションでも活躍している。

 

そんな知らん私がパッと思いつくだけでも、スラムダンクの仙道、フルハウスのパパ(ダニー)、あとバンキシャ!のナレーター。

 

ドン・シャーリー役は、諏訪部順一さん。声の国民栄誉賞があったら私が勝手に贈りたいほどイイ声の声優さんだ。代表作は色々あるようだが、普通に全然知らない。でも、私はアニメ自体をほぼ全部知らないのに夫がたまたま見てたアニメに脇役で出てきても声を聞き分けられるほど素敵な声なのだ。

 

いや、誰でも知ってる声の大塚さんだから、素敵ボイスすぎる諏訪部さんだから吹替もいいよとかそういう話ではない。トニーとドンそれぞれに、二人の声がピタリと合っているのだ。

 

ニューヨークのナイトクラブで働き、イタリア系の両親を持ち、クソとかカスとか言葉もガサツでやることも品のない(面白いんだよ)トニーを見事に演じた大塚さん。

 

カーネギーホールの上に住み、弾くピアノは場所がどこだろうが絶対スタンウェイ、服の着こなしも言葉も立居振る舞いも上品なアフリカ系天才ピアニストのドン・シャーリーの吹替を諏訪部順一以外の誰が演じようか。

 

アカデミー日本語吹替賞があったら絶対獲ってるやろレベルだと思っている。

 

あ、ボヘミアン・ラプソディの話やったわ…

 

まあそんなわけで、クイーンの歌は数曲ごちゃ混ぜに覚えていたレベルかつ映画にも音楽にもまるで詳しくない私が見ても、素晴らしい映画でした。

 

もうね、毎日クイーン聴いてるから(笑)

 

そんな、お話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼稚園三年保育、年少組修了!

今日は、次女の年少組登園最後の日。

夜に私が書いた担任の先生への感謝の手紙を持って、生憎の雨の中、バスに乗り込んで行った。

 

今日も今日とて朝はしんどかったし、

次女も眠くてぐずってた(笑)

 

今、心にあるのは、淋しさ

 

長女は四年保育で入園したので、その一年目の最後の日も、すごく淋しかった。当時は修了式を保護者も見に行けて、卒園式レベルに泣いたのを覚えている。今はあの日の気持ちと同じかな。

 

入園させるのも淋しかったな。

ていうか私、

幼稚園嫌いだったし。

 

長女年長のときにブチギレて、次女は他の幼稚園にする!と本気で考えてた。長女が卒園する頃には気持ちも落ち着いて、お下がりとか使えるし勝手もわかってるしもう同じとこでいいやってなったんだけどね。

 

早生まれで三年保育そのものも淋しかった。もう一年くらい次女とのんびり過ごしたいのに、どうして二年保育がないのかと思っていた。

 

実現してたら特に何をするわけでもなくダラダラしてめんどくさかったに決まっている(笑)

 

年少くらいの頃って、いちばん可愛い。

コロナ禍で色々変更もあったけど、

運動会のダンス、可愛かったなぁ。

もうかぶることのない、

クラスカラーのピンクの帽子。

それを見ても、今は淋しい。

 

長女も次女も、幼稚園初年度に大好きな先生に受け持ってもらえたのは、本当によかったと思う。

 

乗り切った自分に、お疲れ様

 

次女は生まれて初めての週5集団生活にすんなりと馴染んで、幼稚園も先生もとても好きで、毎日楽しんで通っていた。特にトラブルもなく年少組を終えた。

 

私は本当にしんどかった。

 

長女のときは、朝のバスが来る時間が夫の出勤時間よりも早く、いつの間にか「朝はパパと出かける」が当たり前になっていた。長女は生まれ月が早く、持ち物の準備さえしておけば、自分で制服や体操服を着ていたし、満三歳児クラスの時点でおむつもはずれていた

 

次女入園後は、毎年変わるバスの時間が長女のときよりかなり遅くなり、夫が仕事に行く時間よりもだいぶ後になった。必然的に、毎朝送り出しは私がしなければならず、これが日常生活そのものに影響を及ぼすほどキツかった

 

アラームアプリを入れて何とか起きて、着替えをさせて、フラフラで家の前に来るバス停まで行った。不眠症とだけ書いてきたが、「概日リズム睡眠障害」の私にとっては朝がいちばん眠い。記憶が飛んでいるなんてしょっちゅうだった。

 

「そんなこと誰でもやってる」と思われるだろう。でも、ありえない話だけど、やっと眠りに落ちた真夜中に毎日やれと言われたらキツくない?体内時計が大きくズレている私にとっては、そんな感じだった。

 

お疲れ様。でも、

あと2年頑張れ私…

 

コロナ禍の入園

 

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考えたら、このブログにも書いたけど、「一斉休園でこのまま長女の卒園式が中止になるかも…」って泣いたのが、もう2年も前。

 

次女はコロナ禍に入園。

 

