眠れぬ夜のひとりごと。

タイトル通り、眠れない夜の暇潰しにやってます。半分寝てて誤字多いです。

放送コンテストの話 中学編

 

放送部にも、熱い暑い大会があるのをご存知だろうか?

 

今日は、イタリア研修よりまだ昔、そして超長編の放送コンテストの思い出を書きたくなった。まず、放送部の大会とは、何をするのか?何を競うのか?

 

大抵の人は知らないので

よく聞かれる(笑)

 

私も、ふとしたあのきっかけがなければ、今もそちら側の人間だっただろうから、人生は面白いなと思う。

 

最も大きな大会は、

NHK杯全国(高校・中学校)放送コンテスト。

高校の大会には、以下の部門がある。

 

  • アナウンス部
  • 朗読部門
  • ラジオドキュメント部門
  • テレビドキュメント部門
  • 創作ラジオドラマ部門
  • 創作テレビドラマ部門

 

『ラジオ』『テレビ』がつく番組部門は、私は参加したことがなく、正直何もわからないのでこの話には出てこない。

 

最初に放送部の大会だと書いたが、私が初めて出場した中学二年生の大阪市新人大会(市立の中学校の1年生・2年生が出場する大会)と、翌年出たNHK杯の中学放送コンテストの時点では、

 

私は放送部員ではなかった。

ていうか、うちの中学には放送部なかった。

 

じゃあ、どうやって大会に出たの?

話はそこから始めたいと思う。

 

【中学編 スタート】

 

渋々選挙管理委員になる

 

中学といえば、生徒会がある。当然私は生徒会役員に立候補するようなタイプではなかったので、『へー、そんな時期か』と思っていた。そんなある日の終礼の時間。

 

若い担任の先生が、『選挙管理委員会を各クラスから2名選ぶ。立候補で決まるまで帰らせない』と宣言。まあそんな仕事めんどくさいし、放課後残らなくちゃいけないし、教室に漂う『誰か手を挙げろ』の雰囲気に先生がブチギレたのを未だに覚えている。

 

私はとある理由でその日早く帰りたかったので、一人立候補者が出た時点で手を挙げた。自分が手を挙げれば帰れるからだ。急なことなので『今日の会合には参加できない』が通り、そのまま家に帰った。

 

担当は『告示』

 

どうやって決めたのかは知らないが、私は告示という係に当たっていた。他には生徒会選挙まで学校のあちこちに貼るポスター製作の係、選挙当日の開票係などがあった。

 

じゃあ告示は何をするのかというと、生徒会選挙の告示をするのだ。全校朝礼で朝礼台の上に立って、なかなかに長い(そして誰も聞いていない)文章を読む、それだけ。あとは立会演説会の当日に、選挙の投票の仕方について、今度は講堂の壇上に出て『信任投票の場合は何々で〜』とか読み上げるだけだった。

 

私は絵がとんでもなく下手なのでポスター係は向いていないし、放課後に残って開票なんてめんどくさいし、告示めっちゃラクやんと思っていた。でも、私の感覚が変わっているだけで、『全校朝礼で前に出てマイクで喋るなんて嫌だ』と思う人のほうが圧倒的に多いらしかった。

 

放送コンテストに出ないか

 

選管のことも忘れかけていた頃だったか、学年主任の先生(女性、体育担当)にこう言われた。へ?と思ったが、はいを選ばないと先に進めないドラクエ的質問かと思った私はこれを承知した。で、そんなコンテストに出ることも忘れていた頃、国語担当の先生と一緒にアナウンス原稿を作った。このときの原稿が内容がほぼ記憶にない。文化祭のことだったような…何だっけ?忘れた。

 

それもそのはず、大会前日に、体育館でマイクを使って一回こっきり練習しただけなので、わけもわからず放送コンテスト『とやら』に臨むことになった。

 

A子ちゃんと出会う

 

大会当日、学年主任の先生と大会会場へ向かい、ちょっと広めの会議室みたいなところへ着いた。誰も来ておらず、私一人だった。後でわかったのだが、私を引率してくれた先生は、そのコンテストの役員みたいなものだったらしく、ひとり取り残されていた。

 

何をしてよいやらわからず座っていたら、少しして後ろのドアが開き、

 

こんにちはー!

 

という元気な声が聞こえた。私に言っているのかわからなかったし、私が挨拶を返したかは記憶にない。ショートヘアに小顔が印象的な女の子が、私に声をかけてきた。その後も続々と、

 

こんにちは〜!