幼稚園行事も、普段の幼稚園での生活も、コロナの影響を受けた。長女のときには当たり前にできて、何ならめんどくさかったことも、中止とか変更とかばかりだった。

 

衣装を着て、何か変な化粧をして踊る、何十年も毎年同じ演目が使われてきた学芸会。なくなったら淋しかった。

 

演目古臭すぎるやろ…と思ってたけど、長女のときはどの学年がどのおゆうぎをするかわかっていたので、我が子もこの演目に出る学年になったのかぁとか、気がつけばダサいとか思わず、愛着がわいていた。

 

例年は夏の暑い時期にある演奏会。

このブログでボロけなしにしたなぁ(笑)

どうにかこうにか開催したものの、

時期悪くオミクロン株大流行と重なり…

合奏がなく例年なら歌を歌う年少組は、

マスクつけて無言でカスタネット演奏

 

「にじ」を歌うはずだったし、

練習も始めてたのに、歌えなかった。

聞きたかったなぁ…

次女達の『きっとあしたは いいてんき』

 

でも、幼稚園はしっかり感染対策をして、行事をしてくれた。コロナ感染防止のために欠席してもいいとして、できることをしてくれた。

 

そりゃ、行事で撮ってきた写真やビデオの見た目だけだと、後で「何か妹のときの行事、しょぼくない?」となるかもしれない。でも、しょぼいなどと言えようか。先生方だって、慣れている例年通りのほうがよほど簡単にできたはずだ。

 

誰も体験したことのないパンデミックの中、感染の対策をして、あれはどうか、これならできるんじゃないかと、手探りで今までとは違う形でやるのは、本当に大変だったと思う。

 

そして、自主休園

 

オミクロン株大流行を受けて、幼稚園からは再度新型コロナウィルス感染防止に関するお知らせがあった。このとき「自主休園をする場合は出席停止と同じとし、欠席扱いとしない」と書かれてあった。

 

うちの幼稚園も、臨時休園が何度かあった。もう誰がどこで感染してもおかしくないし、私の周りでもコロナ感染者が出始めた。幼稚園もできる限りの対策をしたが、「ついに来てしまった」のだ。誰のせいでもない。

 

父親は仕事で外に出て電車にも乗るし、姉は小学校に通っている我が家。自主休園は無意味かもしれなかった。ただ、夫の職場も長女の学校も小規模で、自宅での勤務や休校にはならなかった。

 

最も人数の多い中で過ごしているのが次女で、臨時休園や感染者、濃厚接触者が出たのは幼稚園だけだったので、いちばん小さな3歳の次女は家で過ごさせることにした。幸い、父親や姉が(今の時点では)感染することもなく、

 

ただの幼稚園ママお休みパラダイス期間

 

となった。

 

本当に疲れていたし、いい休息期間でもあった。もちろん結果的にそうなっただけだけど。入園直後に次女が感染したRSウィルスで痛い目を見ていた私は、「発熱した」というだけで簡単に受診できない状況の中、次女を登園させ続けることはできなかった。

 

先生と連絡を取り合って、期間を決めて休園し、休園を延長するかどうかをまた夫婦で相談して、三学期は自主休園の期間のほうが長かったと思う。1月末に臨時休園になる前と、お誕生日会と演奏会(当日と練習期間の数日)、幼稚園最終週だけしか通ってないかな。

 

今日持ち帰ってきた連絡帳(出席ノート)を見ると、自主休園は病欠などとは区別されていて、ほぼ行っていない三学期にも、月皆勤になったときに貼られる先生お手製シールが貼られていた。

 

バスに乗り込む後ろ姿

 

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長女が初めてバスに乗った日。

心配して、夫婦揃って見送りに行った。

あっさり乗って行ったけど

その後ろ姿を何気なく写真に撮った。

そして、卒園式前日、最後に乗った日。

別人のように大きくなった長女。

制服のサイズは直しはしたけど同じ、

背負ってるリュックも同じ。

でも四年の歳月を感じる二枚の写真。

あの写真、撮っておいてよかった。

 

次女のときも同じように撮ってあった。

そして姉と同じく、あっさり乗った(笑)

4月の写真と見比べると、

少しは大きくなったかな。

でも、まだまだ小さくて可愛い。

 

私は保育園だったので、幼稚園バスに乗ったことがない。毎日バスに揺られて、娘達はどんなひと時を過ごしているのかな、といつも想像していた。帰りは、大抵寝てる(笑)今の幼稚園のバスには乗ったことがある、プレ幼稚園の親子分離前のミニ遠足のとき。子供用の座席に、どうにか横向きになって座れた。バスの幅スレスレの狭い道を通る「バスのおじちゃん」の運転技術がすごかった。

 

次は、年中組初日のバスに乗る姿を、

また写真に撮ろうと思う。

 

先生への感謝

 

次女の初めての担任の先生は、長女入園前から幼稚園に勤めているベテランの先生。長女の担任になったことはなかったけど、行事やバスで言葉をかわすことはあって、私にとってはよく知っている先生だった。

 

入園式のクラス発表。

例年は教室の入り口の上に名簿と担任の名前が貼り出されるのだが、人が殺到するのを避けて、今年度はプリントも配られた。

 

何となく、新卒の先生だろうなーと思っていた。長女のときは年少組は2クラスで、どちらの組も新卒の先生+ベテランの先生だった。新卒の先生が年少組を受け持つことが多く、次女もそうだろうなと思っていた。

 

プリントを見ると、年少組3クラスのうち、

  • A組  新卒の先生+次女のプレの先生
  • B組  新卒の先生+次女のプレの先生
  • C組  今の担任の先生一人

 

プレ幼稚園の先生にも相当懐いていたので、次女は「どうして自分のクラスにはプレのときの先生がいないの?」となるかなぁ?と少し思った。

 

1ミリもならなかった。

 

プレの先生、2クラスとも補助に入るってすごい大変そう…とも思った。ちなみに、長女年少のときは、この先生が長女のクラスの担任だった。長女のときはこんな感じ↓

 

  • 1組  新卒のA先生+ベテランのC先生
  • 2組  新卒のB先生+ベテランのD先生

 

担任になった先生に、私は自分のことを包み隠さず話した。先生はとても協力的で、いつも私の体調を気にかけてくれた。

 

行事の日や写真撮影などで服装指定がある日は守るが、朝はもう頭フラフラ状態なので、制服登園の日に体操服を着せて行ってもいいかとか、ルール違反ではないけどそれぐらいやれよと思われそうなことも、「大丈夫ですよ〜!」とわかってくれた。

 

次女は今日の今日までおむつが取れなかった。何でもお姉ちゃんの真似をするのに、トイレこそ真似してくれよと思ったが、おむつ?びっしょ濡れですけど何か?くらい本人は全く気にしないし、布パンツを履かせて気持ち悪さを体験させてみても全然気になりませんけど何か?という感じの次女。

 

最近はトイレにも行けるようになったし、1日に使うおむつの枚数もだいぶ減った。毎日小さなビニール袋に名前を書いて、おむつにも名前を書いて、リュックに入れて幼稚園に行った。

 

帰りはその袋におむつを入れたものをリュックにくくりつけて桃太郎さんがお腰につけてるきび団子状態で帰ってきた。いつしか「おみやげ」と呼んでいた。

 

毎日、次女をトイレに連れて行き、おむつを替え続けてくれた先生。袋とおむつに名前を書くのすらめんどい私は百回生まれ変わってきてもつとまらないお仕事です、感謝しかありません。そしてうちの娘がすみません…

 

「いえいえ、大丈夫ですよ〜!次女ちゃん、おトイレだいぶ行けるようになってきましたよ!」

 

いつもそう答えてくれた。

 

想像しただけで大変だ。朝に全員をつれてトイレに行く。4月なんておむつの子のほうが多かっただろうし、お母さんお父さんと離れてただそこにいるだけで泣いていた子もいただろうし、トイレに連れて行っておむつを替えて、パンツが汚れてしまった子がいたら洗って履き替えさせて…

 

我が子のケツの世話でも

余裕でめんどいというのに

 

先生はすごすぎる。

全国、全世界の幼稚園、保育園の先生、

あなた方は素晴らしい、美しい!

母として、感謝と尊敬を伝えたい。

 

一人、また一人と「お姉ちゃんパンツ」に変わっていくお友達を見ても何とも思わない次女は、最終日までおむつを持って行った…

 

ちなみに姉は、満三歳児クラス(年少の一学年下)の1学期には担任の先生から『お友達が布パンツを履いているのを見て、長女ちゃんも履きたいようです。ほぼトイレでできていますし、布パンツを持たせてあげてください』と言われ、おみやげなど持って帰ってきたこともない。

 

行事の指導もとても上手な先生で、コロナ禍で大変な中でも、手作りの工夫が素晴らしく、クラスだよりに書かれている文章を読むと、行事に向けての子供達に対する言葉かけも素晴らしかった。

 

そんな先生のことが、次女も大好き!

 

しんどい日もあっただろうけれど、いつも笑顔でいる先生。ひとりひとりの子をよく見てくれている先生。幼稚園から帰った次女から先生のお名前を聞かなかったことはないくらい。うちの実家の父親まで、先生の名前を覚えた

 

感謝の手紙だけでは伝えきれない。

でも、先生、本当にありがとうございました!