 

が聞こえたので、多分あれは放送部の作法だったのかもしれない。まあ、私は一番に着いたので、誰もいなかったからこんにちはも何もなかったが。

 

そのショートヘアの女の子と会話をした。多分、どこの学校?とか、何年生ですか?とか、そんな話だったと思う。記憶にはないけど、初対面だからそれくらいしか話すことはない。その子も私と同じ二年生で、この大会は新人大会といって一年生と二年生しか出ていないことを教えてくれた。そして、私はこんな場は初めてでたった一人でいるのを見たその子は、『私の先生と一緒に練習しよう』と誘ってくれた。

 

この子が、A子ちゃんである。

 

A子ちゃんは会場を出て、

顧問の先生らしき人とロビーに向かい、

発声練習を始めた。

先生も親切な人で、

私も続いてやるようにと言ってくれた。

 

A子ちゃん

 

あえいうえおあお!

 

 

ぁぇぃぅぇぉぁぉ…

 

こんなロビーで大声を張り上げて、え?今からやる大会ってそんなガチなの?え?私どうしたらいいの?と思いながら、ワ行まで何とかついていった。気づけばそこかしこでいろんな制服の子たちが原稿の読み練習をしたり、数人で揃って『あめんぼあかいなあいうえお』とかやっていた。

 

コンテストというからには順位や表彰があるのだろうから、こういう人達が入選するんだろうなぁ…と思っていた。それでも、A子ちゃんの発声練習は誰よりも大きなハキハキとした声で、住む世界が違うくらいに思っていた。

 

出番は18番

 

出場者が何人いたかは忘れたが、今でも覚えている、私は18番目だった。出番順は当日プログラムみたいな紙をもらうまでわからない。結構後ろのほうで、ホッとした記憶がある。1番とかだったら半泣きになってただろう。

 

司会者(も中学生)に名前を呼ばれると舞台に上がって自分の書いてきた原稿を読み、終わると一礼して座席に戻っていった。みんな、何やらマイクの高さを調整したり、マイクと口の距離を手で測ったりしていた。とにかく、自分より前に出てくる17人がやるように、私もやるしかない。出演者中一番ド下手が確定していたピアノの発表会よりオロオロした。

 

練習は前日の一回だけ、誰に読み方のアドバイスを受けたわけでもない、ピアノと違ってリハーサルもない、ていうか放送部員ですらない。

 

ついに私の学校名と名前が呼ばれた。17人分見ていたはずなのに、少し不安になってふと学年主任の先生のほうを見た。怒ったような顔で壇上に置かれたマイクと机を指差して、行け!行け!とジェスチャーしている。とりあえず、発表席に座って読んでみた。

 

別に頭が真っ白になったわけでもないが、生まれて初めてのことで、何が審査基準で何をしたらどうなって…がわからないので、なんとなくアナウンスっぽく読んで座席に戻った。

 

優秀賞に選ばれる

 

全員の発表が終わると、現役男性アナウンサーの講評があり、一人ずつ講評というか感想を言われた。何を言われたか全く記憶にないが、あー!終わった!と思っていたので興味もなかった。

 

その後、結果発表。前の方のテーブルにはなかなかの数のトロフィーや盾、賞状が置かれていた。新人大会なので、今考えたら半数近くが入選するようになってたのかな。

 

まず『努力賞』でかなりの人数が呼ばれた。私の名前は入っていなかった。『まあまあ、初めて来たんだから』となぜかこの時点で学年主任に慰められた

 

次に優良賞三人が呼ばれた。

 

確かに、聞いていたときに『おお、上手いなぁ…』と思った人が呼ばれていた。

 

続いて、第二位相当、優秀賞の発表。

 

某中学校   私さん

 

????????????

 

とりあえず壇上へ行って表彰状と盾を貰ったが、何が起こったのかいまいちよくわからなかった。優秀賞?私が?いや、昨日一回だけ原稿読んだだけの私が?審査員の人、何か間違ってるんじゃないの?

 

確かに、選挙管理委員の告示のときとか、それよりまだ遡って小五で放送委員になって下校放送の録音をしたときも、なんとなくアナウンスっぽい声を出してはいたが、普段から部活でやっている人達と競うコンテストで入賞するとは思いもしなかった。

 

そして最後に、最優秀賞の発表。

 

某中学校 A子さん

 

その日知り合ったばかりのA子ちゃんが最優秀賞を受賞した。ロビーに響く溌剌とした声で発声練習をしていた彼女は優勝者に相応しく、心からすごいと思ったが、その隣で屁のような声で人生初の発声練習をやっていた私が、優秀賞に選ばれたのは謎でしかなかった。

 

これには学年主任の先生もびっくり仰天、先生自ら学校に電話をかけて報告していた。月曜日の全校朝礼で、校長が改めて表彰状を読み上げ、再び表彰された。たまに運動部の子とかが朝礼で表彰されているのは見たことがあったが、あれって大会で貰った賞状を改めて校長が読んでるんだとそのとき知った(笑)

 

帰り際、家も結構近いし友達になろうよ、とA子ちゃんと連絡先を交換し合った。

 

あのときのA子ちゃん、

今どこでどうしてるのかな?