 

今日、次女が持ち帰ってきた担任の先生手づくりアルバムを見ると、年少クラスをとても楽しんでいたんだなぁということと、先生はひとりひとりの園児のことを本当によく見てくれているんだなぁと思って、早速プレ幼稚園のときのアルバムと一緒に置いておくことにした。もちろん、長女が在園した4年分のアルバムも置いてある。

 

4月からはどんな生活になるのかわからないけれど、またいい先生に出会ってほしいし、幼稚園児が楽しく遊べるようにコロナも落ち着いてほしいと願う。

 

本当に穏やかで、担任の先生ともしっかりお話できて、朝こそしんどかったが、いい一年を過ごさせてもらったと思う。

 

次女、頑張ったね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雛人形に向いてなかった話。

明日は立春

 

SNSでもちらほらと雛人形の話題を見かけるようになった。そして今日、近くのスーパーで禰󠄀豆子のひなあられを買って、ふとこれを書こうと思った。

 

私の雛人形のこと

 

私は一人娘で、今は亡き祖父が七段飾りの雛人形を買ってくれたと聞いている。今の実家に引っ越すまで住んでいたあのボロい家に飾るには、なかなかに立派なものだと思う。

 

祖父は病気をして早くにこの世を去ったが、私のことを本当に可愛がってくれた。亡くなるちょうど一年前に起こった阪神淡路大震災のときは、もう入退院を繰り返していた祖父が飛び起きて、当時小2だった私を抱えて走ってくれた。(同居していたので、一緒に寝てた)

 

そんな祖父が、私の初節句にと買ってくれた雛人形。母は毎年、その雛人形を飾っていた。私が保育所や小学校に行っているあいだに出していたので、私にとってあの雛人形は、気がついたら置かれているものだった。

 

両親や祖父と一緒に、雛人形のところで写した写真が何枚も残っている。引っ越した後の実家も無事に普通に狭いが、入居したときに父が応接間を作るとか言い出し、ソファやらローテーブルを置いた。まあ、その部屋で応接された人は、家庭訪問にきた学校の先生くらいだったが

 

おまけに、中1の頃から飼っていた柴犬がよくわからない気質の犬で、たまに一人になりたいときがあったらしく、その犬が応接間のソファを独り占めして寝てたくらいの激烈無意味な部屋だ。

 

今の実家に住むようになってからは、雛人形はその応接間に飾られていた。祖父が別に初孫でも、初女孫でもない私に雛人形を買ってくれたことには、今も心から感謝している。

 

 

私に長女誕生、さて雛人形は?

 

私も結婚し、長女が生まれた。結論からいうと、そのとき雛人形は買わなかった

 

私が結婚する少し前からは、母が内裏雛だけをチェストの上に飾り、七段飾りはいつの間にか見かけなくなっていたが、長女の初節句のときに母が久々に全部出して、イオンモールで注文した名入れ旗を段の横に置いた。名入れの旗は伯母が買ってくれた、掛け軸タイプのもの。当時はそれいらんくない?と正直思ったが、私や長女をものすごく可愛がってくれていた伯母を亡くした今は、大切なものとなった。

 

雛人形は一人にひとつ』が原則らしい。また、母から娘にお下がりをするのは縁起が悪く、母親を厄から護ってくれた雛人形を娘のものにスライドすることはよくないという話を聞いた。

 

それを言ってくる人もいた。

でもね?うちそんな豪邸じゃないし、

 

でもそんなの関係ねえ

ていうか煩いわ!

 

と軽く無視した。

 

ということで、長女は私の雛人形に名入れの旗だけオーダーして、私の誕生以来久しぶりの赤ちゃんで女の子だが、雛人形は買わなかった。母親の私を厄から護ってくれたならその娘も引き続きお願いしますねみたいな感じで、応接間に飾り、段飾りの隣に赤ちゃんの頃の長女が着物やらドレスを着てハイローチェアに座っている写真が残っている。

 

なぜか覚えている渡鬼

 

ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の父さんがまだ藤岡琢也で母さんが山岡久乃だった頃の回をたまたま見たことがあり、雛祭りの話だった。

 

立派な七段飾りの雛人形は、長女弥生のもので、泉ピン子演じる次女の五月以下、藤田朋子演じる末娘の長子のものは、弥生の段飾りの横に一人分ずつ日本人形が並べられていた。それを見ては『これは葉子に似てる』とか何とか、おかくらの父さんと母さんが懐かしむシーンがあった。

 

色々言われたときなぜかそのドラマの回を思い出し、娘一人に雛人形ひとつだったら渡鬼レベルに娘あんなにいたら親王飾りでも置く場所ないだろと思ったり、そんなもんバレンタインにはチョコレートとか節分に恵方巻きみたいなもんだろと思ったり、人形屋さんだって商売なんだからできるだけ売りたいからだろとか地味にキレそうだった。

 

 

次女誕生、女の子が二人に。

 

上の話でキレていた私だが、次女が生まれたとき、こう思ってしまった。

 

女の子が二人もいるのに、

雛人形がないのはさすがにどうなの?