 

…というのは嘘で、今でも毎日のように連絡を取り合う友達である。

 

同じく帰り際、審査をしていた先生からも声をかけられ、すごい褒めてくれた。『来年の夏に大きな大会があるから是非挑戦してほしい』と言われた。が、別に放送部員ではない私は、その翌年の夏がくるまで、本気でそのことを忘れていた。

 

NHK杯大阪大会予選

 

放送コンテストに出たことなどほぼ忘れていた私は、中三になっていた。が、学年主任の先生が、『今度の大会はテープ審査。学校で録音して送るから』と完全決定事項として通達してきた。まあ、録音ならあんな思いをすることもないし気楽だろうと思っていたら、大間違いだった。

 

このときは、前年の原稿を作ってくれた国語の先生が自分の担任だった。また原稿を作ってもらい、音楽室で録音をすることになった。冷暖房完備の公立中学だったが、風の音がテープに入るからとめちゃくちゃ暑い中録音スタート。

 

このときの原稿は、

『皆さん、こんにちは』

 

というド定番の入りだった。何となくアナウンスっぽい声で『みなさんこんにちは』とマイクに向かって発した瞬間、

 

先生からNGが入った

 

先生『みなさん』

私『みなさん』

先生『違う、みなさん』

私『みなさん』

先生『いや、みなさん』

 

ほぼ無限ループに陥りかけたが、どうにか先生のOKが出る『みなさん』を言えるようになっていたらしい。どう違ったのかは正直わからない。何回みなさんでNGが出たか…

 

ジャルジャルの漫才で落語の師匠と弟子が『おまはん』を延々と天丼するネタがあるがまさにあんな感じで、みなさんから先に進まない。

 

先生が納得してくれる読みができるようになったら、今度は雑音との闘いだった。録音中に

 

  • 学校のチャイムが鳴った
  • 誰かを呼び出す学校放送が鳴った
  • 窓の側でカラスが鳴いた
  • 救急車が目の前を通った
  • 外にいる生徒の声が入った

 

とかいうどうしようもない理由で何度も何度も撮り直し、やっと、よし!これだ!というのが撮れた。もうこの時点で暑くてフラフラになりかけたが、やっと終わったー!とそのテープだかMDだったかを、学年主任の先生に聞いてもらいに行った。

 

『学校名と名前が入ってない』

 

というまさかの理由で撮り直し。

 

泣きたかった。

先に言ってくれよ。

 

その後も雑音やら暑さやらまたおかしくなった皆さんこんにちはやらと必死に闘い、どうにか撮り終えた頃には、汗だくになっていた。

 

泣き言を言いたいのはヒマな中学生に過ぎない私ではなく、これに付き合わされた担任の先生のほうだろうと今では思う。先生は高級品のマイクを私の録音に使ってくれたらしく、

 

『これ、アーカーゲーね、アーカーゲー』

 

AKG D7 ダイナミックマイク

AKG D7 ダイナミックマイク

 

(↑こんな感じのやつだったような。)

 

と何度も言っていたのを覚えている。こんなに雑音にも音質にもマイクにもこだわってるのは自分くらいだ!絶対に予選は通る!と先生は言っていた。後で書くが、これは本当だった。

 

そして、私のもとに、予選通過の報せが届き、決勝に駒を進めることとなった。余談だが、この録音のとき、さすがに暑いし疲れたし、ちょっと休憩しようということになり、たまたま音楽室だったので、冷房を効かせて、私はピアノを弾いた。

 

有名なWe are the worldという曲。

 

ただ何となく暇つぶしに、そこにピアノがあったから弾いてみただけだったのだが、学校にあったか私物かはわからないが、先生が私の演奏に合わせてギターを弾いてくれた。この誰も聴いていないセッションを、私は今も鮮明に覚えている。本当に、担任の先生には、感謝してもしきれない。

 

NHK杯大阪大会決勝

 

決勝は真夏だった。会場は、府下にある私学の中高一貫女子校のホール。新人大会の会議室とは違う規模だった。そして何よりも驚いたのが、参加者の多さ。某市公立中学の1、2年生しかいなかった新人大会とは規模が違った。そして、周りを見渡すと、私立中学のお嬢様方が集まり、当たり前のようにそこかしこで発声練習をしていた。

 

こんにちは〜!