 

私の雛人形を娘達にお下がりすること自体に抵抗はなかったが、デカすぎるしうちの家狭い上に汚すぎるし現実的に無理なので、雛人形を買うことにした。

 

ネットで色々見て、『親王飾りで台が収納を兼ねている直置きタイプ』がいいと思った。アクリルケース入りだと、置く場所がクソ汚い玄関にある下駄箱の上に限られるため、部屋の角に置けるタイプがいいと思った。

 

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人形屋さんが楽天に出品していた、こんなピンクの雛人形を見つけ、これだー!と購入。孫娘たちのためにと、母が買ってくれた。

 

下の部分に全て収納できて、他にも初節句の子には名前や生年月日入りオルゴールをプレゼントとか色々あって、いい雛人形が買えた〜と大満足だった。

 

謎のこだわりが発動!名前旗

 

雛人形五月人形の横に名入れの旗を置く習慣って昔からあったっけ?友達の家でも見たことないけど…と思いつつまあ時代の流れかなと、娘達の名前を刺繍した旗も買うことにした。

 

可愛くてめちゃくちゃ好みのデザインのものや、リーズナブルなものもあったが、私何を思ったのか…名前の横に読み仮名が刺繍されているものにこだわった。いや…その旗、

 

誰に見せるねん

 

て話だし、自宅で自分の娘のために飾るのに、読み仮名いらんやん?命名紙じゃないねんで?と今は思うが、本当になぜかわからないが、名前に読み仮名が入るものしかありえないくらいのこだわりだった。

 

読み仮名入りのものは少なく(まあ当たり前だよね、上に書いた通り我が子の名前、子供本人からしたら自分の名前に読み仮名いらんもんね)、でも読み仮名入りのものを見つけた。

 

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長女には、うさぎが鞠つきをしている、赤の籏を選んだ。多分、読み仮名云々というよりは、私はこのバランスが好みなんだと思う。

 

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次女には桃色で、同じくうさぎモチーフのものを選んだ。画像だとサイズが違って見えるが、実物は全く同じ。娘達の雛人形の両横に飾るとピッタリの大きさ。もっと小さいものが欲しかったのだが、激謎読み仮名縛りのせいもあり、これになった。

 

いざ、初節句(次女)

 

次女の初節句には雛人形も名前旗も届いていたので、張り切って箱を開け、雛人形を部屋の角になるところに飾ることにした。

 

意気揚々と開けてみたものの、パンフレットを見て同じようになるよう必死。お道具類を持たせたら扇が落ちたとか何とか…

 

激烈めんどい。

 

おまけに、最初にどうやって収納していたかを写真などに残しておかなかったので、箱がどれがどれのものやら、どうすれば台にきっちり収納できるのかがわからなくなり…

 

そして何よりも私が苦手な『メンテナンス』が必要な雛人形。近所のホームセンターで『わらべ』みたいなのを買ってきてブチ込み、人形さんの顔や服は母が『白の布みたいなやつで巻くねんで、ついてたやろ。え!いやっ、あんたアホちゃうか、これゴミのとこ置いてるやんか!』などというカスっぷりだった。

 

翌年はもう面倒になって、桃の節句当日夜まで雛人形を出さず、もういいかなーと思ったが、とりあえず普段私が使っているテーブルに、台の蓋から上だけをバーっと出してバーっと写真撮ってバーっと片づけて、わらべをぶち込んだ。

 

その翌年は、

出さなかった。

 

昨日恐る恐る箱を開けて人形さんのお顔を見たが、ひび割れや湿気での傷みは幸いなかった。

 

 

母や伯母を思う

 

親王飾りで台が収納を兼ねるラクラク雛人形買った年でもう無理ってなって翌年は台すら出さなかった私は、自分の伯母や母のことを思い出した。

 

伯母には娘が二人。

伯母の長女にも、祖父が立派な雛人形を買ってある。伯母も娘達が結婚するまでは毎年あの七段飾りの雛人形を飾っていた。母も一人娘の私のために、雛人形を毎年飾ってくれていた。

 

それも七段飾り…

まず段を組み立てて、内裏雛三人官女と全部人形やお道具類を出してまた片付けて…

 

あの姉妹、超人?

毎年とかエグいやん

 

と本気で思った。

うちの娘たちの雛人形だったら、

 

10分とかで出しそう

 

亡き伯母は、孫を抱くことはできなかった。そして、妹の娘である私のことも本当に大事にしてくれた。私の長女のことは、本当の孫かそれ以上に、今思い出しても目に涙が込み上げるほど可愛がってくれた。長女初節句の写真を見たらちょっと泣けた。

 

今、もし伯母が生きていたら、

 

『そんなもん今から行ってウチが出すわ』

 

と言って張り切ってうちに来てくれたことだろう。ひな祭りの日には娘達のためにと、料理上手な伯母はちらし寿司や吸い物を作り、伯父に『早よ運転しいや!!』とか言ってケーキを買って…

 

きっとそうだろう。

 

その伯母も昨夏、早いことに七回忌をむかえた。

何かの年中行事やイベントごとの度に、七回忌を過ぎても、皆が伯母を思い出す。

 

話逸れた。しかし泣いた。

 

今年はどうしようか

 

さすがに二年連続出さないのもなぁ…でも今、うちの家の汚さエグいし、もし泥棒が来ても、『あ、先客来たんや』と思って何も盗らずに引き返すレベルなので、母に頼んで実家に飾ってもらうことにした。

 

箱ごと持っていくのは大仕事なので、台すらなしで、屏風と内裏雛とその下の座ってるやつ(畳っぽいのと白い台)くらいでいいよね…みたいな話になっている。あとはゴリゴリにこだわった名前旗と(笑)そしてまたわらべブチ込まないと。

 

もっと早く気づくべきだった…

 

私は

雛人形

向いてないと。

 

いや、お人形も名前旗も気に入ってるし、何かケチがついたとかもないし、特に長女が気に入ってるし、全然いいんだけどね。ただ、

 

出すのも収納もめんどすぎる。無理。

 

年に一度のことだしと舐めてたわ…

で、次の話。

 

結局、一人に一つが実現?

 

節句の年だったかその翌年だったか、ファミリアが発売したひなまつりタペストリを買った。そしてそれを壁に画鋲で留めて、心底思った。

 

これだけでよかった

 

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雛人形の後ろにこれを貼って、あと今はもう売ってないのかな?『手づくりガーランドキット』も買って、裁縫とか小2の娘よりもできないので友人に丸投げして作ってもらい、ひな祭り以外でも活用しているガーランドも飾った。

 

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↑これなんだけど、

 

え?これって

子供が作るの?

私…

余裕で無理だけど?

 

ガーランドは今も部屋にずっと飾ってます。

 

そして、今年買うことにしたのがこれ!

 

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ファミリアの雛人形(編みぐるみ)。

素晴らしいほど最初からこれでよかったよね感があるものの、

 

  • 祖父が買ってくれた私の七段飾り
  • 母が買ってくれた雛人形を長女に
  • ファミリア雛人形を次女に

 

とすれば、雛人形は女の子ひとりにひとつが原則』とかいう陰謀みたいなルールが達成されるよね(笑)

 

まあそれはどうでもいいとして、これなら家のテーブルとかちょっとしたところに飾れて、片づけもさすがの私でもできて、収納場所にも困らない。

 

来月、楽しくひな祭りを過ごせたらいいなと思う。そんな、お話。

 

 

 

 

 

 

 

 

30代後半スキンケアの話。

ついこの間、ついに30代後半に突入した。

お肌の曲がり角などといわれる年からさらに10年経ったというグロすぎる真実を突きつけられたわけだが、今は何と表現するか…

 

お肌の大混乱

 

のようなことになっている。

 

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嫌すぎるおでこのベタつき

 

若い頃は乾燥肌気味、21歳頃にUゾーンにきびでヤバいことになるまではにきびって何?くらいだったが、最近は3時間前までは絶対になかった吹き出物が普通に出現したりする。皮脂はほとんど気にせず生きてきたので、ここ最近のベタベタおでこが嫌でたまらない。

 

最近は前髪を作っていないのでいいが、洗顔・スキンケア後10分でもう何かベタつき始め、ただ家で寝ているだけなのに手でおでこを触ると

 

ベッタァァ……

 

などという現象が起き始めた。何というか、鏡で見ても不潔っぽいし、これどうにかならない?と色々試している。そしてそんなにベタつくのに、おでこにはほぼ吹き出物は出現しない。

 

洗顔しすぎということもない。

(普通に朝、晩)

あぶらとり紙やティッシュも使ってない。

顔汗をかきまくる時期も終わった。

 

なのに蛍光灯が反射するほどテッカテカなときまである。『デブが年をとって脂をデコから出し始めた』と思うしかないのかもしれない。

 

頬はカッサカサの乾燥肌

 

ベタつくのはおでこだけ。

目から下はむしろ乾燥肌。夏場は気にならなかったけど、最近パウダーをつけたときに粉吹きが気になって、とりあえずおデコのベタつきのことしか考えてなかったから乾燥肌用を使ってみたら落ち着いた。乾燥肌用なんて使ったらバリバリ脂性肌のおデコはどうなるのかと思ったら…特に何も変わらなかった(笑)

 

口元から下は吹き出物多発地帯

 

おデコはベタベタ、頬は粉出るレベルの乾燥、そして鼻の下からあごにかけてはすぐに疲れやなんかで吹き出物が出る

 

顔の悩みを、

 

上から三段階にするな

 

夏場はさっぱりしたタイプで、自分とは無縁だと思っていたアクネケアを使ってベタつき対策と吹き出物対策を兼ねてたいたのだが、使い心地は気持ちいが保湿力はほぼなく、おデコのベタつきも普通にあった。ただ、アクネケアは突然出現するデカくて触れると痛い吹き出物にもなかなかに効果はあった。疲れや生理周期も関係するのか、それともマスクのせいか、年なのか…

 

何にせよ吹き出物はかなり嫌だ。それをスキンケアで解決したのはなかなかすごい。そんな私のスキンケアラインが次の話。

 

使っているのはdプログラム

 

スキンケアは一昨年か去年から資生堂の敏感肌ライン、dプログラムを使っている。Amazonだと、ものによっては定価より千円くらい安かったりもする。

 