 

も健在だった。そして、この人達は私と同じテープ審査で選ばれた、府下国公私立中学の精鋭達だと気づき、さすがにビビった。おまけに、全然知らなかったが、日課題原稿というものがあり、それもさばかなければならず、

 

半泣き。

『聞いてないよ〜』

 

ダチョウ倶楽部状態とでも言おうか。

 

この当日課題原稿は、A子ちゃんの顧問の先生がザッと読み方を指導してくれた。いやいや待ってよ、当日渡される原稿があるなんて今ここに来るまで知らなかったよ!なぜか覚えているのだが、須磨にある水族館のザリガニのニュース原稿だったと思う。

 

そうだ、あのA子ちゃんは?

…と思ったら、

 

朗読部門にエントリーしていた。

 

朗読部門?何それ?こないだみたいに全員がアナウンス原稿読むんじゃないの?え?テレビとかラジオの部門もあるの?何じゃそりゃ?!

 

これは…

とんでもないところに

来てしまった!

 

私の出番順は、これまた幸運なことに、22番と後ろのほうだった。また前の21人を観察すればいいと思っていた。ところが、スムーズに進行するため、自分の番の5番前になると、発表者の後ろのパイプ椅子で待機することになっていた。

 

出てくる人出てくる人、

バリバリ上手い。

学校名も何々学院とか女学院とかみたいな、本気で住む世界が違う人がバンバン登場。

声めっちゃ綺麗!

さっき貰ったばかりの原稿もトチらない!

 

でも、ま、いいや!と開き直り、死んだおじいちゃん助けてくれみたいなことを考えながら自分の出番を終えた。A子ちゃんの先生の指導のおかげで、何とか当日課題も読み終えることができ、その後の記憶は…ほぼない。

 

平民の私、もう力尽きていた。

 

午後からは(存在も知らなかった)朗読部門や番組部門で、その前にあったお昼休憩は母が持たせてくれたお弁当を、学年主任の先生のお知り合いの先生とそこの生徒さんと一緒に食べたくらいしか覚えてなく、朗読部門は聞いたかどうかも忘れてしまった。

 

まさかの結果に呆然

 

そして、結果発表がやってきた。平民の私、もう、完全に他人事。家を出る前から、母を落胆させたくないために、『今度の大会は前のとは規模も何も違うから入選とかは期待しないで』と言ってきていたし。

 

このときは、アナウンス部門の入賞者6名から発表された。優良賞三名、優秀賞二名、最優秀賞一名と最初から説明があった。

 

優良賞のうちの一人は、声のとても綺麗な、一学年後輩になる女の子が選ばれた。え?この子で優良賞?となるほど、本当に美しい声の子だった。優秀賞の二人は、私が『このどちらかが優勝かな?』と思った、某私立女子校の二年生と三年生だった。そして、最優秀賞の発表。

 

某市立某中学校 私さん

 

なんと、優勝してしまったのだ。

 

もうあまりのことに、何も覚えていない。

 

でもこのとき、ビックリも勿論あったけれど、何をやらせてもダメ、勉強はダメ、ピアノは月謝ドブ捨て状態、運動もからきし…の私にも、これならもう少しきちんとやってみれば、できるんじゃないか?と思ったのは覚えている。

 

まさかのデカいトロフィー🏆を持って帰ることになり、地元の駅に私を迎えに来ていた母親がビックリしていた。学校でも校長や担任の先生皆さんが喜んでくれて、担任の先生はクラスのホームルームで『大阪で一位』をめっちゃ強調して皆に報告していて、何か恥ずかしかった。

 

またもや衝撃の事実

 

少し話は戻り、決勝当日のことになるが、優勝トロフィーを貰って喜んで帰ろうとしていたら、入賞者だけ別室に呼ばれた。

 

『入賞した作品は、来月東京で行われるNHK杯全国中学校放送コンテストの大阪代表として推薦します』

 

と言われた。

えっ?ここで終わりじゃないの!?

私、全国大会の代表なの?!

 

その全国大会は非公開録音審査で、さすがに入選はならなかったが、あの最優秀賞トロフィーは大きな自信になり、今に繋がっている。

 

ちなみに、前年度優秀賞となった新人大会では、私が次の年の司会者をすることになった。私が出たときに司会者だった人は、何と高校の一年先輩という縁だった。後にこのNHK杯大阪大会決勝でも司会者をさせてもらった。このとき、顔見知りになっていた実行委員の先生かが、あの必死のパッチで暑い中録音した私の予選テープを聞いたときのことを話してくれた。

 

『これはすごい!と審査室の雰囲気が変わった。雑音ひとつなく、クリアな音声。これは決勝でも必ずいい線に行く。皆がおお!となったんだよ』

 

と教えてくれた。

 

あの日の担任の先生と私の努力は無駄ではなかったのだ…とちょっと感動した(笑)

 

さあ、中学を卒業したら高校生。

 

高校でもやるぞー!と最初は意気込んでいたが、進学先の高校にはまたもや放送部がない同然で、またも孤独なコンテスト出場者になったのは、次回のお話。