  • 洗顔フォーム
  • 化粧水
  • 乳液
  • フェイスパウダー
  • リップエッセンス

 

…というよくわからないライン使い。

 

dプログラムはトライアルセットを買ってから現品を買うといいかなと思う。トライアルは場所も取らないし、旅行とかにも持って行きやすい。

 

とりあえず混合肌用を使用

 

トライアルを買って、やっぱり使用感がいいな、Amazonだと安いしと現品購入したのは、混合肌向けタイプの水色容器。それまで使っていたスキンケアよりもやっぱり使いやすく、それなりに肌の調子もよくザラつきもなかったので何度も購入。まだ付け替え用のストックも1セット分ある。乳液のほうがなくなるのが遅いので、化粧品2本に対して乳液1本くらいのペース。

 

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Amazonではこの『バランスケア』と次に書く『アクネケア』が安くなっていることが多い。あと、私は敏感肌ではなく、化粧品で肌荒れを起こしたことはない。ただ、トライアルを使ってみてなかなか良かったから決めた。でも後々、自分の肌の面倒くささに気づくことになったけど…

 

関係ないと思っていたアクネケア

 

混合肌用のバランスケアでもベタつきが改善されることはなく、次にトライアルを買うときはたまたま化粧品専門店で買ったので、いちばんサッパリしていると言われたアクネケアを使ってみることに。そのときは吹き出物の嵐で、後ろ髪の生え際部分にめちゃくちゃデカくて痛い、もうこれ何?吹き出物とか通り越してない?みたいなのができたり、本当に朝はなかったのに昼前に鏡を見たら吹き出物が登場とかそんな時期だった。

 

アクネケアのボトルはオレンジ。

化粧水は水のような使用感。乳液はジェルで、ものによってはdプロのアクネケア乳液が化粧水くらいのさっぱり系。

 

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これも現品がAmazonだとだいぶ安い。そして、トライアルを使ったときにもう効果を実感。吹き出物が見事に消えた。さっぱりしていて、使い心地もよかった。安いのですぐAmazonで買って使い始めた。おデコのベタつきは全然改善されなかったが、吹き出物には抜群の効果を発揮した。化粧水2本目の頃にちょうどジェル乳液がなくなり、寒くなってきたのとまだ水色の乳液が残っていたので、最近まで化粧水はアクネケア、乳液はバランスケアを使っていた。

 

そんなとき、頬に粉吹きが発生。

紫のバイタルケアの次にペタペタすると聞いていたが、なんとなくポイントで買ってあった乾燥肌用のトライアルを使用。もう、混合肌用でもニキビ用でもおデコはベタつくんだからひどく悪化さえしなければどうでもいいわと思い選んだ。

 

モイストケアを初使用

 

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これも吹き出物のときのように、一撃で粉吹きと乾燥はおさまった。そして、ブルー、オレンジよりも化粧水からもう質感がペタペタしているが、改善こそしなかったもののおデコが余計にベタつくということもなかった

 

モイストケアはAmazonでもあまり割引にならないが、たまに定価より安いときがあり、カートの『あとで買う』に入れておいて、値段が下がったときにまず化粧水を現品購入。つけたあとのペタペタは少々気になるものの、保湿はしっかりできている。浸透もよく、ペタペタ系にありがちな肌の上を滑るようなこともない。よし!じゃあ冬場はこれね!!と思ったのだ

 

…が、

 

今度はまたストレスなのか乾燥肌用を使ったせいか、吹き出物発生。

 

いや、どうしろと?

 

顔を上から3つに分けてスキンケアしろと?

もう年なんだからどれかは諦めろと?

 

ただ、『粉吹きするほどの乾燥に一撃で効き、混合肌用でもどうせおデコはベタつく』ことから、冬場は一応このピンクが可愛いモイストケアを中心に使おうと思っている。

 

アクネケアの化粧水も残っているので、うわぁデカくて痛いやつ出た…となったら、化粧水をアクネケアにすればいいか、と思う。もちろんメーカーとしては揃えて使うことを推奨しているが、化粧水はアクネケア、乳液はバランスやモイストという使い方をしても何の問題もないらしい。

 

dプログラムのパウダー

 

 

これもAmazonだと定価より千円とか900円とか安い。最近はパウダーもリキッドも、ファンデーションをつけるのが面倒だし何か重たいし、使うことは皆無。めったにしない化粧のときに普段使うのは、まだ残ってるミラノコレクションやスノービューティ。このあたりは色がないので、マスクをつけて目から上しか化粧をしないときにはちょうどいい

 

スノービューティーは『ナイトケアパウダー』にもなるので、一時期はスキンケアの後、ベタつきおデコにつけたりしていたが、それでも普通にベタつくのでもうこれは年か体質だと諦めかけ。

 

下地の上からパパッとつけられてつけ心地も持ち歩きも軽いなら何でもよかったが、

 

これがまあまあのアタリ!

 

運転免許証の写真をスタジオに撮りに行ったときも、子供の幼稚園の卒園式も、パウダーはこのdプログラムを使った。名前に『エアリー』とついているだけあってつけ心地は軽く、色はそんなにつかないのでバリバリ化粧してます!な感じにはならない。奇数年の薄いほうでも容器が無駄にデカいミラノコレクションや、ケースの厚みがすごいスノービューティーに比べて持ち歩きもしやすい。そしてそこにエアリーは何の関係もないがバッグに入れても軽くていい。

 

色は一色しかないが、そんなにガッツリつくわけではないので、あまり気にならない。すぐ取れるということもなくさらさらの軽さも心地いい。ファンデーションをつけると、何だか重たいような感じがして早く落としたいとなる私でも、この軽さなら平気で過ごしている。フェイスパウダーながら、それなり程度ではあるがカバー力もあると思う。

 

スノビュー2020はまだ箱に入れたまま新品で放置しているので、たまにまともに化粧するときのパウダーはこのdプロ。若い子用だがそれなりに整えてくれるし、コンシーラーを下に使っても浮きが出ることもない。そしてレフィルも安い

 

白い不織布マスクのノーズワイヤー中央部分にほんの少しだけパウダーの色がついたが、これもほぼ気にならない、十分許容範囲レベルだ。

 

リップエッセンスもdプロ。

 

コロナ禍で最も売れなくなった化粧品は、

 

口紅ではないだろうか

 

化粧品売り場でテスターも使えないし、マスクにベタっとつく口紅…これほど使わなくなったものもないと思う。もう今や私の化粧ポーチには口紅は1本も入っていない

 

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(私が持っている色つきは中央のピンク)

 

緊急事態宣言も解除され、人と食事に行く機会も何度かあったが、使うのはニベアの色つきリップクリームかdプロのリップ美容液。普段家でつけるのはAmazonで500円だったメントール入りのリップクリームだけど、マジで目から下はチークも口紅もつけなくなったので、マスクを取ると口に色がない。(血色のいい人が羨ましい…)

 

dプログラムの色つきはクリアレッドがいちばん色づくと思う。…持ってないけど。私が持っているのは無色のリップ美容液とピンク。

 

 

毎年、唇に皮むけが出てきたら冬だなと思うので、保湿できてちょっと色もついて、人との食事とかだと鏡を見ずにつけられる色つきリップは欠かせないものになった。

 

ニベアのはこれ↓↓

 

 

間に合わせに買ったが、小さな丸型ポーチに放り込んで使っている。数百円だが、色づきはこちらのほうが上。スティックタイプで塗りやすいし。ただ、唇の保湿を考えるとdプロが上回る。どこでも売ってるし、細くて持ち歩きやすく、どんなに高くても税込700円台くらいで一応保湿効果もあるので、これもオススメ。

 

私はベージュ系が全く似合わず、そういう色をつけると何もつけてないよりも顔色が悪くなるのでスモーキーローズを選んだが、他のレッド系やピンク系はそれなりの発色もあるようだ。元々唇に血色がある人や外でマスクを外す機会がないなら、無色タイプでもいいと思う。

 

ニベアの色つきリップの上からdプログラムのリップエッセンスピンクをつけると、ちょっとしたグロスっぽくもなり、保湿もできるので、

 

口紅もういらなくない?

 

…と思いつつコロナ禍を過ごしている。

元々ほぼ家から出ないのもあるけど(笑)

両方買っても普通の口紅1本分より安いし、どちらも保湿を謳っているので、冬場のリップメイク兼保湿にちょうどいい。

 

化粧自体ほぼしない。

 

そしてもう化粧そのものが面倒くさいので、人と会うとか、子供の行事だとか、一人で出かけはするけどスッピンでもいいときなぜか変に早く起きて暇だからまあちょっと化粧でもして暇つぶすか…と思ったとかくらいしか、まず化粧をしなくなった。子供の行事のときはマスクを外さないので、適当なパウダーとあとは目と眉毛しかしない。

 

若い頃はブッサイクな顔にアホみたいに高い化粧品を買って、それが趣味のようになっていたが、今やもう外出時でも『化粧〜?めんどくさ!どうせマスクだしスッピンでいいわ』となるし、ほぼ家にいるので化粧の回数自体も激減。

 

化粧するのも、落とすのもただただ面倒…

そして、

色の白いは七難隠すなど大嘘だし。

 

さすがに夏場の日焼け対策はしたが、もう肌はシミだらけだし、化粧をする前日か当日に眉を整えるくらいだし、こういうところでもああ年を取ったんだな…と思う今日この頃。

 

何だかdプログラムの回し者みたいになったけど……化粧下地はプリマヴィスタ、ごくたまーに使うコンシーラーはカバーマーク、アイシャドウはルナソル(いつから使ってるのか不明)かマジョリカマジョルカの単色、マスカラとリキッドアイライナーはフローフシ、アイブロウは廃盤になった資生堂セオティのソードカットのやつ。パウダーも大抵ミラノコレクション(1年で使い切ることなどない)。

 

そんな、お話。